平安時代の年表:村上天皇の御代、康保元年(964)7月10日から康保四年(967)5月25日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。
村上天皇時代の年表(康保)
+ 康保元年(964)の年表
康保元年(964)
7月
7月10日 改元
康保元年(964)7月10日癸未、応和四年から康保元年へ改元が行われた。甲子革令によるものである。大祓があった。(『日本紀略』)
応和四年(964)6月4日、左大臣藤原実頼第において改元の議論がなされた。天文博士賀茂保憲が時原長列の勘文を覆勘して曰く、今年は甲子の年に当たるため、災いを鎮め徳を施すために改元が必要だということだった。(『応和四年甲子革令勘文』)
文章博士菅原文時・藤原後生が新元号の字を勘申した。(『改元宸記』)
甲子革令
陰陽道において、甲子の年は政治的な変革が起こるため、それを防ぐために改元が必要と考えられていた。応和四年は、甲子に当たる年であった。
7月30日 大祓
康保元年(964)7月30日癸卯、建礼門において大祓が行われた。皇后藤原安子が崩御された後、村上天皇の御心喪から三ヶ月が経過したことによる。(『日本紀略』)
8月
8月4日 釋奠
康保元年(964)8月4日丁未、釋奠が行われた。(『日本紀略』)
8月10日 季御読経
康保元年(964)8月10日癸丑、季御読経が始められた。(『日本紀略』)
8月11日 定考
康保元年(964)8月11日甲寅、定考が行われた。(『日本紀略』)
8月15日 直物
康保元年(964)8月15日戊午、直物が行われた。(『日本紀略』)
8月21日 海若祭/選子内親王
康保元年(964)8月21日甲子、天文博士賀茂保憲は摂津国難波浦において海若祭を修した。(『革暦類』)
また、皇女選子が内親王に定められた。御年1歳。(『日本紀略』)
9月
9月7日 豊受大神宮遷宮神宝使発遣
康保元年(964)9月7日己卯、豊受宮遷宮神宝使が発遣された。(『日本紀略』)
9月9日 行幸の日時勘申
康保元年(964)9月9日辛巳、天文博士賀茂保憲は村上天皇行幸の日時を勘申した。(『陰陽略記』)
9月11日 伊勢例幣/行幸の停止
康保元年(964)9月11日癸未、伊勢例幣があった。昨日内裏で犬の死穢があったので、宣命は奏されなかった。(『日本紀略』)行幸は停止となった。(『北山抄』)
10月
10月1日 旬
康保元年(964)10月1日癸卯、旬が行われた。村上天皇が紫宸殿にお出ましになった。(『日本紀略』)故皇后藤原安子の御心喪により、音楽の演奏はなかった。(『春記』)
10月5日 残菊宴の停止
康保元年(964)10月5日丁未、故皇后藤原安子の崩御によって残菊宴は停止となった。(『日本紀略』)
10月16日 熾盛光法・火天供
康保元年(964)10月16日戊午、この日の夜から仁寿殿において内供奉十禅師良源が十五口の僧を伴い、七日間に渡り熾盛光法を修した。また、豊楽院において阿闍梨遍斅が五口の僧を伴い火天供を修した。また、天台山大日院において内供奉禅師陽生が熾盛光法を修した。天変災難によるものである。(『延喜天暦御記抄』)
10月19日 宗子誕生
康保元年(964)10月19日辛酉、憲平親王の更衣(藤原懐子)が一条第において女子(宗子)を出産した。(『日本紀略』)
11月
天徳四年(960)9月23日の内裏焼亡で紫宸殿の桜の木が枯れてしまったので、重明親王の家の木を移し植えた。(『禁秘抄』)
紫宸殿の桜の木は、元々は梅の木だった。桓武天皇が延暦十三年(794)に平安京遷都を行った際に植えられた。しかし、承和年間に枯れてしまった。そこで、仁明天皇が改めてお植えになった。その後、天徳四年(960)の内裏焼亡によって焼けてしまった。よって、内裏を再建したとき、重明親王の家の桜の木を移し植えたのだ。(その木は、元々吉野山の桜の木だったという。)橘の木は、元々ここに生えていた。平安京遷都以前、この地には橘大夫の家があったのだ。(『古事談』)
11月1日 御暦奏
康保元年(964)11月1日癸酉、御暦奏が行われた。村上天皇は障りによって紫宸殿にお出ましにならなかったので、内侍所に託された。(『西宮記』)
11月7日 小除目/東宮移御
康保元年(964)11月7日己卯、小除目が行われた。
この日、憲平親王は内裏から左近衛府にお出ましになった。新嘗祭の間、御重服によるものである。(『日本紀略』)
11月12日 春日祭・平野祭
康保元年(964)11月12日甲申、春日祭・平野祭が行われた。(『日本紀略』)
11月16日 大原野祭
康保元年(964)11月16日戊子、大原野祭が行われた。(『日本紀略』)
11月17日 園・韓神祭
康保元年(964)11月17日己丑、園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
11月18日 鎮魂祭
康保元年(964)11月18日庚寅、鎮魂祭が行われた。(『日本紀略』)
11月19日 新嘗祭
康保元年(964)11月19日辛卯、新嘗祭が行われた。村上天皇は御物忌によって中和院にお出ましにならなかった。(『日本紀略』)
11月20日 豊明節会
康保元年(964)11月20日壬辰、豊明節会が行われた。(『日本紀略』)
