平安時代の年表:冷泉天皇の御代、康保四年(967)5月25日から安和二年(969)8月13日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。
冷泉天皇時代の年表
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康保四年(967)
この年、陰陽博士賀茂道光・光宗が蔵人所に召された。(『禁秘抄』)
5月
5月25日 践祚
康保四年(967)5月25日癸丑、凝華舎において憲平親王の践祚が行われた。戌の刻に右大臣源高明が警固を行い、所司が木契・松脂を奉った。(『日本紀略』)
5月27日 先帝御入棺の儀
康保四年(967)5月27日乙卯、亥二刻に先帝(村上天皇)御入棺の儀が行われた。(『本朝世紀』)
5月28日 廃務
康保四年(967)5月28日丙辰、先帝(村上天皇)の御葬儀の日になるまで、諸司は廃務にすることが決まった。(『日本紀略』)
6月2日 初七日の御誦経
康保四年(967)6月2日己未、七ヶ所の寺において初七日の御誦経が修された。(『日本紀略』)
6月4日 御葬送
康保四年(967)6月4日辛酉、村上山陵において先帝(村上天皇)の御葬送が行われた。酉四刻に陰明門・宜秋門・殷富門を出発し、親王・公卿以下が供奉した。(『本朝世紀』)
6月9日 二七日御誦経/植樹
康保四年(967)6月9日丙寅、七ヶ所の寺において先帝(村上天皇)の二七日の御誦経が行われた。
また、左右衛門府に命じて先帝の山陵に樹を植えさせ、陵戸五畑を充てた。(『日本紀略』)
6月10日 御体御卜奏・月次祭・神今食の停止/御修法
康保四年(967)6月10日丁卯、大納言藤原師尹が少外記大蔵弼邦に仰せて曰く、先帝(村上天皇)崩御の穢によって、御体御卜奏を停止すること、翌日に予定されていた月次祭・神食祭を停止することになった。
また、弘徽殿において息災調伏のための御修法が行われた。(『本朝世紀』)
6月11日 大祓
康保四年(967)6月11日戊辰、月次祭・神今食の停止により、八省院において大祓が行われた。(『日本紀略』)
6月16日 三七日御誦経/錫紵を除く
康保四年(967)6月16日癸酉、三七日の御誦経の使いが立てられた。
また、酉の刻に冷泉天皇は錫紵を除かれた。(『本朝世紀』)
6月17日 六月祓の停止
康保四年(967)6月17日甲戌、先帝崩御の穢により、三局の六月祓が停止となった。(『本朝世紀』)
6月23日 四七日御誦経
康保四年(967)6月23日庚辰、七ヶ所の寺における御誦経の使者が立てられた。(『本朝世紀』)
6月30日 五七日御誦経
康保四年(967)6月30日丁亥、親王・院司が冷泉院において五七日の御誦経を修された。(『日本紀略』)
7月6日 六七日御誦経
康保四年(967)7月6日癸巳、七ヶ所の寺における六七日の御誦経の使者が立てられた。(『日本紀略』)
7月14日 七七日御斎会
康保四年(967)7月14日辛丑、清涼殿において先帝の七七日の御斎会が修された。(『本朝世紀』)
6月
6月1日 日食
康保四年(967)6月1日戊午、日食であった。廃務になった。(『日本紀略』)
6月10日 蔵人頭補任
康保四年(967)6月10日丁卯、左京大夫藤原兼家が蔵人頭に補任した。(『本朝世紀』)
6月16日 帯剣
康保四年(967)6月16日癸酉、式部卿元長親王・弾正尹章明親王・左大臣藤原実頼・右大臣源高明が帯剣を許された。(『日本紀略』)
6月22日 藤原実頼が関白になる
康保四年(967)6月22日己卯、左大臣藤原実頼を関白にするとの詔書があった。大内記高階成忠が詔書を草した。(『本朝世紀』)
村上天皇の御代は、はじめは貞信公(藤原忠平)が関白を務めていたが、貞信公がお亡くなりになってからは左大臣の小野宮殿(藤原実頼)がただの左大臣として政治のことを行っていた。その後、冷泉天皇が御即位なさってただちに関白の詔が下った。その時の天皇の御器量によって任命されたりされなかったりするのである。(『愚管抄』)
6月23日 政始の勘申
康保四年(967)6月23日庚辰、菅野正統が左大臣藤原実頼に申して、陰陽師安倍晴明を召して政始の日時勘文を進めさせた。7月15日になった。(『本朝世紀』)
7月15日 政始
康保四年(967)7月15日壬寅、政始があった。申文があった。(『本朝世紀』)
7月
7月9日 延喜式の頒行
康保四年(967)7月9日丙申、延喜式の頒行が始められた。(『日本紀略』)
7月16日 除目
康保四年(967)7月16日癸卯、右大臣源高明が参入した。また、復任の除目があった。
