平安時代の年表:円融天皇の御代、天元元年(978)12月6日から天元六年(983)4月15日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。
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円融天皇時代の年表
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天元元年(978)
12月
12月某日、入道四品成子内親王が薨じられた。(『日本紀略』)
12月6日 藤原頼忠、春日社に参詣
天元元年(978)12月6日丁巳、関白藤原頼忠が春日社へ参詣した。(『小記目録』)
12月19日 季御読経
天元元年(978)12月19日庚午、季御読経が始められた。僧百口を召し、皆紫宸殿に伺候した。(『日本紀略』)
12月22日 結願
天元元年(978)12月22日癸酉、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
12月22日 荷前
天元元年(978)12月22日癸酉、荷前のことがあった。(『小記目録』)
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天元二年(979)
この年、右大臣藤原兼家が比叡山に恵心院を建立した。
1月
1月1日 小朝拝/元日節会
天元二年(979)1月1日辛巳、小朝拝・元日節会が行われた。(『日本紀略』)
紫宸殿のご装束は、近衛司が奉仕した。また、拝礼が行われた。(『小記目録』)
1月2日 東宮大饗/臨時客
天元二年(979)1月2日壬午、玄輝門において東宮(師貞親王)が大饗を行った。(『日本紀略』)
また、臨時客があった。(『小記目録』)
1月3日 藤原頼忠・為平親王、牛車宣旨
天元二年(979)1月3日癸未、関白太政大臣正二位藤原頼忠ならびに式部卿為平親王が牛車に乗って上東門から出入りすることを許された。(『日本紀略』)
1月4日 永平親王の臨時客
天元二年(979)1月4日甲申、永平親王が臨時客を行った。(『小記目録』)
1月5日 叙位の停止
天元二年(979)1月5日乙酉、叙位の議が停止となった。(『日本紀略』)
1月6日 男踏歌試楽
天元二年(979)1月6日、男踏歌の試楽があった。(『小記目録』)
1月7日 節会
天元二年(979)1月7日丁亥、節会があった。円融天皇は御物忌により紫宸殿にお出ましにならなかった。大納言以上は参らなかった。中納言藤原文範が内弁を務めた。(『日本紀略』)
1月8日 御斎会
天元二年(979)1月8日戊子、御斎会が始められた。(『日本紀略』)
1月14日 結願
天元二年(979)1月14日甲午、御斎会が結願した。(『日本紀略』)
1月9日 皇太后宮大饗
天元二年(979)1月9日己丑、皇太后宮(昌子内親王)の大饗があった。(『日本紀略』)
1月19日 太政大臣大饗
天元二年(979)1月19日己亥、太政大臣(藤原頼忠)の大饗があった。(『日本紀略』)
1月20日 左大臣大饗
天元二年(979)1月20日庚子、左大臣(源雅信)の大饗があった。(『日本紀略』)
1月22日 右大臣大饗
天元二年(979)1月22日壬寅、右大臣(藤原兼家)の大饗があった。(『日本紀略』)
1月23日 賭弓/除目召仰
天元二年(979)1月23日癸卯、賭弓が行われた。また、除目の召仰があった。(『日本紀略』)
1月25日 除目
天元二年(979)1月25日乙巳、除目が始められた。(『日本紀略』)
2月
2月4日 祈年祭
天元二年(979)2月4日癸丑、祈年祭が行われた。(『日本紀略』)
2月5日 藤原懐遠 昇殿
天元二年(979)2月5日甲寅、非参議従三位藤原懐遠が昇殿を許された。(『公卿補任』)
2月6日 大原野祭
天元二年(979)2月6日乙卯、大原野祭が行われた。(『日本紀略』)
2月8日 釋奠
天元二年(979)2月8日丁巳、釋奠が行われた。(『日本紀略』)
2月11日 春日祭/列見
天元二年(979)2月11日庚申、春日祭が行われた。右大臣藤原兼家が参向した。また、列見が行われた。(『日本紀略』)
2月16日 園・韓神祭/季子内親王 薨去
天元二年(979)2月16日乙丑、園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
この日、四品季子内親王が薨じられた。(『日本紀略』)
2月20日 永平親王 元服
天元二年(979)2月20日己巳、村上天皇の第八皇子永平親王が小一条邸において御元服された。左大臣源雅信が加冠を務めた。理髪は頭中将源正清が務めた。儀式の後、初めて参内された。御遊があった。親王は四品に叙された。(『日本紀略』)
加冠を担当した雅信は禄ならびに馬一疋、理髪を担当した正清は鷹一連を賜った。(『小右記』)
2月27日 季御読経結願
天元二年(979)2月27日丙子、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
3月
この月、盛明親王が花宴を行った。(『本朝文粹』)
3月3日 御燈/殿上賭弓/踏歌後宴
天元二年(979)3月3日壬午、御燈が奉られた。(『小記目録』)
また、殿上賭弓・踏歌後宴が行われた。(『小記目録』)
3月13日 七社奉幣
天元二年(979)3月13日壬辰、七社へ奉幣が行われた。同日、紫宸殿で御拝が行われた。八省行幸を欲されたが、五墓日により停止となった。(『小記目録』)
3月14日 触穢
天元二年(979)3月14日癸巳、内膳司で穢があった。下女が頓死していた。藤原実資が参内した。(『小記目録』)
3月20日 小除目/藤原頼忠、御剣を献上
天元二年(979)3月20日己亥、小除目が行われた。(『日本紀略』)
この日、昼御座の御剣が紛失した。藤原頼忠が御剣を献上した。使いに御衣を賜った。(『小記目録』)
3月21日 除目
天元二年(979)3月21日、除目が行われた。藤原兼家が執筆した。(『小記目録』)
3月25日 石清水臨時祭試楽
天元二年(979)3月25日、石清水臨時祭の試楽があった。(『小記目録』)
3月26日 藤原頼忠、御馬を献上
天元二年(979)3月26日乙巳、藤原頼忠が御馬を献上した。使いに御衣を賜った。(『小記目録』)
3月27日 石清水臨時祭
天元二年(979)3月27日丙午、雨が降った。円融天皇は石清水八幡宮へお出かけになった。男踏歌の御遊があった。(『日本紀略』)
3月28日 石清水八幡宮還御/叙位
天元二年(979)3月28日丁未、円融天皇が石清水八幡宮からお帰りになった。上卿以下史以上に行事の勧賞があった。(『日本紀略』)
この日、叙位の議があった。左大臣源雅信・右大臣藤原兼家が正二位に叙された。大納言源重信が帯剣を許された。(『公卿補任』)
3月29日 藤原兼家、藤原頼忠邸に参入
天元二年(979)3月29日戊申、藤原兼家が藤原頼忠のもとに参った。拝礼があった。(『小記目録』)
4月
4月4日 広瀬・龍田祭
天元二年(979)4月4日壬子、広瀬・龍田祭が行われた。(『日本紀略』)
4月8日 灌仏/大氷
天元二年(979)4月8日丙辰、灌仏が行われた。女御藤原遵子に御布施を献上した。(『小記目録』)
また、大氷が降った。(『日本紀略』)
4月12日 平野祭
天元二年(979)4月12日庚申、平野祭が行われた。(『日本紀略』)
4月21日 怪異
天元二年(979)4月21日己巳、備中国が「去る1日、都宇郡撫川郷箕島村において飯のような形のものが降ってきました。人々はこれを食べました」と異物解文を言上した。(『日本紀略』)
4月23日 賀茂祭の警固
天元二年(979)4月23日辛未、賀茂祭の警固が行われた。(『日本紀略』)
4月25日 賀茂祭
天元二年(979)4月25日癸酉、賀茂祭が行われた。(『日本紀略』)
4月27日 解陣
天元二年(979)4月27日乙亥、賀茂祭の解陣が行われた。(『日本紀略』)
4月24日 賀茂社参詣
天元二年(979)4月24日壬申、太政大臣藤原頼忠は賀茂社に参詣した。(『日本紀略』)
4月29日 藤原安子国忌
天元二年(979)4月29日丁丑、藤原安子の国忌であった。女御藤原遵子が御膳を供した。(『小記目録』)
5月
5月13日 盗人
天元二年(979)5月13日辛卯、盗人が内裏に侵入した。(『小記目録』)
5月25日 村上天皇国忌
天元二年(979)5月25日癸卯、村上天皇の御国忌であった。女御藤原遵子が御斎食を供した。(『小記目録』)
6月
6月3日 藤原媓子 崩御
天元二年(979)6月3日庚戌、寅の刻に皇后藤原媓子が堀川院において崩御された。(『日本紀略』)
6月8日 御葬送
天元二年(979)6月8日乙卯、七ヶ所の寺に諷誦使が遣わされた。御葬送が行われた。大雨が降り、東川が氾濫した。寅の刻に川を渡った。(『日本紀略』)
6月15日 二七日忌
天元二年(979)6月15日壬戌、皇后の二七日忌であった。誦経使があった。(『日本紀略』)
6月23日 三七日忌
天元二年(979)6月23日庚午、皇后の三七日忌であった。諷誦使があった。(『日本紀略』)
6月10日 御体御卜奏/錫紵
天元二年(979)6月10日丁巳、御体御卜は延期された。(『日本紀略』)
錫紵のことがあった。(『小記目録』)
6月11日 月次祭・神今食の延期
天元二年(979)6月11日戊午、月次祭・神今食が延期となった。八省院において大祓が行われた。(『日本紀略』)
円融天皇の体調がすぐれなかった。(『小記目録』)
6月28日 村上天皇御陵鳴動
天元二年(979)6月28日乙亥の夕方、村上山陵が頻りに鳴動した。(『日本紀略』)
7月
7月7日 海賊追捕