11月21日 浄蔵入寂
康保元年(964)11月21日、大法師浄蔵が入寂した。(『日本紀略』)
11月25日 賀茂臨時祭
康保元年(964)11月25日丁酉、賀茂臨時祭が行われた。(『日本紀略』)
11月30日 故重明親王、度者を賜る
康保元年(964)11月30日壬寅、故重明親王に度者三人を給わった。(『西宮記』)
12月
12月2日 一種物
康保元年(964)12月2日甲辰、諸卿は左近衛陣座において一種物を行った。(『日本紀略』)
12月10日 御体御卜奏
康保元年(964)12月10日壬子、御体御卜奏が行われた。(『日本紀略』)
12月17日 芥子焼八煩法
康保元年(964)12月17日己未、村上天皇の女御藤原芳子が飛香舎において陽雲法師に芥子焼八煩法を修させた。(『延喜天暦御記抄』)
12月18日 賑給
康保元年(964)12月18日庚申、左右両京に賑給が行われた。(『日本紀略』)
12月29日 追儺
康保元年(964)12月29日辛未、追儺が行われた。雨が降っていた。(『中右記』)
+ 康保二年(965)の年表
康保二年(965)
1月
1月1日 四方拝/節会
康保二年(965)1月1日壬申、式により三座を設けるべきところを、四ヶ所設けた。(『西宮記』)
この日、節会が行われた。(『日本紀略』)
1月6日 叙位
康保二年(965)丁丑、叙位の儀が行われた。(『日本紀略』)
1月7日 節会
康保二年(965)戊寅、節会が行われた。(『日本紀略』)
1月8日 御斎会
康保二年(965)1月8日己卯、御斎会が始められた。(『日本紀略』)
1月10日 諷誦
康保二年(965)1月10日辛巳、諸寺において諷誦が修された。去る五日の夜、星が月を犯したことによる。(『日本紀略』)
1月11日 太白星供/左大臣大饗
康保二年(965)1月11日壬午、この日から五日間に渡り、内供奉十禅師賀静が太白星供を修した。頻りに変異が起こっているからである。(『延喜天暦御記抄』)
この日、左大臣藤原実頼の大饗があった。(『日本紀略』)
1月12日 右大臣大饗
康保二年(965)1月12日癸未、右大臣藤原顕忠の大饗があった。(『日本紀略』)
1月15日 月食
康保二年(965)1月15日丙戌、皆既月食が起こった。(『日本紀略』)
1月17日 藤原朝光 昇殿
康保二年(965)1月17日戊子、藤原朝光が昇殿を許された。(『公卿補任』)
2月
この月、仁寿殿において天台座主喜慶が孔雀経法を修した。村上天皇の御悩を平滅するためである。(『天台座主記』)
2月1日 日食
康保二年(965)2月1日壬寅、日食があった。(『日本紀略』)
2月7日 春日祭/天変
康保二年(965)2月7日戊申、春日祭があった。
夜、南方の坤から艮にかけて客星が出現した。(『日本紀略』)
2月11日 列見
康保二年(965)2月11日壬子、列見が行われた。(『日本紀略』)
2月16日 大祓
康保二年(965)2月16日丁巳、大祓が行われた。明日仁王会が行われることによる。(『日本紀略』)
2月17日 仁王会
康保二年(965)2月17日戊午、仁王会が行われた。(『日本紀略』)
2月19日 直物/小除目
康保二年(965)2月19日庚申、直物ならびに小除目が行われた。(『日本紀略』)
2月27日 御卜
康保二年(965)2月27日戊辰、出羽国が「1月8日の未時、日の左右に両耀があり、虹がこれを貫いていました。また、白虹が東西に立っていました」と言上した。そこで、陰陽寮が御卜を行うことになった。(『日本紀略』)
3月
3月3日 御燈
康保二年(965)3月3日甲戌、御燈があった。(『日本紀略』)
3月4日 東宮参内
康保二年(965)3月4日乙亥、憲平親王が参内した。(『日本紀略』)
3月5日 植樹
康保二年(965)3月5日丙子、諸卿が陣座に著した。紫宸殿の前に改めて桜の樹が植えられた。詠歌があった。盃酒と管弦の興があった。少内記大江昌言が小序を作成した。権大納言藤原師尹らが仗座においてこれを行った。右近将監尾張安居が律呂舞を奉仕した。(『日本紀略』)
3月13日 射礼
康保二年(965)3月13日甲申、建礼門において射礼が行われた。(『日本紀略』)
3月14日 賭射
康保二年(965)3月14日乙酉、賭弓が行われた。(『日本紀略』)
3月16日 孔雀経法
康保二年(965)3月16日丁亥、この日の夜から七日間に渡り、仁寿殿において僧正寛空が二十口の僧とともに孔雀経法を修した。息災のためである。(『延喜天暦御記抄』)
3月20日 季御読経
康保二年(965)3月20日辛卯、季御読経が始められた。(『日本紀略』)
3月23日 結願/近江崇福寺焼亡
康保二年(965)3月23日甲午、季御読経が結願した。
丑の刻、崇福寺で失火があり、弥勒像ならびに堂舎がみな焼亡した。(『日本紀略』)
3月23日 東宮行啓
康保二年(965)3月23日甲午、憲平親王が左近衛府にお出ましになった。(『日本紀略』)
3月26日 五社奉幣
康保二年(965)3月26日丁酉、伊勢大神宮などの五社に諸社奉幣を行うことになった。村上天皇が八省院にお出ましになった後、諸社奉幣使が立てられた。(『日本紀略』)
4月
4月1日 旬平座
康保二年(965)4月1日辛丑、村上天皇は紫宸殿にお出ましにならなかった。故中宮(藤原安子)の御忌月による。宜陽殿において、御酒が振る舞われた。(『日本紀略』)