また、右中弁藤原済時が蔵人頭に補任した。(『本朝世紀』)
7月22日 藤原実頼の嘆き
康保四年(967)7月22日、左衛門督(藤原師氏)がまた来て言ったことには「今日、殿上の辺りの渡殿に伺候しました。放歌の御声は非常に高いものでした。その御歌は、子奈良波でした」という。近衛の官人は皆、御声を承る。明日、除目があるということだ。「このようなときに、どうして公事を行うのか」という。往古より武猛・暴悪の王は聞いたことがあるが、未だ狂乱の君主を聞いたことはない。このような時にも、外戚不善の輩は競って昇進の望みを為す。左衛門督が言ったことには「藤納言(藤原伊尹)は、大納言を望みました」という。夜に入った後、右少将(藤原)為光朝臣が来て言ったことには「明日の除目は一昨、右大将(藤原師尹)と藤納言(藤原在衡)が議定し終わったことを伝え承りました」という。名ばかりの関白など、早く停止されるべきだ。(『清慎公記』)
7月29日 藤原芳子 卒去
康保四年(967)7月29日丙辰、先帝(村上天皇)の女御従四位下藤原芳子が卒去された。(『日本紀略』)
8月
8月2日 御即位後の諸社奉幣の例
康保四年(967)8月2日戊午、蔵人頭藤原兼家が外記に仰せて曰く、御即位後の諸社奉幣の例を勘申するようにとのことだった。延長八年十一月の例を勘申した。(『本朝世紀』)
8月4日 諸社読経/宗子内親王
康保四年(967)8月4日庚申、諸社において御即位の平安が祈られた。(『本朝世紀』)
また、皇女宗子が内親王となった。(『日本紀略』)
8月9日 御即位供奉の親王が定められる
康保四年(967)8月9日乙丑、来る9月21日の御即位の儀に供奉する親王以下五位以上の者が定められた。(『本朝世紀』)
8月11日 定考
康保四年(967)8月11日丁卯、定考が行われた。(『日本紀略』)
8月25日 季御読経
康保四年(967)8月25日辛巳、八省院において季御読経が始められた。(『日本紀略』)
8月28日 結願
康保四年(967)8月28日甲申、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
8月26日 光孝天皇国忌
康保四年(967)8月26日壬午、光孝天皇の国忌であった。(『日本紀略』『本朝世紀』)
9月
9月1日 守平親王が皇太弟になる
康保四年(967)9月1日丙戌、先帝の第五皇子守平親王が皇太弟に立てられた。御年9歳。(『日本紀略』)
9月3日 御燈の停止
康保四年(967)9月3日戊子、諒闇によって御燈は行われなかったが、諸司は廃務であった。(『日本紀略』『本朝世紀』)
9月4日 昌子内親王が皇后になる/藤原懐子が女御になる/皇女尊子が内親王になる
康保四年(967)9月4日己丑、三品昌子内親王が皇后になり、宮司の任命が行われた。
また、藤原懐子が女御となった。(『日本紀略』)
藤原伊尹の娘懐子は冷泉院の御代の女御で、花山院の御母で亡くなられた後に贈皇后の宮におなりになった。(『大鏡』)
第二皇女尊子が内親王になった。(『日本紀略』)
9月9日 天変
康保四年(967)9月9日甲午、酉の刻に布のような形の黒雲が現れて、南北から西方に渡って見えた。戌の刻には青い虹が現れた。亥の刻には月のような流星が現れ、艮の方角から坤の方角へ渡っていった。(『日本紀略』)
9月10日 天変
康保四年(967)9月10日乙未、卯の刻に布のような黄色い雲が現れた。南北から東方へ渡っていった。(『日本紀略』)
9月13日 大赦
康保四年(967)9月13日戊戌、詔書により大赦があった。流星の変異によるものである。(『日本紀略』)
9月19日 伊勢例幣
康保四年(967)9月19日甲辰、天変により、伊勢大神宮などの14社に奉幣することになった。臨時奉幣使が立てられた。(『本朝世紀』)
9月11日 伊勢例幣の延期
康保四年(967)9月11日丙申、触穢によって伊勢例幣が延期となった。よって、大祓があった。(『日本紀略』『本朝世紀』)
9月29日 醍醐天皇国忌
康保四年(967)9月29日甲寅、醍醐天皇の国忌であった。(『日本紀略』)
10月
10月2日 太元帥法
康保四年(967)10月2日丁巳、天変により法琳寺別当円照が太元帥法を修した。(『太元帥法秘抄』)
10月5日 御即位の報告/藤原実頼が牛車を許される
康保四年(967)10月5日庚申、諸々の山陵に御即位の由が告げられた。(『日本紀略』)
また、関白左大臣藤原実頼が牛車に乗って上東門を出入りすることが許された。(『日本紀略』)
10月7日 除目