天元二年(979)7月7日甲申、海賊を追捕した。(『小記目録』)
7月21日 皇后七七日忌
天元二年(979)7月21日戊戌、皇后藤原媓子の四十九日であった。(『小記目録』)
8月
8月8日 盗人追捕
天元二年(979)8月8日、内裏の盗人を搦め捕えた。(『小記目録』)
8月10日 皇子誕生の祈願
天元二年(979)8月10日丁巳、延暦寺東塔檀那院において皇子御誕生の祈願が行われた。(『三院記』)
8月22日 季御読経
天元二年(979)8月22日己巳、季御読経が行われた。(『小記目録』)
9月
9月1日 御燈
天元二年(979)9月1日丁丑、殿上において御燈があった。(『小記目録』)
9月5日 五節定/賀茂社行幸の御卜
天元二年(979)9月5日辛巳、五節の事が定められた。(『小記目録』)
また、賀茂社行幸の御卜が行われた。(『小記目録』)
9月9日 節会の停止
天元二年(979)9月9日乙酉、節会が停止となった。(『小記目録』)
9月16日 藤原兼家が五節舞姫の献上を辞退
天元二年(979)9月16日、藤原兼家は五節の舞姫の献上を辞退した。(『小記目録』)
9月24日 臨時御八講
天元二年(979)9月24日庚子、臨時御八講が修された。(『小記目録』)
9月29日 結願
天元二年(979)9月29日、臨時御八講が結願した。(『小記目録』)
10月
この月、源順が宣旨により御屏風の和歌を奉献した。(『源順集』)
10月1日 旬
天元二年(979)10月1日丁未、旬の儀があった。(『小記目録』)
10月5日 藤原詮子が亥子餅を上る
天元二年(979)10月5日辛亥、右大臣藤原兼家の女御藤原詮子が亥子餅を献上した。(『源順集』)
11月
11月7日 春日祭使の懈怠
天元二年(979)11月7日、春日祭使の懈怠により、外衛佐に行わせた。(『小記目録』)
11月8日 春日祭
天元二年(979)11月8日甲申、春日祭使が還立した。(『小記目録』)
11月13日 五節
天元二年(979)11月13日己丑、五節のことがあった。(『小記目録』)
11月16日 豊明節会
天元二年(979)11月16日壬辰、節会があった。(『小記目録』)
11月21日 賀茂臨時祭
天元二年(979)11月21日丁酉、賀茂臨時祭が行われた。(『小記目録』)
11月26日 京官除目召仰
天元二年(979)11月26日、京官除目の召仰があった。(『小記目録』)
11月27日 除目
天元二年(979)11月27日、同じく除目が行われた。(『小記目録』)
12月5日 除目の清書が延期される
天元二年(979)12月5日、除目の清書が延期となった。(『小記目録』)
12月
12月11日 神今食
天元二年(979)12月11日丙辰、神今食の行幸があった。(『小記目録』)
12月19日 御仏名
天元二年(979)12月19日甲子、御仏名が行われた。公卿は参らなかった。(『小記目録』)
12月20日 居貞親王 御着袴
天元二年(979)12月20日乙丑、居貞親王の御着袴の儀が行われた。(『日本紀略』)
近衛が宿申した。(『小記目録』)
12月27日 荷前
天元二年(979)12月27日壬申、荷前のことがあった。(『小記目録』)
12月30日 追儺
天元二年(979)12月30日乙亥、追儺が行われた。(『小記目録』)
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天元三年(980)
1月
1月1日 小朝拝/元日節会
天元三年(980)1月1日丙子、小朝拝・元日節会が行われた。円融天皇が紫宸殿にお出ましになった。(『日本紀略』)
1月2日 東宮大饗/太政大臣臨時客
天元三年(980)1月2日丁丑、東宮(師貞親王)の大饗があった。(『日本紀略』)
また、関白太政大臣(藤原頼忠)の臨時客があった。(『小記目録』)
1月5日 叙位
天元三年(980)1月5日庚辰、叙位の議があった。(『日本紀略』)
1月6日 叙位
天元三年(980)1月6日辛巳、叙位の議があった。(『日本紀略』)
1月7日 節会
天元三年(980)1月7日壬午、節会があった。円融天皇が紫宸殿にお出ましになった。ただし、音楽はなかった。(『日本紀略』)
1月8日 御斎会
天元三年(980)1月8日癸未、御斎会が始められた。(『日本紀略』)
1月14日 結願
天元三年(980)1月14日己丑、御斎会が結願した。(『日本紀略』)
1月11日 女叙位
天元三年(980)1月11日丙戌、女叙位があった。女御藤原詮子を従四位下に叙した。(『日本紀略』)
1月15日 藤原時姫 卒去
天元三年(980)1月15日庚寅、右大臣藤原兼家の室藤原時姫が薨じられた。女御藤原超子が退出した。(『小記目録』)
1月19日 政始
天元三年(980)1月19日甲午、政始であった。(『小記目録』)
1月23日 除目召仰
天元三年(980)1月23日、除目の召仰があった。(『小記目録』)
1月25日 除目
天元三年(980)1月25日庚子、除目が始められた。(『日本紀略』)
1月29日 除目
天元三年(980)1月29日甲辰、除目が行われた。(『日本紀略』)
2月
2月4日 祈年祭・春日祭/鹿島使官符請印
天元三年(980)2月4日戊申、祈年祭・春日祭が行われた。(『中右記』)
祈年祭の上卿は、弁を用いた。(『小記目録』)
また、鹿島使の官符請印があった。(『小記目録』)
2月19日 除目・直物
天元三年(980)2月19日癸亥、除目ならびに直物があった。(『日本紀略』)
2月21日 園・韓神祭
天元三年(980)2月21日乙丑、園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
2月25日 藤原公任 元服
天元三年(980)2月25日己巳、太政大臣藤原頼忠の息子藤原公任が清涼殿において元服した。右兵衛督藤原遠度が理髪を、左大臣源雅信が加冠を務めた。その後、正五位下に叙した。名は「公任」である。円融天皇がお入りになった。大臣らは紫宸殿に著した。宴があった。また、大臣以下の殿上人に被物があった。太政大臣が設けた。また、中院において諸陣に屯食があった。この間、公任は弓場殿において慶びを申した。夜、太政大臣の息女が里亭において裳を著した。(『日本紀略』)
2月26日 諸社奉幣
天元三年(980)2月26日庚午、伊勢大神宮以下16社へ奉幣が行われた。八省院へお出ましになるところを、往亡日により取りやめた。(『日本紀略』)
3月
3月3日 御燈/藤原公任 禁色宣旨/山階寺僧闘乱
天元三年(980)3月3日丙子、御燈があった。藤原公任は禁色を許された。(『日本紀略』)
山階寺の僧が闘乱した。穢が否か、沙汰があった。(『小記目録』)
3月9日 藤原時姫 七七忌法会
天元三年(980)3月9日壬午、右大臣藤原兼家は法性寺において藤原時姫の七七忌法会を修した。上卿及び外記などが向かった。公家ならびに冷泉上皇が諷誦を修した。また、内蔵寮に仰せて絹百疋を給わった。(『日本紀略』)
3月14日 濫行
天元三年(980)3月14日、宮中の濫行が制止された。(『小記目録』)
3月21日 仁明天皇国忌/石清水臨時祭の延期
天元三年(980)3月21日甲午、仁明天皇の国忌により、石清水臨時祭は延期となった。(『小記目録』)
閏3月3日 石清水臨時祭
天元三年(980)閏3月3日丙午、石清水臨時祭が行われた。(『日本紀略』)
3月27日 仁王会
天元三年(980)3月27日庚子、仁王会が修された。(『日本紀略』)
3月30日 御馬御覧
天元三年(980)3月30日癸卯、円融天皇は左右馬寮の御馬をご覧になった。(『小記目録』)
閏3月
閏3月14日 大般若経御読経
天元三年(980)閏3月14日丁巳、天変御祈のため、大般若経の御読経が始められた。(『小記目録』)
閏3月17日 結願
天元三年(980)閏3圧17日庚申、大般若経御読経が結願した。(『日本紀略』)
閏3月19日 源頼光 召名宣旨
天元三年(980)閏3月19日、源頼光らの召名宣旨があった。(『小記目録』)
閏3月23日 季御読経
天元三年(980)閏3月23日丙寅、季御読経が始められた。(『日本紀略』)
閏3月26日 結願
天元三年(980)閏3月26日己巳、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
公卿は参らなかった。(『小記目録』)
4月
4月4日 広瀬・龍田祭
天元三年(980)4月4日丙子、広瀬・龍田祭が行われた。(『日本紀略』)
4月5日 大神祭使発遣
天元三年(980)4月5日丁丑、大神祭使が発遣された。(『小記目録』)
4月8日 灌仏
天元三年(980)4月8日庚辰、御灌仏があった。(『小記目録』)
4月12日 平野祭
天元三年(980)4月12日甲申、平野祭が行われた。(『日本紀略』)
4月22日 賀茂祭の斎院御禊
天元三年(980)4月22日甲午賀茂祭の斎院選子内親王の御禊が行われた。(『日本紀略』)
4月23日 警固
天元三年(980)4月23日乙未、警固が行われた。(『日本紀略』)
4月25日 賀茂祭
天元三年(980)4月25日丁酉、賀茂祭が行われた。(『日本紀略』)
4月26日 解陣
天元三年(980)4月26日戊戌、解陣が行われた。(『日本紀略』)
4月24日 藤原頼忠、賀茂社参詣
天元三年(980)4月24日丙申、関白藤原頼忠が賀茂社に参詣した。(『小記目録』)
4月29日 贈太皇太后藤原安子国忌/源惟正 薨去
天元三年(980)4月29日辛丑、藤原安子の国忌の斎食があった。(『小記目録』)
参議従三位修理大夫源惟正が薨じられた。(『日本紀略』)
5月
5月1日 貴賤物忌
天元三年(980)5月1日癸卯、妖言により、貴賤問わず物忌を行った。車・馬は往反しなかった(『日本紀略』)
5月3日 物忌