4月3日 周忌法会
康保二年(965)4月3日癸卯、左大臣藤原実頼は勤修寺において故室家従四位上藤原能子の周忌法会を修した。(『日本紀略』)
4月7日 擬階奏
康保二年(965)4月7日丁未、擬階奏が行われた。(『日本紀略』)
4月8日 平野祭
康保二年(965)4月8日戊申、平野祭が行われた。(『日本紀略』)
4月19日 官奏
康保二年(965)4月19日己未、午の刻に左大臣藤原実頼が参上し、官奏が行われた。(『西宮記』)
4月21日 賀茂祭
康保二年(965)4月21日辛酉、賀茂祭が行われた。(『日本紀略』)
4月24日 周忌御法会/藤原顕忠薨去
康保二年(965)4月24日甲子、法性寺において前中宮(藤原安子)の周忌御法会が行われた。
この日、右大臣従二位藤原顕忠が薨去された。享年68歳。正二位が贈られた。(『日本紀略』)
4月27日 周忌御法会
康保二年(965)4月27日丁卯、西寺において故中宮(藤原安子)の周忌御法会が行われた。また、憲平親王も同様に法性寺において法会を行った。(『日本紀略』)
5月
5月5日 御簾を上げる
康保二年(965)5月5日甲戌、御簾を上げた。(『日本紀略』)
5月24日 競馬・騎射御覧
康保二年(965)5月24日癸巳、村上天皇は朱雀院にお出ましになり、競馬が行われた。左右近衛射者各18人が打懸を著し、帯刀4人が小松摺衫を著した。(『日本紀略』)
6月
6月1日 賦詩
康保二年(965)6月1日庚子、侍臣に詩を賦させた。詩題は「窓下有清風」。戌の刻に雷電があった。(『日本紀略』)
6月7日 競馬・打毬御覧
康保二年(965)6月7日丙午、弘徽殿において村上天皇が競馬・打毬をご覧になった。(『日本紀略』)
6月11日 月次祭・神今食
康保二年(965)6月11日庚戌、月次祭・神今食が行われた。(『日本紀略』)
6月28日 御読経
康保二年(965)6月28日丁卯、御読経が始められた。(『日本紀略』)
7月2日 結願
康保二年(965)7月2日庚午、御読経が結願した。(『日本紀略』)
6月29日 節折
康保二年(965)6月29日戊辰の夜、東庇第三間において節折が行われた。御読経のところによる。(『江次第』)
7月
7月4日 広瀬・龍田祭/雅楽寮焼亡
康保二年(965)7月4日壬申、広瀬・龍田祭があった。
子の刻に雅楽寮の七間舎一字で失火があり、楽器がみな燃えてしまった。(『日本紀略』)
7月7日 乞巧奠
康保二年(965)7月7日乙亥、乞巧奠が行われた。詩宴があった。詩題は「雲衣含夕露」。(『日本紀略』)
7月21日 源満仲が御鷹飼になる
康保二年(965)7月21日己丑、蔵人頭延光曰く、左馬助源満仲、右近府生多公高、右近番長播磨貞理が御鷹飼になった。(『花鳥餘情』)
7月23日 諸社奉幣/雷鳴陣
康保二年(965)7月23日辛卯、伊勢大神宮以下16社へ奉幣が行われた。(『日本紀略』)
未の刻、雷鳴と大雨があったので、雷鳴陣が立てられた。(『西宮記』)
7月28日 相撲召合
康保二年(965)7月28日丙申、相撲召合が行われた。(『日本紀略』)
7月29日 追相撲
康保二年(965)7月29日丁酉、追相撲が行われた。(『日本紀略』)
8月
8月2日 猿楽御覧
康保二年(965)8月2日己亥、村上天皇は清涼殿前において猿楽を御覧になった。(『日本紀略』)
8月10日 釋奠
康保二年(965)8月10日丁未、釋奠が行われた。(『日本紀略』)
8月11日 内論議
康保二年(965)8月11日戊申、紫宸殿において釋奠の内論議が行われた。(『日本紀略』)
8月11日 定考
康保二年(965)8月11日戊申、定考が行われた。(『日本紀略』)
8月13日 皇子具平、親王になる
康保二年(965)8月13日庚戌、皇子具平が親王となった。(『日本紀略』)
8月14日 季御読経
康保二年(965)8月14日辛亥、季御読経が始められた。(『日本紀略』)
8月17日 結願
康保二年(965)8月14日甲寅、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
8月20日 盛子内親王着裳の儀
康保二年(965)8月20日丁巳、盛子内親王の御着裳の儀が行われた。(『日本紀略』)
8月27日 為平親王御元服/輔子内親王着裳の儀
康保二年(965)8月27日甲子、清涼殿において為平親王の御元服の儀が行われ、三品に叙された。加冠は大納言源高明が務め、理髪は蔵人頭源延光が務めた。親王以下が参入した。
また、輔子内親王の御着裳の儀が行われた。(『日本紀略』)
8月28日 大風
康保二年(965)8月28日乙丑、大風が起こり、諸司ならびに京中の舎屋が破損した。(『日本紀略』)
9月
9月3日 御燈
康保二年(965)9月3日庚午、御燈が行われた。(『日本紀略』)
9月11日 伊勢例幣
康保二年(965)9月11日戊寅、伊勢例幣が行われた。(『日本紀略』)
9月15日 宇佐使発遣
康保二年(965)9月15日壬午、宇佐使が発見された。左近少将藤原懐忠が務めた。(『日本紀略』)
9月18日 法華経/御修法
康保二年(965)9月18日乙酉、清涼殿において法華経の読経が行われた。論議があった。また、仁寿殿において御修法が行われた。(『日本紀略』)