康保四年(967)10月7日壬戌、左大臣藤原実頼の職曹司において除目の儀が行われた。(『日本紀略』)
10月11日 御即位の儀
康保四年(967)10月11日丙寅、紫宸殿において冷泉天皇の即位式が行われた。体調不良により、大極殿にはお出ましにならなかった。(『日本紀略』)左大臣藤原実頼・右大臣源高明らが参入した。(『本朝世紀』)
冷泉天皇の御即位は、内裏紫宸殿において行われた。天皇は普通ではなかったので、大極殿において儀式が行われていたらきっと見苦しいものになっただろう。小野宮殿(藤原実頼)の高名はまさにこのことである。(『古事談』)
10月17日 女叙位
康保四年(967)10月17日壬申、女叙位があった。(『本朝世紀』)
10月18日 仁王経御読経定
康保四年(967)10月18日癸酉、来たる23日の大極殿・紫宸殿の両所における仁王経御読経のことが定められた。(『本朝世紀』)
11月
11月12日 春日祭・平野祭
康保四年(967)11月12日丙申、春日・平野祭が行われた。中納言藤原伊尹が春日社に参詣した。(『日本紀略』『本朝世紀』)
11月18日 鎮魂祭・中宮鎮魂祭
康保四年(967)11月18日壬寅、内裏並びに中宮において鎮魂祭が行われた。(『日本紀略』)
11月19日 新嘗祭を所司に託す
康保四年(967)11月19日癸卯、廃務であった。諒闇につき新嘗祭を所司に託されたことによる。(『本朝世紀』)
11月21日 東宮鎮魂祭の停止
康保四年(967)11月21日乙巳、諒闇により東宮鎮魂祭は停止となった。(『本朝世紀』)
11月29日 故藤原安子に贈皇太后
康保四年(967)11月29日癸丑、村上天皇の皇后故藤原安子に皇太后が贈られた。(『本朝世紀』)
12月
12月1日 昌子内親王参内
康保四年(967)12月1日乙卯、皇后昌子内親王が参内した。(『日本紀略』)
12月11日 月次祭・神今食
康保四年(967)12月11日乙丑、月次祭・神今食が行われた。(『日本紀略』『本朝世紀』)
12月13日 任大臣
康保四年(967)12月13日丁卯、大臣の任命があった。左大臣藤原実頼が太政大臣に、右大臣源高明が左大臣に、大納言藤原師尹が右大臣兼蔵人所別当に補任した。また、源高明と藤原師尹が輦車を許された。(『日本紀略』『本朝世紀』)
この日、太政大臣藤原実頼と右大臣藤原師尹の任大臣大饗があった。(『日本紀略』)
12月17日 熾盛光法
康保四年(967)12月17日辛未、この日から七日間に渡り麗景殿において熾盛光法が修された。12月26日に予定されている冷泉天皇の遷御のためである。(『日本紀略』)
12月19日 大般若経転読
康保四年(967)12月19日癸酉、この日から三日間に渡り麗景殿において大般若経の転読が行われた。来たる26日に行われる遷御のためである。(『日本紀略』)
12月19日 藤原実頼が随身兵仗を賜る
康保四年(967)12月19日癸酉、勅によって太政大臣藤原実頼は内舎人・左右近衛を賜った。大内記高階成忠が勅書を作成した。(『日本紀略』)
12月23日 光仁天皇国忌
康保四年(967)12月23日丁丑、光仁天皇の国忌であった。(『日本紀略』)
12月26日 荷前/麗景殿遷御
康保四年(967)12月26日庚辰、荷前使が立てられた。
この日、冷泉天皇は襲芳舎から麗景殿にお移りになった。(『日本紀略』)
+ 康保五年/安和元年(968)の年表を見る
康保五年/安和元年(968)
1月
1月1日 節会の停止
康保五年(968)1月1日乙酉、諒闇により節会は停止となった。七曜暦及び腹赤、氷様が内侍所に託された。吉野国栖所が内膳司に菓子を託した。(『日本紀略』)
1月4日 藤原穏子国忌
康保五年(968)1月4日戊子、藤原穏子の国忌であった。(『日本紀略』)
1月7日 節会の停止
康保五年(968)1月7日辛卯、節会が停止となった。御弓奏が内侍所に託された。(『日本紀略』)
1月8日 御斎会
康保五年(968)1月8日壬辰、御斎会が始められた。(『日本紀略』)
1月14日 結願
康保五年(968)1月14日戊戌、御斎会が結願した。(『日本紀略』)
1月10日 除目
康保五年(968)1月10日甲午、除目が始められた。(『日本紀略』)
1月17日 延喜式請印
康保五年(968)1月17日辛丑、諸卿が結政座に着座した。延喜式の請印が行われた。(『日本紀略』)
2月
2月2日 大原野祭
康保五年(968)2月2日乙卯、大原野祭が行われた。(『日本紀略』)
2月4日 祈年祭/風雷
康保五年(968)2月4日丁巳、祈年祭が行われた。
夜、激しい風と雷があった。(『日本紀略』)
