平安時代の年表:円融天皇の御代、貞元元年(976)7月13日から貞元三年(978)11月29日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。
円融天皇時代の年表(貞元)
+ 貞元元年(976)の年表を見る
貞元元年(976)
7月
7月13日 改元
貞元元年(976)7月13日戊寅、天延四年から貞元元年に改元が行われた。災いならびに地震による。赦があった。大内記紀伊輔が詔書を作成した。(『日本紀略』)
7月17日 皇后遷御
貞元元年(976)7月17日壬午、戌の刻に中宮藤原媓子が職曹司から権中納言藤原朝光の三条家にお移りになった。六衛府・左右馬寮・中務大舎人ら諸司が供奉した。(『日本紀略』)
7月26日 円融天皇遷御/造内裏事始/臨時除目
貞元元年(976)7月26日辛卯、申の刻に村上天皇は職曹司から太政大臣藤原道長の堀川院にお移りになった。
この日、内裏造営のことが始められた。また、臨時除目があった。(『日本紀略』)
中納言藤原朝光・参議源惟正が左近陣座に著した。(『西宮記』)
7月29日 解陣
貞元元年(976)7月29日甲午、解陣があった。(『日本紀略』)
8月
8月3日 釋奠の延期
貞元元年(976)8月3日丁酉、大学寮が触穢を申したことにより、釋奠は延期された。(『日本紀略』)
8月13日 釋奠
貞元元年(976)8月13日丁未、釋奠が行われた。(『日本紀略』)
8月4日 内侍所を堀川院に渡す
貞元元年(976)8月4日戊戌、内侍所を縫殿寮から堀川院に渡し奉った。内侍一人、左右近将監・番長各一人、近衛六人が相従った。また、女嬬が五色の御幣を捧げて御前を歩いた。(『日本紀略』)
8月9日 諸社奉幣
貞元元年(976)8月9日癸卯、伊勢大神宮などの6社へ奉幣使を発遣し、内裏造営を始めたことを告げた。(『日本紀略』)
8月13日 皇后遷御
貞元元年(976)8月13日丁未、皇后藤原媓子が三条家から堀川院にお移りになった。(『日本紀略』)
8月19日 御読経
貞元元年(976)8月19日癸丑、建礼門において御読経を修し、内裏造営のことを祈った。(『日本紀略』)
8月20日 旬
貞元元年(976)8月20日甲寅、旬のことが行われた。(『日本紀略』)
8月22日 定考
貞元元年(976)8月22日丙辰、定考があった。(『日本紀略』)
8月25日 季御読経
貞元元年(976)8月25日己未、季御読経が始められた。(『日本紀略』)
8月28日 結願
貞元元年(976)8月28日壬戌、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
8月28日 庚申御遊
貞元元年(976)8月28日庚申、斎宮規子内親王が庚申御遊を行った。(『源順集』)
9月
9月2日 重陽節会の停止
貞元元年(976)9月2日乙丑、来たる9日に予定されていた重陽節会を停止することが決まった。(『日本紀略』)
9月3日 御燈
貞元元年(976)9月3日丙寅、御燈があった。(『日本紀略』)
9月5日 大風
貞元元年(976)9月5日戊辰、大風が吹いた。(『日本紀略』)
9月10日 元長親王 薨去
貞元元年(976)9月10日癸酉、元長親王が薨じられた。享年76歳。(『尊卑分脈』)
9月11日 伊勢例幣
貞元元年(976)9月11日甲戌、伊勢例幣が行われた。(『日本紀略』)
9月19日 源兼明、法華経供養
貞元元年(976)9月19日壬午、左大臣源兼明が観音寺において自筆法華経を供養した。(『日本紀略』)
9月21日 斎宮規子内親王、野宮に入る
貞元元年(976)9月21日甲申、伊勢斎宮規子内親王が侍従を従えて鴨川で御禊を行い、野宮にお入りになった。(『日本紀略』)
9月22日 斎院選子内親王、大膳職に入る
貞元元年(976)9月22日乙酉、賀茂斎院選子内親王が大膳職にお入りになった。(『日本紀略』)