9月21日 地震
康保二年(965)9月21日戊子、地震があった。大きく揺れた。(『日本紀略』)
9月22日 地震
康保二年(965)9月22日己丑、地震があった。(『日本紀略』)
9月23日 地震
康保二年(965)9月23日庚寅、地震があった。(『日本紀略』)
10月
10月1日 旬
康保二年(965)10月1日丁酉、村上天皇が紫宸殿にお出ましになった。残菊宴の停止により、音楽の演奏はなかった。(『日本紀略』)
10月19日 紫宸殿御読経
康保二年(965)10月19日乙卯、この日から三日間に渡り紫宸殿において御読経が行われた。(『日本紀略』)
10月21日 結願
康保二年(965)10月21日丁巳、紫宸殿の御読経が結願した。(『日本紀略』)
10月23日 馳馬御覧
康保二年(965)10月23日己未、村上天皇は朱雀院柏梁殿にお出ましになった。憲平親王も随従した。左右の馳馬をご覧になった。(『日本紀略』)
10月27日 兵庫火
康保二年(965)10月27日癸亥、兵庫倉で火災があった。(『日本紀略』)累代の戒具が焼亡した。(『扶桑略記』)
11月4日 大祓
康保二年(965)11月4日庚午、建礼門において大祓が行われた。去る27日に兵庫が焼亡したことによる。(『日本紀略』)
11月10日 諸社奉幣
康保二年(965)11月10日丙子、伊勢大神宮など七社に奉幣を行った。兵庫の火災による。(『日本紀略』)
10月28日 致平親王御元服
康保二年(965)10月28日甲子、清涼殿において致平親王の御元服の儀が行われた。加冠は左兵衛督源兼明、理髪は頭中将源延光が務めた。申の刻に致平親王が凝華舎に参った後で憲平親王を拝し、内蔵寮による饗宴があった。屯食はいつも通りであった。酉の刻に大床子に著し、王卿が酒肴を賜った。また、楽所人が召されて管弦の演奏があった。(『御遊抄』)
10月30日 御馬御覧
康保二年(965)10月30日丙寅、仁寿殿において御馬御覧があった。(『日本紀略』)
11月
11月1日 旬
康保二年(965)11月1日丁卯、村上天皇が紫宸殿にお出ましになった。旬によるものである。(『日本紀略』)
11月6日 春日祭・平野祭
康保二年(965)11月6日壬申、春日祭・平野祭が行われた。(『日本紀略』)
11月10日 鎮魂祭の延期
康保二年(965)11月10日丙子、犬の死穢によって鎮魂祭が延期された。(『西宮記』)
11月11日 天慶八年の例
康保二年(965)11月11日、左大臣藤原実頼が仰せて曰く、天慶八年に触穢があった際、鎮魂祭は神祇官において行ったということだった。(『西宮記』)
11月12日 鎮魂祭
康保二年(965)11月12日丙子、神祇官において鎮魂祭が行われた。(『日本紀略』)
11月11日 園・韓神祭の延期
康保二年(965)11月11日丁丑、園・韓神祭が延期となった。宮内省で犬の死穢があったことによる。(『日本紀略』)
11月13日 新嘗祭
康保二年(965)11月13日己卯、新嘗祭が行われた。(『日本紀略』)宮内省において触穢があったので、女官御卜は神祇官で行われた。(『西宮記』)
11月14日 豊明節会
康保二年(965)11月14日庚辰、豊明節会が行われた。村上天皇がお出ましになった。憲平親王も参上した。(『日本紀略』)また、昨夜の御卜に参らなかった殿上侍臣の見参を止めた。侍臣及び楽所の人三四人が東遊、神楽を行った。夜が明けて、禄を賜った。(『西宮記』)
11月15日 東宮鎮魂祭
康保二年(965)11月15日辛巳、東宮(憲平親王)の鎮魂祭が行われた。(『日本紀略』)
11月18日 仁寿殿観音供の停止
康保二年(965)11月18日甲申、神事が近いので、観音供を行わなかった。(『延喜天暦御記抄』)
11月19日 賀茂臨時祭
康保二年(965)11月19日乙酉、賀茂臨時祭が行われた。(『日本紀略』)
11月21日 大原野祭
康保二年(965)11月21日丁亥、大原野祭が行われた。(『日本紀略』)
12月
12月4日 小除目/村上天皇四十賀
康保二年(965)12月4日庚子、小除目が行われた。
この日、村上天皇四十の御賀算が行われた。和歌が詠まれた。(『日本紀略』)
12月10日 御体御卜奏
康保二年(965)12月10日丙午、御体御卜奏が行われた。(『日本紀略』)
12月11日 月次祭・神今食
康保二年(965)12月11日丁未、月次祭・神今食が行われた。村上天皇が中和院にお出ましになった。(『日本紀略』)
12月19日 荷前
康保二年(965)12月19日乙卯、荷前使が定められた。(『日本紀略』)
12月30日 追儺
康保二年(965)12月30日丙寅、追儺が行われた。参議一人で行った。(『北山抄』)
+ 康保三年(966)の年表
康保三年(966)
1月
1月1日 供御薬/朝賀の停止/小朝拝/元日節会/卯杖
康保三年(966)1月1日丁卯、雨・雪が降っていた。供御薬が行われた。朝賀は行われなかった。小朝拝はあった。しかし、村上天皇が御忌月だったのでお出ましにならなかった。(『日本紀略』)
1月2日 東宮大饗
康保三年(966)1月2日戊辰、憲平親王が玄輝門において参観し、東宮大饗があった。章明親王が参観し、殿上の王卿に御酒を給わった。(『日本紀略』)
1月6日 叙位