天元三年(980)5月3日乙巳、世間の人々は物忌を行った。(『日本紀略』)
5月9日 不断御読経
天元三年(980)5月9日辛亥、清涼殿において五日間に渡る不断御読経が修された。(『日本紀略』『小記目録』)
5月10日 公卿不参
天元三年(980)5月10日、公卿が御読経に参らなかった。(『小記目録』)
5月14日 結願
天元三年(980)5月14日、御読経が結願した。(『小記目録』)
5月22日 天変
天元三年(980)5月22日、虹が宜陽殿の庭ならびに所々にかかっていた。(『小記目録』)
5月25日 村上天皇国忌
天元三年(980)5月25日丁卯、村上天皇の国忌であった。雲林院において親王たちが善根を修した。(『日本紀略』)
5月28日 藤原媓子の周忌御斎会/侍臣の美服禁止
天元三年(980)5月28日庚午、法性寺において公家は故藤原媓子の周忌法会を修した。(『日本紀略』)
また、侍臣の美服が禁じられた。(『小記目録』)
6月
6月1日 皇子懐仁 誕生
天元三年(980)6月1日壬申、寅の刻に女御藤原詮子が第一王子懐仁(後の一条天皇)を出産した。(『日本紀略』)
6月10日 御体御卜奏
天元三年(980)6月10日辛巳、御体御卜が行われた。(『日本紀略』)
6月11日 月次祭・神今食
天元三年(980)6月11日壬午、月次祭・神今食が行われた。円融天皇はお出ましにならなかった。本官に託された。(『日本紀略』)
7月
7月1日 除目
天元三年(980)7月1日壬寅、除目の議が行われた。(『小記目録』)
7月9日 暴風雨
天元三年(980)7月9日庚戌、午後に大風・暴雨があった。宮中の樹木・諸門・羅城門などが顛倒し、東西両京の人家の多くが破損した。(『日本紀略』)
7月10日 触穢
天元三年(980)7月10日辛亥、内裏で穢気があった。(『小記目録』)
7月15日 大雨
天元三年(980)7月15日、夜に大雨が降った。洪水が溢れて東西両京が大河となり、流損した舎屋はとても多かった。(『日本紀略』)
7月17日 仁王会/相撲召仰
天元三年(980)7月17日戊午、仁王会が修された。円融天皇の御物忌により、右大臣藤原兼家が一人で参籠した。また、相撲召仰があった。(『小記目録』)
7月19日 相撲人に瓜を給わる
天元三年(980)7月19日庚申、相撲人に瓜を給わった。(『小記目録』)
7月21日 藤原頼忠が相撲を鑑賞
天元三年(980)7月21日、藤原頼忠が相撲を見た。(『小記目録』)
7月22日 相撲人に食を給わる
天元三年(980)7月22日、大将家が相撲人に食を給わった。(『小記目録』)
7月25日 府内取
天元三年(980)7月25日、府内取が行われた。(『小記目録』)
7月26日 御膳内取
天元三年(980)7月26日、御膳内取が行われた。(『小記目録』)
7月29日 相撲召合
天元三年(980)7月29日、相撲召合は、異損により省略された。(『小記目録』)
8月2日 相撲抜出の延期
天元三年(980)8月2日、雨により相撲抜出が延期となった。隔日に行われることになった。(『小記目録』)
8月10日 相撲
天元三年(980)8月10日、府において相撲の還饗を給わった。(『小記目録』)
7月20日 皇子懐仁 五十日の儀
天元三年(980)7月20日辛酉、清涼殿において、皇子懐仁の御五十日の儀が行われた。御遊があった。(『日本紀略』)
7月23日 宇佐使発遣の延期
天元三年(980)7月23日甲子、穢により、宇佐使の発遣が延期となった。そこで、御禊を行った。(『小記目録』)
7月24日 怪異
天元三年(980)7月24日乙丑、近江国で大きな鳥の怪異があった。(『小記目録』)
7月25日 藤原実資 叙位
天元三年(980)7月25日丙寅、参議正四位下藤原実資が従四位上に叙された。(『公卿補任』)
8月
8月1日 皇子懐仁、親王になる/大洪水
天元三年(980)8月1日辛未、第一皇子懐仁が親王になった。(『日本紀略』)
大洪水があった。山林の舎屋の多くが江河を為した。(『扶桑略記』)
8月11日 定考の延期
天元三年(980)8月11日辛巳、厨の穢により定考が延期となった。(『小記目録』)
8月28日 定考
天元三年(980)8月28日、定考が行われた。(『小記目録』)
8月13日 季御読経/怪異
天元三年(980)8月13日癸未、季御読経が始められた。(『小記目録』)
右衛門府が近江国から進上された異鳥を献じた。(『日本紀略』)
8月16日 結願
天元三年(980)8月16日、季御読経が結願した。(『小記目録』)
9月
9月9日 節会の停止
天元三年(980)9月9日己酉、異損により節会は停止となった。(『小記目録』)
9月10日 盗人
天元三年(980)9月10日、盗人が御殿に侵入した。(『小記目録』)
9月11日 伊勢例幣
天元三年(980)9月11日辛亥、円融天皇が大極殿にお出ましになり、伊勢大神宮への例幣が奉られた。(『日本紀略』)
9月13日 盗人
天元三年(980)9月13日癸丑、盗人が弘徽殿女御藤原遵子の御曹司に侵入し、器物を掠め取った。東宮帯刀藤原景澄のしわざである。(『日本紀略』)
9月15日 盗人の免除
天元三年(980)9月15日、弘徽殿の御物を盗んだ者が免除された。(『小記目録』)
9月17日 賀茂社行幸舞人ならびに五節定
天元三年(980)9月17日丁巳、賀茂社行幸の舞人ならびに五節のことが定められた。(『小記目録』)
9月19日 賀茂社行幸調楽
天元三年(980)9月19日、賀茂社行幸の調楽があった。(『小記目録』)
9月26日 仁王経臨時御読経
天元三年(980)9月26日丙寅、僧三十口が仁王経御読経を修した。(『小記目録』)
9月29日 結願
天元三年(980)9月29日、仁王経御読経が結願した。(『小記目録』)
10月
10月2日 諸社奉幣
天元三年(980)10月2日壬申、賀茂社行幸御祈のために七社へ奉幣が行われた。(『小記目録』)
10月8日 賀茂社行幸試楽
天元三年(980)10月8日、賀茂社行幸の試楽が行われた。また、行幸の召仰があった。(『小記目録』)
10月10日 賀茂社行幸
天元三年(980)10月10日庚辰、円融天皇が賀茂者へおでかけになった。(『日本紀略』)
10月14日 触穢
天元三年(980)10月14日、賀茂社行幸の明け方、宮中に人の頭が密かに棄てられていた。(『小記目録』)
10月20日 尊子内親王 入内
天元三年(980)庚寅、尊子内親王が入内した。(『日本紀略』)
10月26日 賀茂臨時祭のことを定める
天元三年(980)10月26日丙申、賀茂臨時祭のことが定められた。(『小記目録』)
11月
11月8日 春日祭使
天元三年(980)11月8日、春日祭使が立てられた。(『小記目録』)
11月9日 平野祭・春日祭
天元三年(980)11月9日戊申、平野祭・春日祭が行われた。(『日本紀略』)
11月13日 大原野祭
天元三年(980)11月13日壬子、大原野祭が行われた。(『日本紀略』)
近衛・馬寮使は参らなかった。(『小記目録』同年11月14日条)
11月14日 五節舞姫参入
天元三年(980)11月14日癸丑、五節の舞姫が参入した。(『小記目録』)
11月16日 新嘗祭
天元三年(980)11月16日乙卯、新嘗祭が行われた。円融天皇はお出ましにならなかった。(『日本紀略』)
11月17日 豊明節会
天元三年(980)11月17日丙辰、節会が行われた。円融天皇がお出ましになった。(『日本紀略』)
節会内弁は、小忌であったが位袍を著した。(『小記目録』)
11月22日 内裏焼亡
天元三年(980)11月22日辛酉、賀茂臨時祭が行われた。宣命を奏する間、主殿寮の官人候所から突然火炎が起こった。円融天皇は神嘉殿にお出ましになった。女御藤原遵子は左近衛府少将曹司に移った。一品資子内親王は縫殿寮に移った。前斎院尊子は本家に移った。この間、諸殿舎はみな悉く焼亡した。残ったのは采女町・御書所・桂芳坊などである。戌の刻、円融天皇は職曹司にお移りになった。諸衛の警固が行われた。(『日本紀略』)
11月23日 内裏焼亡後の雑事を定める/資子内親王、職曹司に移御
天元三年(980)11月23日壬戌、内裏焼亡以後の雑事が定められた。(『小記目録』)
この日から三日間廃務になった。夜、一品資子内親王が里第から職御曹司に移った。(『日本紀略』)
11月26日 神鏡を移す
天元三年(980)11月26日乙丑、神鏡を神嘉殿から縫殿に移し奉った。(『小記目録』)
11月28日 服御常膳を減じる/御修法
天元三年(980)11月28日丁卯、詔により、公家及び皇后の服御常膳を減じること、五畿七道諸国の未進の調庸を免除すること、天下の百姓に半徭を復すことになった。内裏焼亡によるものである。(『日本紀略』)
この日、兵衛府において僧都寛朝が御修法を修した。(『日本紀略』)
12月
12月1日 盗人
天元三年(980)12月1日庚午の夜、但馬守堯時の邸宅に強盗数十人が侵入し、財物を盗んだ。(『日本紀略』)
12月5日 賀茂臨時祭の停止/政始
天元三年(980)12月5日甲戌、陰陽寮を召して賀茂臨時祭を行うべきか否か占わせた。占って曰く、臨時祭を行うのは不吉だということになった。そこで、停止した。(『日本紀略』)
この日、政始であった。上卿は假陣舎に著した。(『小記目録』)
12月7日 賀茂社へ奉幣使を発遣
天元三年(980)12月7日丙子、賀茂臨時祭の停止により、賀茂社へ奉幣使を発遣した。(『日本紀略』)
12月10日 御体御卜奏
天元三年(980)12月10日己卯、御体御卜奏が行われた。
この日、勘解由使庁を以て弘徽殿女御藤原遵子の休所とした。(『日本紀略』)
12月11日 月次祭・神今食
天元三年(980)12月11日庚辰、神祇官において月次祭・神今食が行われた。円融天皇はお出ましにならなかった。(『日本紀略』)