2月5日 官奏御覧/直物
康保五年(968)2月5日戊午、左大臣源高明が官奏に候した。冷泉天皇は初めて官奏をご覧になった。また、直物があった。(『日本紀略』)
2月7日 春日祭の延期
康保五年(968)2月7日庚申、職御曹司における犬の死穢によって春日祭が延期となった。(『日本紀略』)
2月19日 春日祭
康保五年(968)2月19日壬申、春日祭が行われた。右近中将藤原兼家が使者を務めた。(『日本紀略』)
2月11日 列見の延期
康保五年(968)2月11日甲子、弁官が参らなかったため、列見が延期となった。(『日本紀略』)
2月17日 列見
康保五年(968)2月17日庚午、列見が行われた。宴座・穏座はなかった。(『日本紀略』)
2月12日 園・韓神祭の延期
康保五年(968)2月12日乙丑、上卿が参らなかったので園・韓神祭は延期となった。次の丑の日に行うことになった。(『日本紀略』)
2月24日 園・韓神祭
康保五年(968)2月24日丁丑、園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
2月14日 小野好古 薨去
康保五年(968)2月14日丁卯、致仕参議従三位大宰大弐小野好古が薨去された。享年85歳。(『日本紀略』)
2月20日 御即位後の改元・大嘗祭の例
康保五年(968)2月20日癸酉、大外記菅野正統は太政大臣藤原実頼の仰せによって御即位後に改元並びに大嘗会・一代一度の仁王会・大奉幣が行われた例を勘申した。昌泰・承平・天暦の例があった。(『本朝世紀』)
2月23日 村上御陵詣
康保五年(968)2月23日丙子、太政大臣藤原実頼並びに右大臣藤原師尹は村上御陵に参詣した。また、実頼は般若寺にも参詣した。(『日本紀略』)
3月
3月3日 御燈
康保五年(968)3月3日丙戌、御燈があった。廃務であった。
『水心記』曰く、諒闇のため御燈は奉られなかった。
3月17日 桓武天皇国忌
康保五年(968)3月17日庚子、桓武天皇の国忌であった。(『日本紀略』)
3月19日 季御読経
康保五年(968)3月19日壬寅、季御読経が始められた。(『日本紀略』)
3月22日 結願
康保五年(968)3月22日乙巳、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
3月21日 仁明天皇国忌
康保五年(968)3月21日甲辰、仁明天皇の国忌であった。(『日本紀略』)
4月
4月1日 旬平座
康保五年(968)4月1日癸丑、諸卿が着陣した。厨が餞を設けた。(『日本紀略』)
4月4日 広瀬・龍田祭
康保五年(968)4月4日丙辰、広瀬・龍田祭が行われた。(『日本紀略』)
4月7日 擬階奏の延期/地震
康保五年(968)4月7日己未、式部輔が障りを申したので擬階奏は延期となった。
午の刻、地震があった。(『日本紀略』)
4月8日 平野祭
康保五年(968)4月8日庚申、平野祭が行われた。(『日本紀略』『本朝世紀』)
4月15日 臨時奉幣
康保五年(968)4月15日丁卯、臨時奉幣があった。(『日本紀略』)
4月21日 賀茂祭
康保五年(968)4月21日癸酉、賀茂祭があった。諒闇により歌舞はなかった。斎王がなかったことにより、次第司はなかった。中宮昌子内親王の使い・宮司は障りを申したので、散位源正雅が代官を務めた。(『日本紀略』)
4月29日 藤原安子国忌/臨時御読経
康保五年(968)4月29日辛巳、藤原安子の国忌であった。
この日、清涼殿において臨時御読経が修された。(『日本紀略』)
5月
5月20日 周忌御斎会/雨・洪水
康保五年(968)5月20日壬寅、雲林院において先帝の周忌御斎会が行われた。四品盛明親王、右大臣藤原師尹らが参った。
雨が降り、洪水になった。(『日本紀略』)
5月25日 周忌御法事
康保五年(968)5月25日丁未、天台山大日院において先帝の周忌御法事が行われた。親王・女御が諷誦を修された。右大臣藤原師尹らが参った。(『日本紀略』)
5月26日 河水氾濫
康保五年(968)5月26日戊申、河の水が氾濫した。行き来できないほどであった。(『日本紀略』)
5月27日 大祓/魚味
康保五年(968)5月27日己酉、諒闇が終わり朱雀門において大祓が行われた。申一刻に音楽の演奏があり、御膳に魚味が供された。(『日本紀略』)
6月
6月1日 禁色・雑袍宣旨
康保五年(968)6月1日癸丑、殿上人に禁色・雑袍を許す宣旨が下された。(『日本紀略』)
6月5日 官奏
康保五年(968)6月5日丁巳、冷泉天皇の体調不良により、太政大臣藤原実頼が官奏を行った。(『日本紀略』)