10月
10月1日 旬の停止
貞元元年(976)10月1日甲午、円融天皇の御物忌によって旬は停止された。(『日本紀略』)
10月11日 神宝奉納
貞元元年(976)10月11日甲辰、諸社へ神宝を奉られた。東宮の御時の御願である。天変・地震によるものである。(『日本紀略』)
10月17日 除目
貞元元年(976)10月17日庚戌、除目が行われた。(『日本紀略』)
10月19日 大祓
貞元元年(976)10月19日壬子、建礼門において大祓が行われた。(『日本紀略』)
10月21日 仁王会
貞元元年(976)10月21日甲寅、仁王会が修された。(『日本紀略』)
10月27日 庚申御遊
貞元元年(976)10月27日庚申、斎宮規子内親王が庚申御遊を行った。源順が和歌の序を作成した。(『源順集』)
11月
11月2日 藤原兼通、閑院に移る
貞元元年(976)11月2日甲子の夜、太政大臣藤原兼通が朱雀院から閑院に移った。閑院は、右京大夫藤原致忠の所領である。円融天皇が堀川院にお移りになったので、近くに移ったのである。今夜から三日間に渡り饗膳がある。(『日本紀略』)
11月4日 饗膳
貞元元年(976)11月4日丙寅、申の刻、諸陣の後に閑院で饗膳があった。(『日本紀略』)
11月4日 初雪
貞元元年(976)11月4日丙寅、雪が降った。諸陣の禄があった。(『日本紀略』)
11月10日 平野祭・春日祭
貞元元年(976)11月10日壬申、平野祭・春日祭が行われた。(『日本紀略』)
11月14日 大原野祭/藤原義懐 昇殿
貞元元年(976)11月14日丙子、大原野祭が行われた。(『日本紀略』)
また、非参議従三位藤原義懐が昇殿を許された。(『公卿補任』)
11月15日 園・韓神祭
貞元元年(976)11月15日丁丑、園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
11月16日 鎮魂祭
貞元元年(976)11月16日戊寅、鎮魂祭が行われた。(『日本紀略』)
11月20日 東宮遷御
貞元元年(976)11月20日壬午、師貞親王が左近衛府から閑院東対にお移りになった。(『日本紀略』)
11月23日 賀茂臨時祭
貞元元年(976)11月23日乙酉、賀茂臨時祭が行われた。(『日本紀略』)
11月28日 内裏殿舎に柱上棟を立てる
貞元元年(976)11月28日庚寅、辰の刻に内裏殿舎に柱上棟を立てた。内記が宣命を進め、神祇官において祈り申した。神祇少副大中臣理明が祈り申した。(『日本紀略』)
12月
12月10日 御体御卜奏/藤原兼通参詣
貞元元年(976)12月10日壬寅、御体御卜奏があった。円融天皇の御物忌により、内侍所に付された。
また、太政大臣藤原兼通が木幡に参詣した。(『日本紀略』)
12月11日 月次祭・神今食
貞元元年(976)12月11日癸卯、月次祭・神今食があった。円融天皇は御物忌のため、中院にお出ましにならなかった。(『日本紀略』)
12月13日 荷前の延期
貞元元年(976)12月13日乙巳、荷前を延期することが定められた。(『日本紀略』)
12月13日 荷前使を定める
貞元元年(976)12月14日丙午、荷前使が定められた。(『日本紀略』)
12月28日 荷前
貞元元年(976)12月28日庚申、荷前使が立てられた。円融天皇がお出ましになった。(『日本紀略』)
12月19日 御仏名
貞元元年(976)12月19日辛亥、御仏名が始められた。(『日本紀略』)
12月22日 除目
貞元元年(976)12月22日甲寅、右大臣従二位藤原頼忠に一上の雑事を行うよう宣旨が下された。(『公卿補任』)
12月29日 雪
貞元元年(976)12月29日、雪が一尺降った。(『日本紀略』)
+ 貞元二年(977)の年表を見る
貞元二年(977)
1月
1月2日 二宮大饗