12月13日 諸社奉幣使
天元三年(980)12月13日壬午、内裏焼亡により、伊勢大神宮などの諸社へ奉幣使が発遣された。(『日本紀略』)
12月15日 荷前
天元三年(980)12月15日甲申、荷前使が立てられた。(『小記目録』)
12月17日 内裏焼亡を諸陵に報告
天元三年(980)12月17日丙戌、柏原・村上の二陵に使者を遣わし、内裏焼亡のことを告げられた。(『日本紀略』)
12月21日 太政官庁遷御/竈神を移す
天元三年(980)12月21日庚寅、円融天皇は太政官へお移りになった。(『日本紀略』)
この日、御竈神を勘解由使庁に移した。(『小記目録』)
12月26日 神鏡を移す/解陣
天元三年(980)12月26日乙未、神鏡を朝所に移した。また、解陣が行われた。(『小記目録』)
12月29日 東宮御仏名
天元三年(980)12月29日戊戌、東宮(師貞親王)の御仏名があった。(『小記目録』)
12月30日 追儺
天元三年(980)12月30日己亥、追儺が行われた。(『小記目録』)
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天元四年(981)
1月
1月1日 小朝拝の停止/元日節会/藤原頼忠家拝礼
天元四年(981)1月1日庚子、円融天皇は太政官庁にいらっしゃったため、小朝拝は停止となった。(『小右記』天元五年〈982〉1月1日条)
元日節会が行われた。絹が無いので、禄を給わらなかった。(『小記目録』)
関白家(藤原頼忠)の拝礼があった。(『小記目録』)
1月2日 太政大臣臨時客
天元四年(981)1月2日辛丑、関白家(藤原頼忠)の臨時客が行われた。(『小記目録』)
1月4日 卯杖/版位紛失
天元四年(981)1月4日癸卯、卯杖のことがあった。また、版位紛失があった。(『小記目録』)
1月5日 叙位
天元四年(981)1月5日甲辰、叙位の議があった。(『日本紀略』)
1月7日 節会/叙位
天元四年(981)1月7日丙午、節会があった。参議を以て式部卿代とした。白馬が院より召された。(『小記目録』)
叙位の議があった。関白太政大臣藤原頼忠を従一位に叙した。(『公卿補任』)
1月8日 御斎会
天元四年(981)1月8日丁未、御斎会が始められた。(『日本紀略』)
1月14日 結願
天元四年(981)1月14日癸丑、御斎会が結願した。酒肴が左近衛陣に儲けられた。(『小記目録』)
1月10日 叙位/藤原公任 昇殿
天元四年(981)1月10日己酉、前斎院尊子内親王を二品に叙した。(『日本紀略』)
この日、参議正四位下藤原公任が昇殿を許された。(『公卿補任』)
1月13日 斎宮寮雑舎焼亡
天元四年(981)1月13日壬子、斎宮寮雑舎十三字で火災があった。(『日本紀略』)
1月22日 除目召仰
天元四年(981)1月22日、除目の召仰があった。(『小記目録』)
1月25日 除目
天元四年(981)1月25日甲子、除目が始められた。(『日本紀略』)
1月29日 除目
天元四年(981)1月29日戊辰、除目の議が行われた。(『日本紀略』)
2月
2月4日 祈年祭・春日祭
天元四年(981)2月4日壬申、祈年祭・春日祭が行われた。(『日本紀略』)
2月9日 釋奠/園・韓神祭/采女司庁焼亡
天元四年(981)2月9日丁丑、釋奠ならびに園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
夜、采女司庁が焼亡した。(『日本紀略』)
2月11日 列見
天元四年(981)2月11日己卯、民部省において列見が行われた。(『日本紀略』)
2月14日 諸社奉幣使発遣
天元四年(981)2月14日壬午、伊勢大神宮などの諸社へ奉幣使が発遣された。来たる20日の造営による。(『日本紀略』)
2月16日 諸社奉幣使発遣
天元四年(981)2月16日甲申、伊勢大神宮以下五社(石清水・賀茂・松尾・平野・春日)へ奉幣使が発遣された。(『日本紀略』)
2月17日 藤原実資、蔵人頭に補任
天元四年(981)2月17日乙酉、参議正四位下藤原実資が蔵人頭に補任した。(『公卿補任』)
2月20日 平野社行幸/造営事始
天元四年(981)2月20日戊子、円融天皇が平野へお出かけになった。社司に加爵した。午の刻、造営のことが始められた。(『日本紀略』)
3月
3月7日 石清水臨時祭試楽
天元四年(981)3月7日甲辰、石清水臨時祭の試楽が行われた。(『日本紀略』)
3月9日 石清水臨時祭
天元四年(981)3月9日丙午、石清水臨時祭が行われた。蔵人頭右近少将藤原実資が使者を務めた。(『日本紀略』)
3月13日 木工町で火災
天元四年(981)3月13日庚戌、木工町で火災があった。(『小記目録』)
3月14日 季御読経
天元四年(981)3月14日辛亥、季御読経が始められた。(『日本紀略』)
3月17日 結願
天元四年(981)3月17日甲寅、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
3月15日 大刀・契を内侍所に移す
天元四年(981)3月15日壬子、御所の大刀・契を内侍所へ移した。(『日本紀略』)
3月23日 諸国に今年の半租を免除する
天元四年(981)3月23日庚申、詔書により、造営によって諸国の今年の半租を免じることになった。(『日本紀略』)
3月24日 御読経
天元四年(981)3月24日辛酉、造営により建礼門において御読経が修された。(『日本紀略』)
3月27日 結願
天元四年(981)3月27日甲子、御読経が結願した。(『日本紀略』)
3月25日 御卜・御祈
天元四年(981)3月25日、御薬・御卜・御祈があった。(『小記目録』)
3月27日 大祓
天元四年(981)3月27日甲子、大祓が行われた。(『日本紀略』)
3月29日 御薬
天元四年(981)3月29日、御薬の間、釈経師を召した。(『小記目録』)
3月30日 仁王会
天元四年(981)3月30日丁卯、仁王会が行われた。文章博士菅原資忠が呪願文を作成した。(『日本紀略』)
円融天皇は「この頃、天変地異が休みなく起こっている。そこで、今回は災いを鎮めるために般若経を修することにした。仁王会の法師たちには度者を給わる。藤原実資は綸旨を受けて左大臣源雅信に伝えた。検校は左衛門督源重光であったが、左大臣が伺候していたので伝えなかった。(『北山抄』)
4月
4月4日 広瀬・龍田祭
天元四年(981)4月4日辛未、広瀬・龍田祭が行われた。(『日本紀略』)
4月5日 平野祭
天元四年(981)4月5日壬申、平野祭が行われた。近衛将監は参らなかった。(『小記目録』)
4月8日 灌仏
天元四年(981)4月8日乙亥、灌仏が行われた。(『小記目録』)
4月15日 賀茂祭の斎院御禊
天元四年(981)4月15日壬午、賀茂祭の斎王選子内親王の御禊が行われた。(『日本紀略』)
上卿は参らなかった。参議が行った。(『小記目録』)
4月17日 警固
天元四年(981)4月17日甲申、賀茂祭の警固が行われた。(『小記目録』)
4月18日 賀茂祭
天元四年(981)4月18日乙酉、賀茂祭が行われた。参議は参らなかった。上卿が一人で行った。(『小記目録』)
4月19日 解陣
天元四年(981)4月19日、解陣が行われた。(『小記目録』)
4月17日 藤原頼忠、賀茂社参詣
天元四年(981)4月17日甲申、藤原頼忠が賀茂社へ参詣した。(『小記目録』)
4月25日 御卜
天元四年(981)4月25日壬辰、鹿が太政官・民部省に侵入した。御卜が行われた。(『日本紀略』)
5月
5月11日 仁王経不断御読経/致平親王 出家
天元四年(981)5月11日丁未、清涼殿において仁王経不断御読経が修された。僧二十口。(『日本紀略』)
この日、兵部卿四品致平親王が中山において出家した。園城寺に住んだ。(『日本紀略』)
5月16日 結願
天元四年(981)5月16日壬子、御読経が結願した。(『日本紀略』)
5月20日 御卜
天元四年(981)5月20日丙辰、霖雨があった。御卜が行われた。(『小記目録』)
5月21日 御祈
天元四年(981)5月21日丙辰、霖雨の御祈があった。(『小記目録』)
5月25日 村上天皇国忌/触穢
天元四年(981)5月25日辛酉、村上天皇の御国忌であった。(『小記目録』)
左大臣家(源雅信)の穢が内裏に及んだ。(『小記目録』)
5月26日 諸卿・諸司の参内を停止
天元四年(981)5月26日壬戌、昨日から内裏で死穢があったので、諸卿・諸司の参内を停止した。(『日本紀略』)
6月
6月4日 盗人
天元四年(981)6月4日己未、采女町に盗人が現れた。(『小記目録』)
6月10日 御体御卜奏
天元四年(981)6月10日乙亥、御体御卜奏が行われた。宮中の穢により、陣の外において奏された。内侍所に託された。(『日本紀略』)
6月11日 月次祭・神今食の延期
天元四年(981)6月11日丙子、内裏の穢により、月次祭・神今食は延期となった。建礼門において大祓が修された。(『日本紀略』)
6月29日 月次祭・神今食
天元四年(981)6月29日甲午、月次祭・神今食が行われた。(『日本紀略』)
6月20日 移徙の雑事を勘申
天元四年(981)6月20日、御移徙の間の雑事を勘申させた。(『小記目録』)
6月23日 祈雨
天元四年(981)6月23日、祈雨の御祈が行われた。(『小記目録』)
6月25日 祈雨
天元四年(981)6月25日庚寅、祭主大中臣能宣を召して降雨を祈願させた。(『小記目録』)
7月
7月5日 造営御読経
天元四年(981)7月5日庚子、造営御読経が修された。(『小記目録』)
7月7日 乞巧奠/四条後院遷御
天元四年(981)7月7日壬寅、乞巧奠が行われた。(『小記目録』)