6月14日 御悩
康保五年(968)6月14日丙寅、この頃冷泉天皇は体調がすぐれない。(『日本紀略』)
6月11日 月次祭・神今食
康保五年(968)6月11日癸亥、月次祭・神今食が行われた。冷泉天皇は御物忌のため、神嘉殿にお出ましにならなかった。神祇官において行われた。(『日本紀略』)
6月14日 藤原実頼、度者を賜る
康保五年(968)6月14日甲子、太政大臣藤原実頼は病を患ったので、度者30人を賜った。(『日本紀略』)
6月29日 大祓/藤原胤子国忌
康保五年(968)6月29日辛見、大祓が行われた。(『小右記』寛弘九年6月27日条)
また、藤原胤子の国忌であった。(『日本紀略』)
7月
7月3日 軒廊御卜
康保五年(968)7月3日甲申、霖雨によって軒廊御卜が行われた。(『日本紀略』)
7月4日 広瀬・龍田祭
康保五年(968)7月4日乙酉、広瀬・龍田祭が行われた。(『日本紀略』)
7月25日 周忌法事
康保五年(968)7月25日丙午、法性寺において先帝の女御藤原芳子の周忌法事が修された。(『日本紀略』)
7月27日 月と太白の相犯
康保五年(968)7月27日戊申、月と太白が相犯した。(『日本紀略』)
7月30日 相撲召合
康保五年(968)7月30日辛亥、相撲召合があった。(『日本紀略』)
8月
8月4日 宗子内親王、叙位/地震
康保五年(968)8月4日乙卯、宗子内親王が四品に叙された。(『一代要記』)
子の刻に地震があり、鳥獣が驚き鳴いた。(『日本紀略』)
8月6日 釋奠
康保五年(968)8月6日丁巳、釋奠が行われた。(『日本紀略』)
8月7日 定考の延期
康保五年(968)8月7日戊午、季御読経により定考が延期となった。(『日本紀略』)
8月13日 定考
安和元年(968)8月13日甲子、定考が行われた。(『日本紀略』)
8月13日 改元
康保五年(968)8月13日甲子、元号が康保から安和へ改元された。文章博士藤原後生が勘申した。(『改元部類記』)
8月15日 作詔
安和元年(968)8月13日甲子、大内記高階成忠が詔書を作成した。(『日本紀略』)
8月19日 白虹が天に渡る
安和元年(968)8月19日庚午、白虹が天に渡っていた。(『日本紀略』)
8月26日 光孝天皇国忌
安和元年(968)8月26日丁丑、光孝天皇の国忌であった。(『日本紀略』)
8月29日 大祓
安和元年(968)8月29日庚辰、大嘗祭により、朱雀門において大祓が行われた。(『日本紀略』)
9月
9月1日 盗人
安和元年(968)9月1日辛巳の夜、盗人が内裏の御蔵に侵入した。(『日本紀略』)
9月3日 御燈の停止
安和元年(968)9月3日癸未、御燈は停止となったが、廃務であった。(『日本紀略』)
御燈の停止は、外記賀茂連量が先例を勘申した。通例では、大嘗会が行われる年は9月3日の御燈を停止することになっているとして、『三代実録』の例を挙げた。(『小右記』寛弘八年〈1011〉9月1日条)
9月5日 東宮童相撲/藤原頼忠、東宮昇殿
安和元年(968)9月5日乙酉、昭陽舎において東宮童相撲が行われた。(『日本紀略』)
この日、中納言従三位藤原頼忠が東宮昇殿を許された。(『公卿補任』)
9月8日 十六社奉幣
安和元年(968)9月8日戊子、十六社へ奉幣が行われた。左大臣源高明がこれを行った。(『日本紀略』)
9月9日 重陽平座
安和元年(968)9月9日己丑、右大臣藤原師尹らが参った。冷泉天皇はお出ましにならなかった。(『日本紀略』)宜陽殿の西廂において、侍従以上が菊酒を賜った。(『西宮記』)
9月14日 小除目
安和元年(968)9月14日甲午、小除目が行われた。(『日本紀略』)
9月23日 石清水臨時祭/大祓/藤原元輔、蔵人頭に補任
安和元年(968)9月23日癸卯、石清水臨時祭が行われた。左近中将藤原兼家が祭使を務めた。
また、大嘗祭により大祓が行われた。(『日本紀略』)
この日、左近衛中将藤原元輔が蔵人頭に補任した。(『公卿補任』)
9月29日 醍醐天皇国忌
安和元年(968)9月29日己酉、醍醐天皇の国忌であった。(『日本紀略』)
10月
10月1日 旬
安和元年(968)10月1日辛亥、旬があった。(『日本紀略』)
10月2日 直物
安和元年(968)10月2日壬子、左大臣源高明らが参入し、直物が行われた。(『日本紀略』)
10月5日 御読経
安和元年(968)10月5日乙卯、清涼殿において御読経が行われた。(『日本紀略』)
10月8日 結願
安和元年(968)10月8日戊午、御読経が結願した。(『日本紀略』)