康保三年(966)1月6日壬申、叙位が行われた。(『日本紀略』)
1月7日 節会
康保三年(966)1月7日癸酉、節会が行われた。村上天皇はお出ましにならなかった。(『日本紀略』)
1月8日 御斎会
康保三年(966)1月8日甲戌、御斎会が始められた。(『日本紀略』)
1月14日 結願
康保三年(966)1月14日庚辰、御斎会が結願した。(『日本紀略』)
1月9日 天文密奏/女叙位
康保三年(966)1月9日乙亥、天文博士賀茂保憲は「去る8日、月が昴星を犯しました」との天文密奏を行った。(『日本紀略』)
この日、女叙位が行われた。(『日本紀略』)
1月12日 左大臣大饗
康保三年(966)戊寅、左大臣(藤原実頼)の大饗があった。(『日本紀略』)
1月16日 任大臣大饗
康保三年(966)1月16日壬午、大納言源高明は右大臣に任ぜられた。村上天皇は紫宸殿にお出ましになった。(『日本紀略』)高明は任大臣大饗を行った。雨がひどかったので、拝礼はなかった。(『北山抄』)
1月29日 春日祭使
康保三年(966)1月29日乙未、春日祭使が立てられた。村上天皇の御忌月だったが、神事のため陣の下において歌舞があった。(『日本紀略』『北山抄』)
2月1日 春日祭
康保三年(966)2月1日丙申、春日祭が行われた。(『日本紀略』)
2月
2月2日 釋奠
康保三年(966)2月2日丁酉、釋奠が行われた。(『日本紀略』)
2月4日 祈年祭
康保三年(966)2月4日己亥、祈年祭が行われた。(『日本紀略』)
2月5日 子の日御遊
康保三年(966)2月5日庚子、守平親王及び小童が東庭に召され、子の日御遊が行われた。その後、侍臣が召され梅の木の下で酒を給わった。管弦の演奏があり、和歌が詠まれた。(『日本紀略』)
2月8日 大原野祭
康保三年(966)2月8日癸卯、大原野祭が行われた。(『日本紀略』)
2月9日 賦詩
康保三年(966)2月9日甲辰、村上天皇は侍臣に詩を作らせた。詩題は「攀枝花入衣」。(『日本紀略』)
2月10日 天文密奏
康保三年(966)2月10日乙巳、「去る8日、月が五事司空を食した」との天文密奏があった。(『日本紀略』)
2月12日 天文密奏
康保三年(966)2月12日丁未、「去る11日の夜、月が輿鬼大将軍星を犯した」との天文密奏があった。(『日本紀略』)
2月28日 天文密奏
康保三年(966)2月28日癸亥、「今月27日、熒惑星が東井執臣星を犯した」との天文密奏があった。(『日本紀略』)
3月1日 天文密奏
康保三年(966)3月1日丙寅、「2月28日の戌の刻、熒惑星が東井北轅西頭第一星を犯した」との天文密奏があった。(『日本紀略』)
2月11日 列見の延期/小除目/直物
康保三年(966)2月11日丙午、列見が延期となった。弁官の物忌による。
また、小除目・直物が行われた。(『日本紀略』)
2月13日 列見
康保三年(966)2月13日戊申、列見が行われた。(『日本紀略』)
2月18日 園・韓神祭
康保三年(966)2月18日癸丑、園・韓神祭が行われた。よって、仁寿殿観音供が停止となった。(『年中行事秘抄』)
2月21日 内宴
康保三年(966)2月21日丙辰、内宴があった。詩題は「鳥聲韻管弦」。(『日本紀略』)
2月23日 臨時仁王会
康保三年(966)2月23日戊午、臨時仁王会が行われた。(『日本紀略』)
2月24日 天変
康保三年(966)2月24日己未、淑景舎の北庭に虹がかかっていた。(『日本紀略』)
3月
3月3日 御燈の停止
康保三年(966)3月3日戊辰、御燈は停止となった。(『日本紀略』)曲水宴があり、御禊があった。(『北山抄』)
詩題は「春水桃花浪」。
3月10日 花宴
康保三年(966)3月10日乙亥、殿庭の桜の花の下において酒肴を賜り、管弦の演奏があった。(『日本紀略』)
3月13日 射礼
康保三年(966)3月13日戊寅、射礼が行われた。(『日本紀略』)
3月14日 賭弓
康保三年(966)3月14日己卯、庭の桜の花の下で賭弓が行われた。音楽の演奏があった。(『日本紀略』)
3月17日 桓武天皇国忌/季御読経/火天供
康保三年(966)3月17日壬午、桓武天皇国忌であったが、季御読経は例の如く行われた。(『日本紀略』)
この日、真言院において権律師寛静が火天供を修した。天変が火災を示していることによるもので、七日間に渡り行われる。(『延喜天暦御記抄』)
3月20日 結願
康保三年(966)3月20日乙酉、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
3月22日 軒廊御卜
康保三年(966)3月22日丁亥、尾張国が「正一位熱田大明神、今月1日から3日間ならびに12日の亥の刻、社中が太鼓のように鳴り響きました。同月5日の夜には、大鈴のように鳴り響きました。怪異でしょうか」と言上してきた。よって、軒廊御卜を行った。(『日本紀略』)
4月
4月1日 旬/平野祭・松尾祭
康保三年(966)4月1日丙申、平野祭・松尾祭が行われた。旬により村上天皇が紫宸殿にお出ましになった。(『日本紀略』)
4月7日 擬階奏/周忌法会
康保三年(966)4月7日壬寅、擬階奏が行われた。村上天皇はお出ましにならなかった。
