平安時代の結婚は妻となる女性の家族が熟考した上で婿となる男性を選んでいるのであって、一概に自由恋愛というわけでもない。
平安時代では結婚のことを「夜這う」「娶す」「合わす(二人を繋げる)」「逢う(二つのものが近付いて一つになる)」「門継ぐ(欠けたところを塞ぐ)」「住む(男と女が一緒に暮らす)」などさまざまな呼称があった。また、「男す」「女を迎える」「婿に取る」などの言葉でも言い表された。
男性が求愛のために女性のもとに忍んで行き、女性を「呼ばう」行為がやがて「夜這う」と認識されるようになった。
新郎は「むこがね」「むこのきみ」、新婦は「よめ」「よめのきみ」「北の方」と呼ばれた。
結婚の種類
結婚には「婿取り」と「嫁迎え」の二種類がある。
婿取り
婿取りは、夫となる男が妻の家に住み、数ヵ月~数ヵ年後に妻を夫の家に迎える。
嫁迎え
平安時代末期以降に行われるようになった。
嫁迎えは、夫となる男が妻の家で婚儀を行った後、妻を夫の家に迎える。
結婚の時期
男子は15歳、女子は13歳以上で結婚が認められる。(『養老令』-聴婚嫁条)
結婚の時期は男子が元服(成人)した直後に多く見られる。
通常であれば10〜20歳までの間に吉日を選んで元服が行われていたが、厳密な年齢は特に決まっていない。
皇族では11〜17歳、臣下であれば5〜6歳で元服する男子もいた。
娘を嫁がせる場合は、まず祖父母・父母・父方の叔父・叔母、兄弟、外祖父母に知らせ、次に母方の叔父・叔母・従兄弟に知らせる。同居していなかったり、前述の親族がいない場合は娘の希望に従う。(『養老令』-嫁女条)
結婚の前に性交渉があった場合は、婚前交渉が許された場合でも離婚しなければならない。(『養老令』―先姦条)
媒介人(仲人)
男女間の中を取り持つ媒介人として口先の上手い人が選ばれたが、現代の仲人のような役割をもっているわけではない。
許嫁
男女双方の意志や、父兄の意志によって結婚を約束する許嫁という慣習も存在した。
結婚までの流れ
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1求婚
男性が女性のもとに求婚の手紙を送る。
手紙を送る女性は、適齢期で評判のよい女性を選ぶ。
女性の父親や兄たちが手紙を送ってきた相手の身分や人柄について話し合い、求婚を受け入れることが決まったら、女性に代わって返事を送る。
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2婿が吉日を選ぶ
新郎となる男性が婚儀を行う吉日を選び、新婦となる女性に手紙を送る。
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3婿が嫁の家に行く
新郎が従者とともに車に乗って嫁の家に赴く。
このとき、新郎は中門から入り、松明の火を脂燭に移して門をくぐって寝殿に上がる。脂燭の火は帳の前の燈籠に移され、三日間点けたままにする。
婿の沓は嫁の父母が抱いて寝る
新郎の沓(履物)は、夫婦の幸せな結婚生活を願って新婦の父母(舅姑)が婚儀の夜に抱いて寝る。
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4新郎新婦が帳台に入り、衣服を脱ぐ
新郎と新婦は帳台に入り、衣服を解く。
そして、新婦の母親または後見の男性貴族が衾覆い(掛け布団)を掛ける。
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5新郎が新婦のもとに三日間通う
新郎が三日続けて新婦のもとに通うことで、初めて正式に結婚したということになる。
この三日は、新郎の新婦に対する愛の本気度を計るためのものだとされる。
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6三日夜の餅の儀
三日夜の餅の儀
婚儀から三日目の夜、銀盤三枚の上に餅を持って食べる。新郎は烏帽子・狩衣を着け、帳の前に出て饗膳につく。
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7露顕(ところあらはし)の儀(披露宴)
三日目または四日目に露顕の儀(披露宴)を開く。
両家の親族が対面し、友人や知人を招いて祝宴を開く。
基本的には新婦の親が主催するが、新郎の父親が権力者の場合は、父親が関わることもある。
それから、後朝のことを行う。
後朝
新郎から新婦に後朝の文を送る。
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8新郎が新婦の家から出仕する
新郎は吉日を選び、新婦の家から出仕する。