10月8日 清涼殿遷御/藤原頼忠 昇殿
安和元年(968)10月8日戊午、戌二刻に冷泉天皇が麗景殿から清涼殿へお移りになった。(『日本紀略』)
この日、中納言従三位藤原頼忠が昇殿を許された。(『公卿補任』)
10月14日 藤原超子 入内
安和元年(968)10月14日甲子、藤原兼家の娘超子が入内した。(『日本紀略』)
10月26日 大嘗祭御禊/師貞親王
安和元年(968)10月26日丙子、冷泉天皇は賀茂川において御禊を行われた。大嘗祭によるものである。(『日本紀略』)
冷泉天皇には物の怪が執念深く取り憑いていると人々に心配されていたが、一代一度の大嘗会の御禊には故九条殿(藤原師輔)が冷泉天皇の守護霊となり付き添っていた。それでもなお、藤原元方の怨霊などは前世からの応報であったため、追い払うことができなかった。(『大鏡』)
この日、女御藤原懐子が第一皇子(師貞親王:後の花山天皇)を出産した。(『日本紀略』)
この天皇は安和元年10月26日、母方の御祖父(藤原伊尹)の一条第にてお生まれになったとあるのは、世尊寺のことだろうか。その日は冷泉天皇が御即位なさった際の大嘗会の御禊が行われたときだった。(『大鏡』)
11月
11月5日 平野祭・春日祭
安和元年(968)11月5日甲申、平野祭・春日祭が行われた。(『日本紀略』)
11月11日 藤原兼通、禁色
安和元年(968)11月11日庚寅、内蔵頭藤原兼通が禁色を許された。(『日本紀略』)
11月13日 郡司読奏の延期
安和元年(968)11月13日壬辰、郡司読奏が延期となった。式部丞が参らなかったことによる。(『日本紀略』)
12月9日 郡司読奏
安和元年(968)12月9日丁巳、郡司読奏が行われた。(『日本紀略』)
11月21日 伊勢奉幣使発遣
安和元年(968)11月21日庚子、冷泉天皇が八省院にお出ましになり、伊勢奉幣使が遣わされた。(『日本紀略』)大嘗会を行うべきことを報告した。(『北山抄』)
11月22日 園・韓神祭/叙位
安和元年(968)11月22日辛丑、園・韓神祭が行われた。
また、太政大臣藤原実頼の職曹司において叙位の儀が行われた。(『日本紀略』)
11月23日 五節舞姫試
安和元年(968)11月23日壬寅、常寧殿において五節試が行われた。(『日本紀略』)
11月24日 大嘗祭/叙位
安和元年(968)11月24日癸卯、戌の刻に冷泉天皇は八省院にお移りになり、大嘗会が行われた。叙位があった。(『日本紀略』)
11月25日 辰日節会
安和元年(968)11月25日甲辰、寅の刻に冷泉天皇家は八省院から豊楽院小安殿にお移りになった。為平・廣平・盛明親王、左大臣源高明らが伺候した。(『日本紀略』)
11月26日 巳日節会
安和元年(968)11月26日乙巳、巳の刻に冷泉天皇がお出ましになった。(『日本紀略』)
11月27日 午日節会/叙位
安和元年(968)11月27日丙午、冷泉天皇は豊楽院小安殿にお出ましになった。(『日本紀略』)
12月
12月1日 日食/賀茂臨時祭の延期
安和元年(968)12月1日己酉、日食により廃務になった。(『日本紀略』)また、賀茂臨時祭が延期となった。(『日本紀略』)
12月13日 賀茂臨時祭
安和元年(968)12月13日辛酉、賀茂臨時祭が行われた。(『日本紀略』)
12月3日 天智天皇国忌
安和元年(968)12月3日辛亥、天智天皇の国忌であった。(『日本紀略』)
12月7日 藤原怤子及び藤原超子が女御になる
安和元年(968)12月7日乙卯、藤原怤子及び藤原超子が女御となった。(『日本紀略』)
12月11日 月次祭・神今食
安和元年(968)12月11日己巳、月次祭・神今食が行われた。(『日本紀略』)
12月14日 荷前使及び元日侍従を定める
安和元年(968)12月14日壬戌、荷前使並びに元日侍従が定められた。(『日本紀略』)
12月16日 除目
安和元年(968)12月16日甲子、職曹司において除目の儀が行われた。(『日本紀略』)
12月20日 中務省籍倉焼亡
安和元年(968)12月20日戊申の夜、中務省籍御倉で火災があった。(『日本紀略』)
12月22日 皇子師貞が親王になる
安和元年(968)12月22日庚午、第一皇子師貞が親王となった。(『日本紀略』)
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安和二年(969)
1月1日
1月1日 節会/卯杖
安和二年(969)1月1日己卯、節会・卯杖が行われた。(『日本紀略』)
1月2日 二宮大饗/太政大臣遊宴
安和二年(969)1月2日庚辰、東宮(守平親王)の大饗が行われた。(『日本紀略』)