この日、極楽寺において故右大臣藤原顕忠の周忌法会が行われた。外記・史が参った。(『日本紀略』)
4月8日 大神祭の延期/灌仏
康保三年(966)4月8日癸卯、去る3日に内裏で産穢があったことにより大神祭が延期となった。(『日本紀略』)次の卯の日に行うとの宣下があった。(『西宮記』)
この日、灌仏が行われた。(『日本紀略』)
4月18日 大神祭使発遣
康保三年(966)4月18日癸丑、大神祭使が発遣された。(『日本紀略』)
4月20日 大神祭
康保三年(966)4月20日乙卯、大神祭が行われた。(『日本紀略』)
4月14日 賀茂祭
康保三年(966)4月14日己酉、賀茂祭が行われた。(『日本紀略』)
4月16日 小除目
康保三年(966)4月16日辛亥、小除目が行われた。(『日本紀略』)
4月18日 仁寿殿観音供の停止
康保三年(966)4月18日癸丑、仁寿殿の観音供が停止となった。(『延喜天暦御記抄』)
4月19日 皇子永平が親王になる
康保三年(966)4月19日甲寅、皇子永平が親王となった。(『日本紀略』)
5月
5月3日 般若経転読/熒惑星供
康保三年(966)5月3日丁卯、延暦寺において金剛般若経一万巻の転読が行われた。天変によるものである。蔵人時清が使者を務めた。また、同寺において権律師賀静が熒惑星供を修した。五日間に渡って行われる。星の変異が頻繁に起こっていることによる。(『延喜天暦御記抄』)
5月5日 節会
康保三年(966)5月5日己巳、村上天皇が武徳殿にお出ましになった。競馬があった。(『日本紀略』)
5月13日 怪異
康保三年(966)5月13日丁丑、賀茂社及び宜陽殿が鳴動する怪異があった。(『日本紀略』)公卿詮議によって慎みは重いということになり、上七社に奉幣を行うことになった。(『賀茂注進雑記』)
5月25日 諸社奉幣
康保三年(966)5月25日己丑、賀茂社が鳴動する怪異によって諸社奉幣が行われた。左大弁橘好古が賀茂上社に参った。宣命の間、老嫗に託宣があった。(『日本紀略』)
6月
6月1日 藤原頼忠 昇殿
康保三年(966)6月1日甲午、参議従四位上藤原頼忠が東宮昇殿を許された。(『公卿補任』)
6月10日 御体御卜奏
康保三年(966)6月10日癸卯、御体御卜奏が行われた。(『日本紀略』)
6月11日 月次祭・神今食祭
康保三年(966)6月11日甲辰、月次祭が行われた。中院において神今食が行われた。(『日本紀略』)
6月16日 仁王経御読経
康保三年(966)6月16日己酉、仁王経御読経が始められた。(『日本紀略』)
6月19日 結願
康保三年(966)6月19日壬子、仁王経御読経が結願した。(『日本紀略』)
6月21日 童相撲御覧
康保三年(966)6月21日甲寅、憲平親王が童相撲を十七番御覧になった。(『日本紀略』)
6月23日 封事
康保三年(966)6月23日丙辰、封事が定められた。(『日本紀略』)
6月26日 天変
康保三年(966)6月26日己未、丑の刻に暴風・大雨・雷電があった。(『日本紀略』)
7月
7月4日 広瀬・龍田祭
康保三年(966)7月4日丁卯、広瀬・龍田祭が行われた。(『日本紀略』)
7月7日 大般若経転読/諸寺読経
康保三年(966)7月7日庚午、五畿七道諸国の定額寺において三日間に渡る大般若経が行われた。また、七大寺・延暦寺・東西寺・御霊堂・上出雲寺・祇園寺などの諸寺において読経があった。天下で疫病が流行っていることによる。(『日本紀略』)
7月25日 諸社奉幣
康保三年(966)7月25日戊子、諸社奉幣使が発遣された。(『日本紀略』)
8月
8月5日 釋奠
康保三年(966)8月5日丁酉、釋奠が行われた。(『日本紀略』)
8月6日 内論議
康保三年(966)8月6日戊戌、内論議が行われた。(『日本紀略』)
8月8日 季御読経
康保三年(966)8月8日庚子、季御読経が始められた。(『日本紀略』)
8月11日 結願
康保三年(966)8月11日癸卯、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
8月15日 前栽合
康保三年(966)8月15日丁未、殿上において前栽合が行われた。(『扶桑略記』)
8月19日 御修法・不動法
康保三年(966)8月19日辛亥、大極殿において御修法が行われた。天変による。また、仁寿殿において権律師良源が不動法を修した。番僧は二十口であった。(『日本紀略』)
8月20日 御註孝経
康保三年(966)8月20日壬子、守平親王が弘徽殿において初めて御註孝経をお読みになった。(『日本紀略』)
8月25日 諸社奉幣使発遣/選子内親王着袴の儀
康保三年(966)8月25日丁巳、霖雨により、丹生・貴船両社に奉幣使が発遣された。
この日、選子内親王の着袴の儀が行われた。(『日本紀略』)
8月26日 光孝天皇国忌
康保三年(966)8月26日戊午、光孝天皇の国忌であった。(『権記』寛弘六年〈1009〉8月16日条)
8月27日 具平親王着袴の儀/源重光 昇殿
康保三年(966)8月27日己未、承香殿において具平親王の着袴の儀が行われた。公卿が参候した。親王家は酒肴を給わった。御遊があり、御息所庄子は禄を賜った。和歌の戯れがあった。また、源重光が昇殿を許された。(『西宮記』)
9月
9月3日 御燈/巡検