貞元二年(977)1月2日癸亥、閑院において中宮(藤原媓子)・東宮(師貞親王)の大饗があった。(『日本紀略』)
1月5日 藤原貴清の著座上日を勘申する/叙位
貞元二年(977)1月5日丙寅、式部大丞藤原貴清・知章は互いに愁いを申し、彼の省に貴清の著座上日の日時を勘申させた。(『類聚符宣抄』)
この日、叙位の儀があった。(『日本紀略』)
1月7日 節会/叙位
貞元二年(977)1月7日戊辰、節会があった。叙位の儀があった。(『日本紀略』)
1月8日 御斎会
貞元二年(977)1月8日己巳、御斎会が始められた。(『日本紀略』)
1月14日 結願
貞元二年(977)1月14日乙亥、御斎会が結願した。(『日本紀略』)
1月12日 皇太后宮大饗
貞元二年(977)1月12日癸酉、皇太后宮(昌子内親王)の大饗があった。(『日本紀略』)
1月16日 女踏歌
貞元二年(977)1月16日丁丑、女踏歌があった。(『日本紀略』)
1月18日 賭弓の延期
貞元二年(977)1月18日己卯、円融天皇の御物忌により、賭弓は延期となった。(『日本紀略』)
1月19日 賭弓
貞元二年(977)1月19日庚辰、賭弓が行われた。親王以下が参内した。円融天皇もお出ましになった。勝った方が舞を奏した。(『日本紀略』)
1月21日 除目
貞元二年(977)1月21日壬午、除目が始められた。(『日本紀略』)
1月25日 除目の延期
貞元二年(977)1月25日丙戌、内裏ならびに右大臣(藤原頼忠)家の物忌により、除目は延期となった。(『日本紀略』)
1月27日 除目
貞元二年(977)1月27日戊子、除目があった。太政大臣藤原兼通・右大臣藤原頼忠以下が参入した。(『日本紀略』)
1月28日 除目
貞元二年(977)1月28日己丑、除目があった。(『日本紀略』)
2月
2月4日 祈年祭
貞元二年(977)2月4日乙未、祈年祭が行われた。(『日本紀略』)
2月6日 釋奠
貞元二年(977)2月6日丁酉、釋奠が行われた。(『日本紀略』)
2月8日 薬師寺宝蔵焼亡
貞元二年(977)2月8日己亥の夜、薬師寺宝蔵で火災があった。(『日本紀略』)
2月9日 周防国が綿代を進上
貞元二年(977)2月9日庚子、周防国が綿代を進上した。季御読経の施物に充てられた。(『西宮記』)
2月12日 大原野祭
貞元二年(977)2月12日癸卯、大原野祭が行われた。(『日本紀略』)
2月15日 諸社奉幣
貞元二年(977)2月15日丙午、伊勢・石清水・賀茂・松尾・平野・稲荷・春日の7社へ奉幣が行われた。(『日本紀略』)
2月16日 列見
貞元二年(977)2月16日丁未、列見があった。(『日本紀略』)
2月18日 内裏造営の大工がもてなされる
貞元二年(977)2月18日己酉、内裏造営を担当した大工がごちそうを賜った。(『日本紀略』)
2月22日 賀茂保憲 卒去
貞元二年(977)2月22日癸丑、天文博士従四位下賀茂保憲が卒去した。(『尊卑分脈』)
2月23日 季御読経結願
貞元二年(977)2月23日甲寅、季御読経が結願した。(『日本紀略』)
3月
3月2日 大祓
貞元二年(977)3月2日癸亥、八省院東廊において大祓が修された。仁王会があるからである。(『日本紀略』)
3月5日 仁王会
貞元二年(977)3月5日丙寅、仁王会が行われた。(『日本紀略』)
3月3日 御燈
貞元二年(977)3月3日甲子、御燈が行われた。(『日本紀略』)
3月9日 直物・除目
貞元二年(977)3月9日庚午、直物・除目があった。(『日本紀略』)
3月21日 仁明天皇国忌
貞元二年(977)3月21日壬午、仁明天皇の国忌であった。(『石清水八幡宮記録』)
3月22日 石清水臨時祭
貞元二年(977)3月22日癸未、石清水臨時祭が行われた。昨日は仁明天皇の国忌により延期となっていた。(『石清水八幡宮記録』)
3月26日 桜花御覧