また、太政大臣藤原実頼第に源高明以下が皆悉く来た。数度の盃の後、いささか管弦の興があった。調弦がまだ終わっていないのに、皆涙を拭っていた。これは、先皇(村上天皇)の御代を追憶して演奏したものだったからである。数曲演奏した後、暗くなったので解散した。(『清慎公記』)
村上天皇が崩御された翌年の正月、藤原実頼の屋敷で宴が催された。人々が和歌を読んだり歌曲を歌ったりしていると「先帝がいらっしゃればなあ」と言って、皆袖を濡らした。(『大鏡』)
1月7日 節会/藤原為輔 昇殿
安和二年(969)1月7日乙酉、節会が行われた。(『日本紀略』)
参議従四位上藤原為輔が昇殿を許された。(『公卿補任』)
1月8日 御斎会
安和二年(969)1月8日丙戌、御斎会が始められた。
1月14日 結願
安和二年(969)1月14日壬辰、御斎会が結願した。紫宸殿において内論議が行われた。(『日本紀略』)
1月11日 右大臣大饗
安和二年(969)1月11日己丑、右大臣藤原師尹の大饗があった。二条院において宴席の場が設けられた。親王以下が参った。(『日本紀略』)
1月16日 女踏歌
安和二年(969)1月16日甲午、女踏歌が行われた。(『日本紀略』)
1月17日 射礼の延期
安和二年(969)1月17日乙未、諸卿が参らなかったので射礼が延期となった。(『日本紀略』)
『西宮記』では雨によって延期になったとされている。
1月19日 射礼
安和二年(969)1月19日丁酉、射礼が行われた。(『日本紀略』)
1月20日 賭弓
安和二年(969)1月20日戊戌、賭弓が行われた。冷泉天皇がお出ましになった。左大臣源高明らが参入した。(『日本紀略』)
1月22日 政始/除目
安和二年(969)1月22日庚子、政始があった。右大臣藤原師尹以下が参った。
この日、太政大臣藤原実頼の職曹司において除目が始められた。(『日本紀略』)
2月
2月4日 祈年祭
安和二年(969)2月4日辛亥、祈年祭が行われた。(『日本紀略』)
2月5日 藤原実頼・藤原伊尹の子の日遊
安和二年(969)2月5日壬子、太政大臣藤原実頼は子の日遊を行った。清原元輔・藤原頼忠が和歌を詠んだ。藤原伊尹も子の日遊を行った。(『元輔集』)
2月7日 除目/藤原師尹の家人と藤原兼家の家人の闘乱
安和二年(969)2月7日甲寅、除目が行われた。左大臣源高明がこれを行った。
この日、右大臣藤原師尹の家人と中納言藤原兼家の家人が闘乱を起こした。師尹の家人が兼家の家を打ち壊した。(『日本紀略』)
2月11日 列見/女官除目
安和二年(969)2月11日戊午、列見・女官除目が行われた。(『日本紀略』)
2月14日 直物
安和二年(969)2月14日辛酉、直物が行われた。(『日本紀略』)
2月18日 園・韓神祭
安和二年(969)2月18日乙丑、園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
2月19日 昭陽舎焼亡
安和二年(969)2月19日丙寅、昭陽舎に放火のことがあった。(『日本紀略』)
3月11日 東宮遷御
安和二年(969)3月11日戊子、東宮(守平親王)が昭陽舎から凝華舎にお移りになった。(『日本紀略』)
2月22日 藤原実資 元服
安和二年(969)2月22日己巳、藤原実資が元服した。(『公卿補任』)
3月
3月5日 季御読経
安和二年(969)3月5日壬午、季御読経が始められた。(『日本紀略』)
3月8日 結願
安和二年(969)3月8日乙酉、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
3月15日 一代一度の仁王会
安和二年(969)3月15日壬辰、一代一度の仁王会が行われた。(『日本紀略』)
3月17日 石清水臨時祭
安和二年(969)3月17日甲午、石清水臨時祭が行われた。藤原兼家が祭使を務めた。(『江談抄』)
3月25日 安和の変
安和二年(969)3月25日壬寅、左大臣兼左近衛大将源高明が太宰外帥に左遷され、右大臣藤原師尹が左大臣に、大納言藤原在衡が右大臣になった。左馬助源満仲・前武蔵介藤原善時らが中務少輔橘敏延・連茂らの謀反の由を密告した。右大臣以下の諸卿がたちまち参入し、諸陣三寮の警固が行われた。諸門の出入りが禁じられ、検非違使が敏延・僧連茂を捕えた。(『日本紀略』)
3月26日 源高明 出家
安和二年(969)3月26日癸卯、源高明が出家した。(『日本紀略』)
3月27日 謀反密告の褒賞
安和二年(969)3月27日甲辰、謀反密告の褒賞の叙位が行われた。源満仲が正五位下に、藤原善時が従五位下に叙された。(『日本紀略』)