康保三年(966)9月3日甲午、御燈があった。権大納言藤原師尹が勅によって左右両京の水害を巡検した。馬に騎乗して衣冠を着用した。(『日本紀略』)
9月9日 調徭を免じる
康保三年(966)9月9日庚子、京・畿内の洪水によって賑給が行われ、特に被害の大きい者は一年の調徭が免じられた。(『日本紀略』)
9月11日 伊勢例幣
康保三年(966)9月11日壬寅、伊勢例幣が行われた。村上天皇が紫宸殿にお出ましになった。(『日本紀略』)
9月13日 熾盛光法
康保三年(966)9月13日甲辰、この日の夜から仁寿殿において、延暦寺座主権律師良源が二十口の僧を伴い七日間に渡る熾盛光法を修した。天変によるものである。この修法は20日に終わった。(『延喜天暦御記抄』)
9月16日 除目
康保三年(966)9月18日丁未、除目が行われた。(『日本紀略』)
9月27日 直物
康保三年(966)9月27日戊午、直物が行われた。(『日本紀略』)
10月
10月1日 旬
康保三年(966)10月1日辛酉、未三刻に村上天皇は紫宸殿にお出ましになった。(『西宮記』)
10月7日 楽舞御覧
康保三年(966)10月7日丁卯、村上天皇は殿上の侍臣を召して、音楽の演奏や舞をご覧になった。憲平親王らも陪従した。去る秋に音楽をご覧になりたいと思っていたが、洪水によって停止されていた。(『西宮記』)
11月
11月1日 旬
康保三年(966)11月1日辛卯、旬により村上天皇は紫宸殿にお出ましになった。憲平親王が参上した。(『日本紀略』)
11月6日 平野祭・春日祭
康保三年(966)11月6日丙申、平野祭・春日祭が行われた。(『日本紀略』)
11月9日 蔵人頭補任
康保三年(966)11月9日己亥、右大弁従四位上藤原文範が蔵人頭に補任した。(『公卿補任』)
11月11日 園・韓神祭
康保三年(966)11月11日辛丑、園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
11月12日 鎮魂祭
康保三年(966)11月12日壬寅、鎮魂祭が行われた。(『日本紀略』)
11月13日 新嘗祭
康保三年(966)11月13日癸卯、神祇官において新嘗祭が行われた。村上天皇は御物忌によりお出ましにならなかった(『西宮記』)
11月14日 豊明節会
康保三年(966)11月14日甲辰、豊明節会が行われた。(『日本紀略』)
11月15日 東宮鎮魂祭
康保三年(966)11月15日乙巳、東宮(憲平親王)の鎮魂祭が行われた。(『日本紀略』)
11月19日 賀茂臨時祭
康保三年(966)11月19日己酉、賀茂臨時祭が行われた。(『日本紀略』)
11月22日 大原野祭
康保三年(966)11月22日壬子、大原野祭が行われた。(『日本紀略』)
11月25日 彗星
康保三年(966)11月25日乙卯、亥の刻、彗星が南方に見られた。(『諸道勘文』)
11月30日 御庚申
康保三年(966)11月30日庚申の夜、村上天皇は殿上の侍臣を召し、御前において双六をした。酒を給わった。
夜明けに和歌を詠ませ、侍臣に絹を給わった。(『扶桑略記』)
12月
12月2日 藤原朝忠 薨去
康保三年(966)12月2日壬戌、中納言従三位藤原朝忠が薨去された。(『日本紀略』)
12月22日 薨奏
康保三年(966)12月22日壬午、藤原朝忠の薨奏が行われた。(『日本紀略』)
12月10日 御体御卜奏
康保三年(966)12月10日庚午、御体御卜奏が行われた。(『日本紀略』)
12月11日 月次祭・神今食
康保三年(966)12月11日辛未、月次祭・神今食が行われた。八社へ奉幣が加えられた。(『日本紀略』)
12月16日 荷前
康保三年(966)12月16日丙子、荷前使が定められた。(『日本紀略』)
12月17日 式明親王 薨去
康保三年(966)12月17日丁丑、中務卿三品式明親王が薨じられた。(『日本紀略』)
12月22日 薨奏
康保三年(966)12月22日壬午、式明親王の薨奏が行われた。喪料は絹三十疋、調布百五十段、商布二百段。(『日本紀略』)
12月19日 御仏名
康保三年(966)12月19日己卯、御仏名が始められた。(『日本紀略』)
+ 康保四年(967)の年表
康保四年(967)
1月
1月1日 小朝拝/元日節会
康保四年(967)1月1日庚寅、小朝拝ならびに節会が行われた。(『兵範記』)
1月2日 卯杖/東宮大饗
康保四年(967)1月2日辛卯、村上天皇はお出ましにならなかったので、上卿が外記に仰せて卯杖を内侍所に託させた。(『北山抄』)
東宮(憲平親王)の大饗があった。(『日本紀略』)
1月6日 叙位
康保四年(967)1月6日乙未、叙位の儀が行われた。(『日本紀略』)
1月7日 節会
康保四年(967)1月7日丙申、節会が行われた。(『日本紀略』)
1月8日 御斎会
康保四年(967)1月8日丁酉、御斎会が始められた。(『日本紀略』)
行者が足りなかったので、大外記・式部輔も立ち加わった。(『西宮記』)
1月14日 結願
康保四年(967)1月14日癸卯、御斎会が結願した。(『日本紀略』)
1月10日 左大臣大饗
康保四年(967)1月10日己亥、左大臣(藤原実頼)の大饗があった。(『日本紀略』)
1月11日 右大臣大饗
康保四年(967)1月11日庚子、右大臣(源高明)の大饗があった。(『日本紀略』)