円融天皇は四条後院へお移りになった。太政大臣藤原頼忠の四条坊門大宮邸である。これを後院とした。(『日本紀略』)
7月8日 内裏立柱上棟
天元四年(981)7月8日癸卯、内裏の柱を立て始めた。(『日本紀略』)
7月11日 神鏡・竈神を移す
天元四年(981)7月11日丙午、神鏡・御竈神を移し奉った。上卿は帯剣した。(『小記目録』)
7月14日 盂蘭盆
天元四年(981)7月14日己酉、盂蘭盆が供された。(『小記目録』)
7月16日 臨時奉幣定
天元四年(981)7月16日辛亥、臨時奉幣のことが定められた。(『小記目録』)
7月25日 相撲内取
天元四年(981)7月25日、相撲の内取の前例を勘申させた。(『小記目録』)
7月28日 相撲召合
天元四年(981)7月28日癸亥、相撲召合があった。円融天皇は御直衣を着用してお出ましになった。威儀の御膳・御菓物などは供しなかった。(『小記目録』)
8月1日 相撲抜出
天元四年(981)8月1日、相撲の抜出があった。(『小記目録』)
7月29日 御薬
天元四年(981)7月29日甲子、御薬があった。(『小記目録』)
8月
8月2日 御修法
天元四年(981)8月2日丙寅、奉幣前の斎日、御修法が行われた。(『小記目録』)
8月3日 諸社奉幣/釋奠
天元四年(981)8月3日丁卯、内裏の穢の間、奉幣使が立てられた。賀茂使には地下四位を用いられた。御悩ならびに伊勢幣により、釋奠の宴座を停止した。(『小記目録』)
8月4日 大神宮御託宣/明経学生に禄を給わる
天元四年(981)8月4日戊辰、御悩の間、大神宮の御託宣があった。また、明経学生たちに禄を給わった。(『小記目録』)
8月8日 山陵使発遣
天元四年(981)8月8日壬申、御悩により山陵使が発遣された。(『小記目録』)
8月10日 五壇法
天元四年(981)8月10日甲戌、円融天皇のご病気により、天台座主良源が五壇法を修した。ご病気は快復した。(『小記目録』)
8月16日 良源、輦車宣旨
天元四年(981)8月16日庚辰、勅により、僧正良源に輦車に乗って宮中を出入りすることが許された。円融天皇がご病気の間、御修法の験力があったことによる。(『日本紀略』)
8月23日 季御読経定
天元四年(981)8月23日、季御読経のことが定められた。(『小記目録』)
8月26日 季御読経
天元四年(981)8月26日、季御読経が始められた。(『小記目録』)
8月29日 結願
天元四年(981)8月29日、季御読経が結願した。(『小記目録』)
8月25日 定考/大祓/官符請印
天元四年(981)8月25日己丑、定考が行われた。伊勢遷宮の大祓が修された。官符請印があった。(『小記目録』)
8月28日 藤原斉信 東宮昇殿
天元四年(981)8月28日壬辰、参議従四位上藤原斉信が東宮(師貞親王)昇殿を許された。(『公卿補任』)
8月30日 良源、大僧正に任ぜられる
天元四年(981)8月30日甲午、僧正良源が大僧正に任ぜられた。(『僧綱補任』)
9月
9月1日 御燈御卜/版位紛失
天元四年(981)9月1日乙未、御燈御卜が行われた。また、版位紛失があった。(『小記目録』)
9月4日 藤原貞孝 頓死
天元四年(981)9月4日戊戌、蔵人式部丞藤原貞孝が殿上に伺候している間、鬼物に殺められた。(『日本紀略』)
『今昔物語集』
9月8日 菅原文時 薨去
天元四年(981)9月8日壬寅、従三位式部大輔菅原文時が薨じられた。(『日本紀略』)
9月9日 伊勢神宝使進発
天元四年(981)9月9日、伊勢神宝使が進発した。穢により、禄を給わらなかった。(『小記目録』)
9月11日 伊勢例幣
天元四年(981)9月11日乙巳、伊勢例幣が行われた。(『小記目録』)
9月13日 職曹司遷御
天元四年(981)9月13日丁未、円融天皇が四条後院から職曹司へお移りになった。(『日本紀略』)
9月25日 東宮御元服定
天元四年(981)9月25日己未、東宮(師貞親王)の御元服が定められた。(『小記目録』)
9月27日 五節定
天元四年(981)9月27日辛酉、五節のことが定められた。(『小記目録』)
9月28日 五節の召仰
天元四年(981)9月28日、五節に人を献ずべき人を召し仰せた。(『小記目録』)
10月
10月4日 叙位
天元四年(981)10月4日戊辰、叙位の議が行われた。(『公卿補任』)
10月6日 御悩
天元四年(981)10月6日庚午、円融天皇はご病気になった。(『小記目録』)
10月12日 孔雀経御修法
天元四年(981)10月12日丙子、孔雀経御修法が修された。(『小記目録』)
10月16日 京官除目
天元四年(981)10月16日庚辰、京官除目があった。(『小記目録』)
10月21日 造営所御読経/安鎮法
天元四年(981)10月21日乙酉、造営所御読経・安鎮法が行われた。(『小記目録』)
10月24日 結願
天元四年(981)10月24日、御読経が結願した。(『小記目録』)
10月26日 造営所仁王会/山陵使発遣
天元四年(981)10月26日庚寅、造営所仁王会が行われた。(『小記目録』)
この日、新造内裏遷御により、山陵使が発遣された。(『小記目録』)
10月27日 新造内裏遷御
天元四年(981)10月27日辛卯、円融天皇は新造内裏へお移りになった。東宮(師貞親王)は昭陽舎にいらっしゃった。(『日本紀略』)
11月
11月14日 円融天皇、御物忌を破る
天元四年(981)11月14日、円融天皇は御物忌を破り紫宸殿にお出ましになった。(『小記目録』)
11月18日 大原野祭
天元四年(981)11月18日壬子、大原野祭が行われた。(『小記目録』)
11月19日 園・韓神祭
天元四年(981)11月19日癸丑、園・韓神祭が行われた。(『小記目録』)
11月20日 鎮魂祭
天元四年(981)11月20日甲寅、鎮魂祭が行われた。(『小記目録』)
11月21日 新嘗祭
天元四年(981)11月21日乙卯、新嘗祭があった。(『小記目録』)
11月22日 豊明節会
天元四年(981)11月22日丙辰、豊明節会が行われた。(『小記目録』)
11月23日 火災
天元四年(981)11月23日丁巳、内裏の火事を消火した。(『小記目録』)
11月25日 賀茂臨時祭試楽
天元四年(981)11月25日、賀茂臨時祭の試楽が行われた。(『小記目録』)
11月26日 賀茂臨時祭
天元四年(981)11月26日庚申、賀茂臨時祭が行われた。(『小記目録』)
12月
12月4日 造営叙位
天元四年(981)12月4日丁卯、造営叙位が行われた。(『小記目録』)
12月9日 東宮御元服の延期
天元四年(981)12月9日壬申、故摂政藤原伊尹の娘の逝去により、東宮(師貞親王)の御元服は延期となった。(『小記目録』)
12月10日 御体御卜奏
天元四年(981)12月10日癸酉、御体御卜奏が行われた。上卿は参らなかった。(『小記目録』)
12月11日 月次祭・神今食
天元四年(981)12月11日甲戌、月次祭・神今食が行われた。上卿が参らなかったので、弁官が代わりを務めた。(『小記目録』)
12月14日 蔵人・殿上人を定める
天元四年(981)12月14日丁丑、蔵人を補し、殿上人を定めた。(『公卿補任』)
12月15日 旬
天元四年(981)12月15日戊寅、遷宮後初めての旬の儀が行われた。(『小記目録』)
12月19日 御仏名
天元四年(981)12月19日壬午、御仏名が始められた。(『小記目録』)
12月22日 荷前
天元四年(981)12月22日乙酉、荷前のことがあった。(『小記目録』)
12月26日 東宮御仏名
天元四年(981)12月26日己丑、東宮(師貞親王)の御仏名が行われた。(『小記目録』)
12月27日 直物・小除目・一分召
天元四年(981)12月27日庚寅、直物ならびに除目・一分召が行われた。(『小記目録』)
12月29日 郡司読奏
天元四年(981)12月29日壬辰、郡司読奏が行われた。(『小記目録』)
12月30日 追儺
天元四年(981)12月30日癸巳、追儺が行われた。(『小記目録』)
+ 天元五年(982)の年表を見る
天元五年(982)
1~6月は小右記に詳細が記載されているので、小右記を参照すること
1月
1月1日 供御薬/小朝拝/元日節会/太政大臣家拝礼
天元五年(982)1月1日甲午、午の刻に藤原実資は藤原頼忠のもとへ参り、諸大夫ともに南庭において拝礼した。(『小右記』)
申の刻に例年通り御薬が供された。今日は円融天皇の御物忌ではあったが、覆推では軽かったので、まず御諷誦を修された。左右大臣(源雅信・藤原兼家)が陣座において小朝拝を奏した。(『小右記』★)
1月2日 御物忌/東宮大饗/太政大臣臨時客
天元五年(982)1月2日乙未、東宮(師貞親王)の大饗があった。今日は円融天皇の御物忌であったため、藤原実資は参入しなかった。(『小右記』)
藤原実資は源雅信のもとへ参り、次いで按察大納言藤原為光のもとへ参った。それから藤原頼忠のもとへ参った。公卿が多数参入し、拝礼した。(『小右記』★)
1月3日 左大臣家拝礼/御薬/蔵人所衆の饗宴
天元五年(982)1月3日丙申、左大臣家(源雅信)で拝礼があった。(『小右記』★)
申の刻に所司が御薬を供した。(『小右記』)
蔵人頭藤原実資が饗宴を開いた。(『小右記』★)
1月5日 叙位の延期
天元五年(982)1月5日戊戌、円融天皇の御物忌により、叙位の議は延期となった。(『日本紀略』)
1月6日 叙位
天元五年(982)1月6日己亥、叙位の議が行われた。子二刻に終わり、公卿は退下した。(『小右記』★)
1月7日 節会
天元五年(982)1月7日庚子、未の刻頃に藤原実資は参内した。申の刻、円融天皇が紫宸殿にお出ましになった。(『小右記』★)
1月8日 御斎会