正月十五日、女房たちが望粥の木を隠し持って他の女房の隙を狙っている様子は、とてもおもしろい。新しく我が家に通ってくるようになった婿君が参内の支度をしているというのに、その家で幅をきかせている女房が様子を窺っているのを、婿君の傍に侍っている女房が気づいて笑うものの、肝心の狙われている女君は何も気づかずに座っている。さり気なく近づいて女君を打って逃げると、その場にいた女房は皆笑い、婿君も微笑む。(『枕草子』)
一夫多妻
『栄花物語』における藤原道長の「をのこ(男)は妻は一人や持たる」という言葉に代表されるように、一人の男性が同時に複数の女性を妻に持つのは普通のことであった。
しかし、この一夫多妻制度によって正室・側室間の嫉妬や憎悪が生まれ、いじめに発展することもあった。
平安時代の離婚
平安時代にでは、離婚は「夜離れ」「床去り」などと呼ばれた。
離婚するときは、まず祖父母・父母に知らせなければならない。
祖父母・父母がいないときは、夫の判断で離婚できる。(『養老令』-先由条)
以下の条件にどれか一つでも該当するものがあれば離婚することができた。(『養老令』-七出条)
離婚の条件
- 子供がいない
- 淫乱である
- 舅姑に仕えない
- お喋りである
- 盗難があった
- 嫉妬心が深い
- 悪い疾患がある
ただし、以下の状況に当てはまる場合は離婚できない。
※義絶(強制離婚)・淫乱・悪疾に当てはまれば離婚できる場合もある。(『養老令』-七出条)
離婚できない場合
- 妻が舅・姑の喪を務め終えたとき
- 結婚当時は身分が低かったが、後に身分が高くなったとき
- 帰る実家がないとき
古代では原則として父母または祖父母の同意が必要だったが、平安時代になると双方のすれ違いによって離婚してしまうことも少なくなかった。
せっかく居着くようになった婿君が通って来なくなるのは、本当にがっかりするものだ。(『枕草子』)
妻が失踪することも
平安時代では、妻が連れ去られるなどして突然姿を消すことは珍しくなかった。
平安時代の再婚
大宝令によると、夫が外審に没落して5年(子供がいない場合は3年)逃亡し、3年(子供がいない場合は2年)帰ってこない場合は、妻は他の男性と結婚することができた。
例)
『伊勢物語』…男が宮仕えに出かけたきり三年経っても帰ってこなかったので、妻は求婚してきた男と再婚すると決める話がある。
平安時代の結婚に関する疑問
貴賤上下などの身分に対しては厳重だったが、同族や近親間の結婚に対してはかなり寛容だった。
結婚相手としては、門地の高い人や金持ちが人気であった。高貴な人が相手だと、一族・一門の繁栄に繋がるからである。
平安時代の逢瀬
逢瀬の約束をした男を待っていると、門を叩く音がしたので心を躍らせつつ召使いに名前を問わせると、全く別の男だったときの気持ちは、興ざめどころではない。(『枕草子』二二段)
明け方に女の家から帰っていく男は、最も風情がある。起きるのを渋っている男が女から急き立てられてふとため息をつくのも、女からすると、本当に帰りたくないように思われる。座ったままで指貫などを着ようともせず、女の方に身を寄せて夜に言ったことの名残りを囁き、気がつくと帯などを結んでいる様子である。男はそのまま妻戸のところまで女を連れていき、離れている昼の間はどんなに夜が待ち遠しい気持ちだろうと別れの言葉を言ってするりと出かけて行ったなら、女も自然と見送る気になって名残惜しくなるだろう。
しかし、実際の男たちは急に何かを思い出したように起きて慌てて着替え、昨夜枕元に置いていた扇や畳紙などが散り散りになっているのを探すものの、暗いので見えるはずもなく、「どこだ、どこだ」とそこら中を叩き回り、やっとのことで見つけて帰っていくのであった。(『枕草子』六三段)
きっと来てくれるであろう男を一晩中寝ずに待ち続けて、明け方になってつい眠りこんでしまい、烏の鳴き声で目を覚ますと昼になっているのはなんともおもしろくないことだ。(『枕草子』九七段)
昨夜初めて自分の家を訪ねてきた男が、翌朝の手紙が遅いのは他人のことであってもドキドキするものだ。(『枕草子』一五〇)
平安時代の嫉妬
人妻がつまらない嫉妬から身を隠して、夫は必ず探し回ってくれるだろうと期待していたのを、そんなことはなく平然と過ごしていたので、いつまでも旅に出ているわけにもいかず、自分から姿を現すのは無徳である。(『枕草子』一二五)
参考資料
- 川村 裕子「王朝文化を学ぶ人のために」世界思想社、2010年
- 池田 亀鑑「【復刻版】池田亀鑑の平安朝の生活と文学」響林社、2015年
- 山中 裕 「平安時代大全」PHP研究所、2016年
- 川村 裕子「平安女子の楽しい!生活」岩波書店、2014年