1月20日 除目
康保四年(967)1月20日己酉、除目が行われた。(『公卿補任』)
2月
2月4日 祈年祭
康保四年(967)2月4日癸亥、祈年祭が行われた。(『日本紀略』)
2月8日 釋奠
康保四年(967)2月8日丁卯、釋奠が行われた。(『日本紀略』)
2月11日 小除目
康保四年(967)2月11日庚午、小除目が行われた。(『公卿補任』)
2月17日 東宮御悩
康保四年(967)2月17日丙子、憲平親王が病を患ってからこの日で四ヶ月に及ぶ。(『日本紀略』)
3月1日 加持
康保四年(967)3月1日庚寅、春宮大夫藤原師尹は藤原兼家に申して、憲平親王の病がまだ治らないため、加持僧を召した。(『西宮記』)
3月2日 度者を賜る
康保四年(967)3月2日辛卯、勅によって、憲平親王は度者三十人を賜った。御悩が甚だ重いことによる。(『日本紀略』)
3月4日 御修法
康保四年(967)3月4日癸巳、憲平親王は凝華舎において内供奉長勇に修法を行わせた。(『延喜天暦御記抄』)
3月11日 不断法
康保四年(967)3月11日庚子、この日から凝華舎において阿闍梨長燭・余慶が不断法を修した。それぞれ十口の番僧を伴い、七日間に渡って行った。18日に結願した。加持の間、邪気が調伏される気配があった。(『延喜天暦御記抄』)
3月28日 御修法
康保四年(967)3月28日丁巳、大和国香山寺の聖人正祐が東宮に参り、御修法を勤めた。憲平親王の御悩による。(『日本紀略』)
2月18日 園・韓神祭
康保四年(967)2月18日丁丑、園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
2月22日 大祓
康保四年(967)2月22日辛巳、明日は仁王会があるので、大祓が行われた。(『日本紀略』)
2月26日 花宴
康保四年(967)2月26日乙酉、清涼殿において桜の花の宴があった。詩題は「日照花添色」。管弦と歌があった。(『日本紀略』)
3月
3月3日 御燈の停止
康保四年(967)3月3日壬辰、御卜によって御燈を奉らなかった。(『西宮記』)
3月13日 射礼
康保四年(967)3月13日壬寅、射礼が行われた。(『日本紀略』)
3月14日 賭弓
康保四年(967)3月14日癸卯、賭弓が行われた。(『日本紀略』)
3月16日 孔雀経法
康保四年(967)3月16日乙巳、この日の夜から仁寿殿において伴僧二十口が孔雀経法を修した。息災のためである。(『東寺長者補任』)
3月17日 季御読経
康保四年(967)3月17日丙午、季御読経が始められた。(『日本紀略』)
3月20日 結願
康保四年(967)3月20日己酉、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
3月20日 怪異
康保四年(967)3月20日己酉、民部卿藤原在衡が斎光に申して曰く、物の怪の兆しが見られた。諸道が勘申した結果、国家は慎むべきだということだった。(『西宮記』)
4月
4月1日 旬平座
康保四年(967)4月1日己未、御物忌により村上天皇は紫宸殿にお出ましにならなかった。(『日本紀略』)
4月2日 平野祭・松尾祭
康保四年(967)4月2日庚申、平野祭・松尾祭が行われた。(『日本紀略』)
4月4日 祈年祭
康保四年(967)4月4日壬戌、祈年祭が行われた。(『日本紀略』)
4月7日 擬階奏
康保四年(967)4月7日乙丑、擬階奏が行われた。(『日本紀略』)
4月8日 灌仏
康保四年(967)4月8日丙寅、右大将藤原師尹は斎光に「憲平親王の御悩はまだ治っていないので御在所の灌仏は行わないことにしてはどうか」と申した。この日は灌仏の予定であった。(『西宮記』)
4月15日 賀茂祭
康保四年(967)4月15日癸酉、賀茂祭が行われた。(『日本紀略』)
4月26日 伊勢大神宮奉幣
康保四年(967)4月26日甲申、伊勢大神宮へ奉幣が行われた。(『日本紀略』)
5月
5月2日 孔雀経法
康保四年(967)5月2日庚寅、仁寿殿において、律師寛静が七日間に渡る孔雀経法を修した。番僧は二十口であった。物の怪及び地震によるものである。(『延喜天暦御記抄』)
5月10日 賑給
康保四年(967)5月10日戊戌、賑給が行われた。(『日本紀略』)
5月13日 諸社奉幣
康保四年(967)5月13日辛丑、諸社奉幣使が発遣された。(『日本紀略』)
5月14日 村上天皇御出家
康保四年(967)5月14日壬寅、村上天皇はご病気により、ご出家なさった。(『日本紀略』)
5月20日 卒塔婆造立
康保四年(967)5月20日戊申、村上天皇のご病気により、五畿内ならびに伊賀・伊勢国など26ヶ国に卒塔婆を造立させるよう宣旨が下された。(『日本紀略』)
5月25日 大赦/村上天皇崩御
康保四年(967)5月25日癸丑、村上天皇のご病気によって大赦が行われた。しかし、巳の刻に村上天皇は清涼殿において崩御された。在位21年であった。(『日本紀略』)
5月15日 除目
康保四年(967)5月15日癸卯、除目が行われた。(『日本紀略』)
5月25日 践祚
康保四年(967)5月25日癸丑、凝華舎において憲平親王の践祚が行われた。戌の刻に右大臣源高明が警固を行い、所司が木契・松脂を奉った。(『日本紀略』)