4月9日 大祓
安和二年(969)4月9日丙辰、謀反・流罪のことによって、建礼門前で大祓が行われた。(『日本紀略』)
4月17日 山陵使発遣
安和二年(969)4月17日甲子、謀反のことによって、山陵使が発遣された。(『日本紀略』)
また、兵賊を鎮めるため法琳寺別当円照が太元帥法を修した。(『太元帥法秘抄』)
4月
4月1日 旬の停止/冷泉院南門顛倒/西宮第焼亡
安和二年(969)4月1日戊申、警固により旬は停止となった。
この日、冷泉院南門が倒れた。牛一頭が死んだ。
午の刻、源高明の西宮家で火災があった。(『日本紀略』)
4月6日 大神祭使の発遣
安和二年(969)4月6日癸牛、大神祭使右近将監藤原懐遠が舞人近衛を率いて左衛門陣に参った。突然宣旨があり、懐遠を召し入った。(『日本紀略』)
4月7日 擬階奏
安和二年(969)4月7日甲寅、擬階奏が行われた。左大臣藤原師尹がこれを行った。(『日本紀略』)
4月8日 灌仏
安和二年(969)4月8日乙卯、灌仏があった。導師が弟子の僧を率いて仙華門より参入した。(『親信卿記』)
4月11日 小除目
安和二年(969)4月11日戊午、小除目が行われた。(『日本紀略』)
4月14日 賀茂祭
安和二年(969)4月14日辛酉、賀茂祭が行われた。(『日本紀略』)
5月
5月2日 臨時御読経
安和二年(969)5月2日戊寅、大極殿において臨時御読経が行われた。(『日本紀略』)
5月5日 結願
安和二年(969)5月5日辛巳、臨時御読経が結願した。(『日本紀略』)
5月3日 親王・殿上人の従者の陣中出入りが許される
安和二年(969)5月3日己卯、左大臣藤原師尹が外記に仰せて曰く、親王以下外記・史・内記ならびに殿上人の使者は陣中より出入りすることを許すことになった。(『日本紀略』)
閏5月
閏5月1日 諸社奉幣使を定める
安和二年(969)閏5月1日丁未、諸社奉幣使が定められた。(『日本紀略』)
閏5月20日 除目
安和二年(969)閏5月20日丙寅、太政大臣藤原実頼の職曹司において除目が行われた。(『日本紀略』)
6月
6月5日 祈雨
安和二年(969)6月5日庚辰、丹生・貴船の両社に降雨を祈願した。(『日本紀略』)
6月19日 御卜
安和二年(969)6月19日甲午、干ばつによって御卜が行われた。(『日本紀略』)
6月24日 祈雨
安和二年(969)6月24日己亥、権少寛静が神泉苑において請雨経法を修した。また、陰陽博士文道光が北山において五龍祭を修した。小雨が降った。神仏の力によるものである。(『日本紀略』)
6月25日 祈雨御読経
安和二年(969)6月25日庚子、大極殿において祈雨御読経が修された。28日に結願した。(『日本紀略』)
6月10日 御体御卜奏
安和二年(969)6月10日乙酉、御体御卜奏が行われた。(『日本紀略』)
6月11日 月次祭・神今食
安和二年(969)6月11日丙戌、月次祭・神今食が行われた。(『日本紀略』)
6月23日 直物/小除目
安和二年(969)6月23日戊戌、直物・小除目が行われた。(『日本紀略』)
7月
7月3日 施米定
安和二年(969)7月3日戊申、施米定が行われた。(『日本紀略』)
7月4日 広瀬・龍田祭
安和二年(969)7月4日己酉、広瀬・龍田祭が行われた。(『日本紀略』)
7月18日 祈雨
安和二年(969)7月18日癸亥、十一社(木嶋・乙訓・水主・火雷・恩智・平岡・座摩・垂水・広田・長田・生田)へ奉幣があり、降雨の祈願が行われた。(『日本紀略』『北山抄』)
7月21日 藤原師尹五十賀
安和二年(969)7月21日丙寅、蔵人頭右近衛中将藤原済時は法性寺において法会を修し、藤原師尹の五十算を祝った。(『日本紀略』)
7月22日 大風暴雨
安和二年(969)7月22日戊辰の夜、暴風雨があった。(『日本紀略』)
7月23日 建物の倒壊
安和二年(969)7月23日戊辰、風はなお止まず、厨家の南門・内豎所庁・兵庫寮南門・典薬寮南門・式部省録曹司・神祇官舎・大炊・大膳雑舎などが顛倒した。(『日本紀略』)
8月
8月2日 釋奠
安和二年(969)8月2日丁丑、釋奠が行われた。(『日本紀略』)
8月8日 法性寺法会
安和二年(969)8月8日癸未、太政大臣藤原実頼は法性寺において法会を修された。(『日本紀略』)
8月11日 定考の延期
安和二年(969)8月11日丙戌、定考が延期となった。(『日本紀略』)
8月13日 御譲位
安和二年(969)8月13日戊子、冷泉天皇は守平親王に御譲位なさった。在位二年。(『日本紀略』)