天元五年(982)1月8日辛丑、御斎会が始められた。(『小記目録』)
1月14日 結願
天元五年(982)1月14日丁未、御斎会が結願した。(『日本紀略』)
1月9日 皇太后宮大饗
天元五年(982)1月9日壬寅、皇太后宮(昌子内親王)の大饗があった。(『小右記』)
1月10日 女叙位/藤原道長 昇殿
天元五年(982)1月10日癸卯、女叙位が行われた。(『小右記』★)
この日、藤原道長らが昇殿を許された。(『小右記』★)
1月13日 右近衛府荒手結
天元五年(982)1月13日丙午、右近衛府の荒手結が行われた。藤原実資は穢により著さなかった。今日から四日間は円融天皇の御物忌である。(『小右記』★)
1月14日 東宮帯刀手結
天元五年(982)1月14日丁未、東宮の帯刀手結があった。(『小右記』)
1月15日 兵部手結/右近衛府真手結
天元五年(982)1月15日戊申、兵部手結であった。藤原実資は障りを称して参らなかった。右近衛府の真手結も同様に障りを称して着さなかった。(『小右記』★)
1月16日 踏歌節会
天元五年(982)1月16日己酉、御物忌により、円融天皇は紫宸殿にお出ましにならなかった。秉燭の後、節会が始まった。通例どおり、雅楽寮が立楽を行い、大唐・高麗の各二曲を奏した。(『小右記』★)
1月17日 射礼/触穢
天元五年(982)1月17日庚戌、射礼が行われた。(『小右記』★)
右衛門府の厨町で死体が発見された。巳の刻頃に下人がこれを発見したが、辰の刻に右近衛府から陣の食事を本陣に送っていた。陣官はこれを食べた。穢とすべきか相談があったが、円融天皇は「穢は、初めて見たときに穢とする。その下人は辰の刻に食事を送り、その後、巳の刻に死体を見たのだから、穢にはならない」とした。(『小右記』★)
1月18日 賭弓の延期
天元五年(982)1月18日辛亥、未の刻頃に雨が降ったので、円融天皇は射場にお出ましにならなかった。両大将も参らなかった。明日、賭弓を行うことになった。(『小右記』★)
1月19日 賭弓
天元五年(982)1月19日壬子、賭弓が行われた。(『小右記』★)
1月19日 政始/尊子内親王参内
天元五年(982)1月19日壬子、政始であった。(『日本紀略』)
二品宮(尊子内親王)が参入された。承香殿を直盧とした。始めは、麗景殿にいらっしゃった。(『小右記』)
1月22日 官奏/諸司・所々で参仕しない者を勘申/御修法
天元五年(982)1月22日乙卯、藤原実資は源雅信に諸司・所々で参仕していない者を勘申するよう伝え仰せた。源雅信は官奏を務めるため伺候した。(『小右記』★)
また、仁寿殿において寛朝僧正が御修法を行った。(『小右記』)
1月25日 除目召仰
天元五年(982)1月25日戊午、除目の召仰があった。(『小右記』★)
1月26日 除目
天元五年(982)1月26日己未、除目の議が始められた。(『小右記』★)
1月28日 藤原超子 卒去
天元五年(982)1月28日辛酉の朝、女御藤原超子が頓滅した。(『小右記』)
2月
2月1日 除目終了
天元五年(982)2月1日甲子、辰二刻に除目の議が終了した。諸卿は退下した。(『小右記』)
2月3日 諸祭の延期
天元五年(982)2月3日丙寅、穢により、祈年祭・春日祭・釋奠祭・園韓神祭・大原野祭が延期となった。(『小右記』★)
2月4日 祈年祭の延期/御卜御祈
天元五年(982)2月4日丁卯、雨が降った。祈年祭の延期により、大祓が行われた。(『小右記』)
円融天皇は藤原実資に「先月末から足を患っている。陰陽師を召して占い申させるように。また、医家を召してそのことを問わせるように。また、御祈を奉仕させるように」と仰られた。実資は陰陽師のことを式部丞藤原公正に託した。(『小右記』)
2月7日 海賊追討を定める
天元五年(982)2月7日庚午、藤原実資は「ここ数ヶ月に渡り、海賊が蜂起しています」と奏上した。(『小右記』★)
2月8日 検非違使宣旨
天元五年(982)2月8日辛未、検非違使宣旨のことがあった。(『小右記』★)
2月11日 列見の延期
天元五年(982)2月11日甲戌、厨家の穢により、列見は延期となった。(『日本紀略』)
2月13日 御遊
天元五年(982)2月13日丙子、清涼殿の西方において御遊が行われた。(『小右記』★)
2月14日 月食
天元五年(982)2月14日丁丑、月食があった。(『小右記』★)
2月15日 余慶が御襲・御袴を賜る
天元五年(982)2月15日戊寅、余慶僧都が二間所において御襲・御袴を賜った。(『小右記』)
2月17日 東宮御元服の雑事を定める
天元五年(982)2月17日庚辰、東宮(師貞親王)の御元服の儀のことが定められた。(『小右記』★)
子の刻頃、女御藤原遵子が参入した。(『小右記』★)
2月18日 祈年祭/織部司東辺の小屋焼亡
天元五年(982)2月18日辛巳、祈年祭が行われた。穢により延期されていたものである。夜、織部司の東辺の小屋が焼亡した。(『小右記』)
2月19日 東宮御元服/下人が弘徽殿に侵入
天元五年(982)2月19日壬午、皇太子師貞親王が紫宸殿において御元服の儀を行った。円融天皇が紫宸殿にお出ましになった。左大臣未源雅信が加冠、中納言源重光が理髪を務めた。音楽の演奏があった。詔書により、六位以下の者に位一階を加えることになった。去る天元三年からの調庸の未進を免除することになった。東宮宣旨・御乳母の叙位があり、大臣以下に禄を給わった。(『日本紀略』)
この儀式の多くは、応和の例による。(『小右記』★)
夜、下人が刀を抜き、走って弘徽殿の渡殿に登った。藤原頼忠の随身がこれを捕えた。すぐに検非違使に身柄を渡した。(『小右記』)
2月20日 春日祭使の代官を立てる
天元五年(982)2月20日癸未、春日祭使右近少将藤原信輔が出立する間、私宅が思いがけず穢に触れた。左大臣がこのことを奏聞したところ、諸衛の佐は障りを申して奉仕しないということだった。諸大夫も同様に障りを申した。そこで、御社に参っている諸大夫を近衛府使にすることになった。(『日本紀略』『小右記』★)
2月21日 春日祭
天元五年(982)2月21日甲申、春日祭が行われた。(『小右記』★)
2月22日 率川祭/石清水臨時祭について定める/列見
天元五年(982)2月22日乙酉、率川祭が行われた。(『小記目録』)
石清水臨時祭の使者・舞人・陪従を定めた。また、列見が行われた。(『小右記』★)
2月23日 藤原遵子立后の意向/伊予国賊首追討
天元五年(982)2月23日丙戌、藤原実資は密々に立后の意向について伝えられた。(『小右記』★)
戌の刻頃、藤原実資は伊予国からの「賊首能原兼信及び他の賊15人を追討した」という解文を言上した。(『小右記』)
2月24日 釋奠
天元五年(982)2月24日丁亥、釋奠が行われた。(『小右記』★)
2月26日 園・韓神祭
天元五年(982)2月26日己丑、園・韓神祭が行われた。内裏の穢によって延期されていたものである。(『日本紀略』)
2月27日 群盗
天元五年(982)2月27日庚寅、円融天皇は「この頃、京中は閑かではない。群盗が巷に満ちている。殺害は連日に及ぶ。これは、検非違使が職掌を勤めていないせいである。大相国(藤原頼忠)が定め申すように」と仰った。(『小右記』★)
2月28日 大原野祭/検非違使が矢を放たれる
天元五年(982)2月28日辛卯、大原野祭が行われた。(『小右記』)
また、右近馬場に帯刀・弓箭を帯びた者がいた。検非違使たちはその者に矢を放たれた。(『小右記』★)
3月
3月1日 日食
天元五年(982)3月1日癸巳、日食があった。(『小右記』★)
3月2日 藤原頼忠、御読経始
天元五年(982)3月2日甲午、藤原頼忠の御読経始が修された。(『小右記』★)
3月3日 御禊
天元五年(982)3月3日乙未、御燈を奉らない由の御禊が行われた。円融寺行幸の日時を大納言源重信が勘申することになった。(『小右記』★)
3月5日 直物・小除目/藤原遵子立后の日時を勘申
天元五年(982)3月5日丁酉、直物・小除目が行われた。また、藤原遵子を皇后に立てることになった。(『小右記』★)
賀茂光栄が立后の日時を勘申した。11日癸卯の酉二刻となった。(『小右記』)
3月11日 藤原遵子立后
天元五年(982)3月11日癸卯、藤原遵子が皇后に立てられた。(『小右記』★)
3月12日 勧学院生が立后を祝う
天元五年(982)3月12日甲辰、勧学院の学生が宮に参入した。大進源輔成を介して慶賀を啓上した。(『小右記』★)
3月14日 石清水臨時祭
天元五年(982)3月14日丙午、石清水臨時祭が行われた。(『小右記』★)
3月15日 興福寺が立后を祝う
天元五年(982)3月15日丁未、興福寺の僧が参入し、禄を賜った。(『小右記』)
3月16日 東宮御遊
天元五年(982)3月16日戊申、東宮(師貞親王)の和歌・管弦の御遊が行われた。(『小右記』)
3月21日 不動法
天元五年(982)3月21日癸丑、この日から仁寿殿において余慶が不動法を修し奉る。(『小右記』)
3月22日 賀茂禊祭の華美を禁じる
天元五年(982)3月22日甲寅、宣旨により、賀茂斎王禊祭の間、陪従人が綾羅を着用することを特に禁じることとなった。(『日本紀略』)
3月23日 中宮庁事始
天元五年(982)3月23日乙卯、中宮庁の事始であった。(『小右記』★)
3月25日 季御読経
天元五年(982)3月25日丁巳、季節御読経が始められた。(『小右記』★)
3月28日 結願
天元五年(982)3月28日庚申、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
3月26日 火事
天元五年(982)3月26日戊午、子の刻頃、西洞院大路の西辺の小宅で火災があった。(『小右記』)
4月
4月1日 旬平座
天元五年(982)4月1日壬戌、旬平座が行われた。(『小右記』★)
4月2日 藤原光昭 卒去
天元五年(982)4月2日癸亥、藤原光昭が卒去した。(『小右記』★)
4月4日 広瀬・龍田祭
天元五年(982)4月4日乙丑、広瀬・龍田祭が行われた。(『日本紀略』)
4月7日 擬階奏
天元五年(982)4月7日戊辰、擬階奏が行われた。(『小右記』★)
4月8日 灌仏の停止
天元五年(982)4月8日己巳、山科祭の日に当たるため、灌仏はなかった。(『小右記』)
4月9日 中宮臨時御給宣旨
天元五年(982)4月9日庚午、中宮臨時御給宣旨が下された。(『小右記』★)
4月11日 松尾祭・平野祭
天元五年(982)4月11日壬申、松尾祭・平野祭が行われた。(『日本紀略』)
4月12日 鬼気祭
天元五年(982)4月12日癸酉、藤原実資は陰陽師県奉平に鬼気祭を修させた。(『小右記』)
4月15日 中宮御入内の日時を改定
天元五年(982)4月15日丙子、来たる19日に中宮入内が予定されていたが、賀茂祭の日と近いため、他の日にすることが定められた。藤原実資は陰陽師を召して吉日を勘申させた。5月7日になった。(『小右記』★)
4月18日 大神祭
天元五年(982)4月18日己卯、大神祭使が出立した。(『小右記』★)
4月24日 賀茂祭
天元五年(982)4月24日乙酉、賀茂祭が行われた。(『小右記』★)
4月29日 藤原安子国忌
天元五年(982)4月29日庚寅、藤原安子の国忌であった。(『小右記』★)
7月
7月1日 住吉奉幣
天元五年(982)7月1日庚寅、住吉社へ奉幣が行われた。(『小記目録』)
住吉社へ走馬・音楽・勅使が奉献された。(『西宮記』)
7月2日 御祈/懐仁親王参覲
天元五年(982)7月2日辛卯、干ばつにより、神祇官において御祈が行われた。(『小記目録』)
懐仁親王が参覲された。(『日本紀略』)
7月4日 広瀬・龍田祭
天元五年(982)7月4日癸巳、広瀬・龍田祭が行われた。(『日本紀略』)
7月5日 御卜/日吉社御願使発遣
天元五年(982)7月5日、干ばつにより御卜が行われた。(『小記目録』)
比叡社へ幣帛使が発見された。音楽・走馬を奉献した。上卿大納言藤原為光が使侍従藤原道兼を召し、宣命を給わった。(『日本紀略』)
7月6日 祈雨奉幣定
天元五年(982)7月6日、祈雨奉幣のことが定められた。(『小記目録』)
7月8日 諸社奉幣/文殊会
天元五年(982)7月8日丁酉、八省院において伊勢大神宮の幣帛使が発遣された。また、諸社へ幣使が発遣された。(『日本紀略』)
文殊会が行われた。(『日本紀略』)
7月10日 東大寺御読経・五龍祭定
天元五年(982)7月10日、諸社ならびに東大寺御読経・五龍祭のことが定められた。(『小記目録』)
7月13日 東大寺御読経
天元五年(982)7月13日壬寅、諸社ならびに東大寺において御読経を行った。(『小記目録』)
7月16日 盗人
天元五年(982)7月16日乙巳、盗人を捜索した。(『小記目録』)
7月17日 祈雨/相撲召仰
天元五年(982)7月17日丙午、丹生・貴船両社へ祈雨奉幣が行われた。(『小記目録』)
蔵人左衛門尉藤原宣孝・右衛門尉平恒昌が使者を務めた。内裏で御修法が修されていたので、左衛門陣から発遣された。(『日本紀略』)
相撲召仰があった。(『小記目録』)
7月18日 請雨経法
天元五年(982)7月18日丁未、この日から七日間、神泉苑において請雨経法が修された。権律師元杲がこれを勤めた。伴僧は二十口であった。(『日本紀略』)
7月22日 大雨
天元五年(982)7月22日辛亥、大雨が降った。天下の人々は喜んだ。(『日本紀略』)
7月23日 稲荷社御願使発遣/右近衛府内取定
天元五年(982)7月23日壬子、稲荷社へ走馬・音楽を遣わし奉った。(『日本紀略』)
右近衛府の相撲内取のことが定められた。(『小記目録』)
7月25日 請雨経法 延期/東宮御読経
天元五年(982)7月25日甲寅、神泉苑の御修法が結願した。しかし感応が少ないので、二日間延長された。(『日本紀略』)
東宮(師貞親王)の御読経が修された。(『小記目録』)
7月26日 右近衛府内取
天元五年(982)7月26日、右近衛府の相撲内取があった。(『小記目録』)
7月27日 請雨経法 結願/御前内取
天元五年(982)7月27日丙辰、神泉苑の御修法が結願した。感応があった。勅使蔵人民部少輔源時通を遣わした。権律師元杲を以て権少僧都に補された。伴僧に度者を給わった。(『日本紀略』)
清涼殿の前で相撲内取があった。先例では仁寿殿の東庭で行われていたが、円融天皇の御物忌により清涼殿の前で行った。(『日本紀略』)
7月30日 相撲御覧
天元五年(982)7月30日、相撲御覧・追相撲・相撲抜出があった。(『小記目録』『日本紀略』)
7月28日 女官除目
天元五年(982)7月28日丁巳、女官除目があった。(『日本紀略』)
8月
8月3日 季御読経定
天元五年(982)8月3日、季御読経のことが定められた。(『小記目録』)
8月8日 釋奠/小除目/東宮童相撲の停止
天元五年(982)8月8日丁卯、釋奠・小除目が行われた。(『日本紀略』)
この日、東宮(師貞親王)において童相撲が予定されていたが、穢により中止になった。(『日本紀略』)
8月10日 滝口解却
天元五年(982)8月10日己未、滝口を解却した。(『小記目録』)
8月12日 季御読経/御修法/御悩
天元五年(982)8月12日辛未、季御読経が始められた。(『日本紀略』)
仁寿殿において御修法が修された。(『小記目録』)
円融天皇が体調を崩した。(『小記目録』)
御薬があった。(『日本紀略』)
8月15日 結願
天元五年(982)8月15日甲戌、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
8月14日 河臨御禊/御修法
天元五年(982)8月14日癸酉、河臨御禊が行われた。(『小記目録』)
母后藤原安子のために延暦寺において御懴法が行われた。(『小記目録』)
8月21日 結願
天元五年(982)8月21日、御懴法が結願した。(『小記目録』)
8月16日 臨時御読経
天元五年(982)8月16日乙亥、鷺の怪異により、臨時御読経が行われた。(『小記目録』)
8月24日 結願
天元五年(982)8月24日、臨時御読経が結願した。(『小記目録』)
8月18日 熾盛光法
天元五年(982)8月18日丁丑、熾盛光御修法が始められた。(『小記目録』)
8月19日 中宮仁王経不断御読経
天元五年(982)8月19日戊寅、中宮(藤原遵子)の不断仁王経御読経が行われた。(『小記目録』)
8月20日 談天門顛倒
天元五年(982)8月20日己卯、大風により、談天門が顛倒した。(『小記目録』)
8月24日 仁王経御読経
天元五年(982)8月24日癸未、紫宸殿において仁王経御読経が修された。(『日本紀略』)
8月27日 結願
天元五年(982)8月27日丙戌、御読経が結願した。(『日本紀略』)
8月27日 定考
天元五年(982)8月27日丙戌、定考が行われた。(『小記目録』)
9月
9月9日 重陽宴の停止
天元五年(982)9月9日丁酉、内裏で触穢があった。(『小記目録』)
円融天皇の御物忌により、重陽宴はなかった。(『日本紀略』)
9月11日 伊勢例幣
天元五年(982)9月11日己亥、例幣は、穢に触れていない上卿が行われた。(『小記目録』)
9月13日 五節定
天元五年(982)9月13日、五節定があった。(『小記目録』)
9月14日 五節舞姫参上
天元五年(982)9月14日、五節の舞姫が参上した。(『小記目録』)
9月17日 斎宮御禊
天元五年(982)9月17日乙巳、斎宮規子内親王が唐崎で御禊を行った。(『小記目録』)
9月27日 一分召
天元五年(982)9月27日乙卯、一分召があった。(『小記目録』)
10月
この月、大内記慶滋保胤が『池亭記』を作成した。
10月1日 更衣
天元五年(982)10月1日己未、更衣があった。(『小記目録』)
10月5日 射場始
天元五年(982)10月5日癸亥、射場始があった。(『小記目録』)
10月15日 京官除目
天元五年(982)10月15日癸酉、京官除目が始められた。(『日本紀略』)
10月22日 御読経
天元五年(982)10月22日庚辰、清涼殿において御読経が始められた。(『日本紀略』)
10月26日 結願
天元五年(982)10月26日甲申、御読経が結願した。五日間の間、説法・論議があった。(『日本紀略』)
11月
11月7日 春日祭使出立
天元五年(982)11月7日、春日祭使が出立した。(『小記目録』)
11月8日 平野祭・春日祭
天元五年(982)11月8日丙申、平野祭・春日祭が行われた。(『日本紀略』)
11月9日 春日祭使帰洛
天元五年(982)11月9日、春日祭使が帰洛した。(『小記目録』)
11月13日 園・韓神祭
天元五年(982)11月13日辛丑、園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
11月14日 鎮魂祭・皇太后宮鎮魂祭
天元五年(982)11月14日壬寅、鎮魂祭・皇太后(昌子内親王)鎮魂祭が行われた。(『日本紀略』)
11月15日 新嘗祭
天元五年(982)11月15日癸卯、新嘗祭が行われた。円融天皇は神嘉殿にお出ましにならなかった。神祇官において行われた。(『日本紀略』)
11月16日 豊明節会
天元五年(982)11月16日甲辰、豊明節会が行われた。円融天皇が紫宸殿にお出ましになった。(『日本紀略』)
小忌の上卿・宰相・少納言は参らなかった。(『小右記』)
11月17日 内裏焼亡
天元五年(982)11月17日乙巳、寅の刻、内裏が焼亡した。宜陽殿の北廂から出火した。円融天皇はまず中院へお出ましになり、次いで八省院小安殿へお移りになった。中宮藤原遵子は職曹司へお移りになった。東宮師貞親王は縫殿寮へお出ましになった。次いで内教坊へお移りになった。一品資子内親王もお移りになった。前斎院尊子内親王は本家にお出ましになった。この間、円融天皇は職曹司へお移りになった。今日は重日のため、明日警固を行うことを仰せた。神鏡を縫殿寮に移し奉った。(『日本紀略』)
11月18日 廃務
天元五年(982)11月18日丙午、今日から三日間、諸司は廃務になった。音楽は止められた。(『日本紀略』)
11月18日 御卜
天元五年(982)11月18日丙子、内裏焼亡により御卜が行われた。(『小記目録』)
11月19日 御祈
天元五年(982)11月19日丁丑、御卜により、祭主大中臣能宣ならびに賀茂社禰宜に仰せて御祈があった。(『小記目録』)
11月21日 賀茂臨時祭の延期
天元五年(982)11月21日己酉、穢により賀茂臨時祭は行われなかった。(『小記目録』)
12月4日 賀茂臨時祭
天元五年(982)12月4日、賀茂臨時祭が行われた。(『小記目録』)
11月22日 群兵の禁止
天元五年(982)11月22日、山城国司に仰せて群兵を禁じた。(『小記目録』)
東宮師貞親王が内教坊にいらっしゃる間、左右兵衛に啓陣に伺候させた。(『日本紀略』)
11月24日 大原野祭
天元五年(982)11月24日壬子、大原野祭が行われた。(『日本紀略』)
12月
12月5日 諸社奉幣・山陵使定
天元五年(982)12月5日壬戌、諸社奉幣が定められた。(『日本紀略』)
12月7日 神鏡・大刀契を職曹司に移す/懐仁親王 御着袴
天元五年(982)12月7日甲子、神鏡・大刀契を縫殿寮から職曹司へ移し奉った。(『日本紀略』)
懐仁親王の御着袴の儀が行われた。(『皇年代略記』)
12月8日 諸社奉幣
天元五年(982)12月8日乙丑、伊勢大神宮以下の諸社へ奉幣使が発遣された。内裏焼亡による。(『日本紀略』)
12月10日 御体御卜奏
天元五年(982)12月10日丁卯、御体御卜奏が行われた。(『日本紀略』)
12月11日 月次祭・神今食
天元五年(982)12月11日戊辰、月次祭・神今食が行われた。円融天皇は神祇官へお出かけになった。(『日本紀略』)
12月14日 山陵使発遣
天元五年(982)12月14日辛未、柏原・村上山陵へ山陵使が発遣された。内裏焼亡による。(『日本紀略』)
12月16日 源高明 薨去
天元五年(982)12月16日癸酉、前太宰権帥正二位源高明が薨じられた。(『日本紀略』)
12月20日 錫紵
天元五年(982)12月20日丁丑、円融天皇は御錫紵を着用した。(『小記目録』)
12月25日 堀川院遷幸
天元五年(982)12月25日壬午、円融天皇は職曹司から堀川院へお移りになった。(『小記目録』)
夜、水火の童があった。(『日本紀略』)
12月28日 新所旬
天元五年(982)12月28日乙酉、堀川院において旬の儀があった。遷御の後、初めて行われた。円融天皇が紫宸殿にお出ましになった。(『日本紀略』)
閏12月
閏12月4日 造内裏定
天元五年(982)閏12月4日辛卯、造営定があった。(『小記目録』)
閏12月7日 荷前
天元五年(982)閏12月7日甲午、荷前があった。(『小記目録』)
閏12月19日 御仏名/東宮季御読経
天元五年(982)閏12月19日丙午、御仏名が始められた。(『日本紀略』)
東宮(師貞親王)の季御読経が行われた。(『小記目録』)
閏12月22日 結願
天元五年(982)閏12月22日、東宮季御読経が結願した。(『小記目録』)
閏12月20日 直物・除目
天元五年(982)閏12月20日丁未、直物・除目があった。(『日本紀略』)
閏12月24日 東宮御仏名
天元五年(982)閏12月24日辛亥、東宮(師貞親王)の御仏名が行われた。(『小記目録』)
閏12月30日 追儺
天元五年(982)閏12月30日丁巳、追儺が行われた。(『小記目録』)
+ 天元六年(983)の年表を見る
天元六年(983)
1月
1月1日 供御薬/小朝拝/元日節会
天元六年(983)1月1日戊午、御薬が供された。また、小朝拝・節会があった。(『小記目録』)
1月2日 中宮大饗
天元六年(983)1月2日己未、中宮(藤原遵子)の大饗があった。(『小記目録』『小右記』★)
1月4日 叙位についての会議
天元六年(983)1月4日辛酉、叙位を行うべきか話し合った。(『小記目録』)
1月7日 節会
天元六年(983)1月7日甲子、節会があった。(『小記目録』)
円融天皇は御物忌によりお出ましにならなかった。(『勘例』)
1月14日 御斎会結願/男踏歌
天元六年(983)1月14日辛未、御斎会が結願した。(『小記目録』)
男踏歌があった。太政大臣藤原頼忠が承香殿の東庭、左大臣源雅信が桂芳坊、右大臣藤原兼家が藤壺、大納言藤原為光が雷鳴壺、権大納言藤原朝光が梨壺であった。それぞれ踏歌を差し上げた。今年で男踏歌は絶えることになった。(『河海抄』)
1月17日 射礼/政始
天元六年(983)1月17日甲戌、建礼門において射礼が行われた。(『日本紀略』『小記目録』)
政始であった。(『日本紀略』)
1月18日 賭弓
天元六年(983)1月18日乙亥、堀川院において賭弓が行われた。(『小記目録』『日本紀略』)
1月21日 除目召仰
天元六年(983)1月21日甲申、除目の召仰があった。(『小記目録』)
1月23日 除目
天元六年(983)1月23日庚辰、除目が始められた。(『小記目録』)
1月27日 除目終了
天元六年(983)1月27日甲申、除目が終了した。(『日本紀略』)
1月23日 藤原頼忠 六十算
天元六年(983)1月23日庚辰、興福寺が太政大臣藤原頼忠の六十算を祝った。(『日本紀略』)
2月
2月1日 釋奠
天元六年(983)2月1日丁亥、釋奠が行われた。(『日本紀略』)
2月2日 小除目/尊子内親王 除服
天元六年(983)2月2日戊子、小除目が行われた。(『日本紀略』)
女御尊子内親王が陣にお出ましになり、除服を行った。(『小記目録』)
2月4日 祈年祭
天元六年(983)2月4日庚寅、祈年祭が行われた。(『日本紀略』)
2月5日 小除目/大原野祭
天元六年(983)2月5日辛卯、小除目が行われた。また、大原野祭が行われた。(『日本紀略』)
2月10日 春日祭
天元六年(983)2月10日丙申、春日祭が行われた。(『日本紀略』)
2月11日 列見の延期
天元六年(983)2月11日丁酉、少納言の不参により、列見は延期となった。(『小記目録』)
2月28日 列見
天元六年(983)甲寅、列見があった。宴があった。(『日本紀略』)
2月15日 園・韓神祭
2月15日辛丑、園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
2月21日 京中・畿内の弓箭を帯する者を追捕
天元六年(983)2月21日丁未、検非違使に京中・畿内で弓箭・兵仗を帯びている輩を捕えるよう宣旨が下された。(『日本紀略』)
2月25日 直物・除目
天元六年(983)2月25日辛亥、直物・除目が行われた。
2月27日 季御読経
天元六年(983)2月27日癸丑、季御読経が始められた。(『日本紀略』)
2月30日 結願
天元六年(983)2月30日丙辰、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
3月
3月2日 源重光邸 焼亡
天元六年(983)3月2日戊午、源重光の邸宅が焼亡した。女人が焼死した。(『小記目録』)
3月3日 御燈
天元六年(983)3月3日己未、御燈があった。(『日本紀略』)
3月12日 石清水臨時祭試楽
天元六年(983)3月12日、石清水臨時祭の試楽が行われた。(『小記目録』)
3月14日 石清水臨時祭
天元六年(983)3月14日庚午、石清水臨時祭が行われた。(『小記目録』)
3月15日 石清水臨時祭還立
天元六年(983)3月15日辛未、石清水臨時祭が還立した。(『小記目録』)
3月27日 盗人
天元六年(983)3月27日癸未、盗人が大蔵省を焼き穿ち、蔵の扉を率き分けた。(『小記目録』)
4月
4月1日 旬平座
天元六年(983)4月1日丙戌、旬平座が行われた。見参はなかった。(『日本紀略』)
上卿は参らなかった。(『小記目録』)
4月3日 藤原懐子忌日/御卜
天元六年(983)4月3日戊子、藤原懐子の国忌であった。御斎食があった。(『小記目録』)
大雨により、御卜が行われた。(『小記目録』)
4月8日 山科祭
天元六年(983)4月8日癸巳、山科祭が行われた。(『小記目録』)
4月9日 大祓/藤原頼忠、吉書を見る
天元六年(983)4月9日甲午、内裏造営により、八省院の東廊において大祓が修された。(『日本紀略』)
関白藤原頼忠は吉書を見た。(『小記目録』)
4月14日 文章得業生・給料を定める
天元六年(983)4月14日己亥、文章得業生ならびに給料のことが定められた。(『小記目録』)
4月15日 改元
天元六年(983)4月15日庚子、詔書により、永観元年と改元された。去年の炎旱ならびに内裏焼亡による。大赦が行われた。(『日本紀略』)
他の年表を見る
年表一覧
朱雀天皇時代
参考平安時代の年表―朱雀天皇時代(天慶年間)
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村上天皇時代
参考平安時代の年表―村上天皇時代に起きた出来事(天慶年間)
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