貞元二年(977)3月26日丁亥、円融天皇は太政大臣藤原兼通の閑院にお出ましになり、文人を召して詩を賦させた。また、伶人を召して音楽を演奏させた。(『日本紀略』『扶桑略記』)
兼通の弟藤原為光、兼通の子藤原朝光らが加階された。為光は正三位から従二位に、朝光は従三位から従二位になった。(『公卿補任』)
3月28日 東宮御読書始
貞元二年(977)3月28日己丑、閑院東対において師貞親王の御読書始があった。権左中弁菅原輔正が学士・文章生藤原為時が尚復を務めた。(『日本紀略』)
4月
4月1日 旬平座
貞元二年(977)4月1日辛卯、旬平座があった。(『日本紀略』)
4月4日 広瀬・龍田祭
貞元二年(977)4月4日甲午、広瀬・龍田祭が行われた。(『日本紀略』)
4月5日 大般若経
貞元二年(977)4月5日乙未、仁和寺において僧四十口に大般若経を読経させた。(『日本紀略』)
4月6日 平野祭
貞元二年(977)4月6日丙申、平野祭が行われた。(『日本紀略』)
4月7日 擬階奏
貞元二年(977)4月7日丁酉、擬階奏が行われた。(『日本紀略』)
4月8日 灌仏
貞元二年(977)4月8日戊戌、灌仏が行われた。(『日本紀略』)
4月16日 斎院選子内親王、紫野院に入る
貞元二年(977)4月16日丙午、賀茂斎院選子内親王が大膳職から鴨川で御禊を行い、紫野院にお入りになった。今日は凶会日であった。中納言藤原為光が馬に乗って前を走った。(『日本紀略』)
4月17日 賀茂祭警固
貞元二年(977)4月17日丁未、賀茂祭の警固が行われた。(『日本紀略』)
4月19日 賀茂祭
貞元二年(977)4月19日己酉、賀茂祭が行われた。(『日本紀略』)
4月20日 解陣
貞元二年(977)4月20日庚戌、解陣が行われた。(『日本紀略』)
4月21日 源兼明・源昭平が親王となる
貞元二年(977)4月21日辛亥、詔によって左大臣従二位源兼明・正四位下行右兵衛督源昭平が親王となった。兼明親王は二品に、昭平親王は四品に叙された。(『日本紀略』)
4月24日 除目
貞元二年(977)4月24日甲寅、除目があった。任大臣の宣命があった。右大臣藤原頼忠が左大臣に任ぜられ、正二位に叙された。大納言源雅信が右大臣に任ぜられた。諸卿は大臣家に向かい、任大臣大饗と禄があった。(『日本紀略』)
5月
5月1日 小除目
貞元二年(977)5月1日辛酉、小除目があった。(『日本紀略』)
5月13日 藤原頼忠が蔵人所別当になる
貞元二年(977)5月13日癸酉、左大臣正二位藤原頼忠が蔵人所別当に補任した。(『公卿補任』)
5月23日 諸国の半租を免じる
貞元二年(977)5月23日癸未、今年の諸国の半租を免じる詔があった。内裏造営による。(『日本紀略』)
6月
6月10日 御体御卜奏
貞元二年(977)6月10日庚子、御体御卜奏が行われた。(『日本紀略』)
6月11日 月次祭・神今食
貞元二年(977)6月11日辛丑、月次祭・神今食が行われた。(『日本紀略』)
6月14日 月食
貞元二年(977)6月14日甲辰の夕方、月食があった。(『日本紀略』)
6月25日 諸社奉幣
貞元二年(977)6月25日乙卯、16社に奉幣が行われた。(『日本紀略』)
7月
7月6日 諸社奉幣
貞元二年(977)7月6日乙丑、諸社奉幣使が発遣された。新造内裏への遷御が行われることによる。(『日本紀略』)
7月8日 藤原佐理が勅禄を賜る
貞元二年(977)7月8日丁卯、造営行事の際に権左中弁菅原輔正が内裏殿舎・門などの額を奏覧した。左中弁藤原佐理が額を書した。円融天皇はその筆跡に感動し、勅によって佐理に禄を給わった。(『日本紀略』)
7月19日 仁王会
貞元二年(977)7月19日戊寅、新造内裏において仁王会が修された。(『日本紀略』)
7月22日 相撲内取
貞元二年(977)7月22日辛巳、相撲内取が行われた。(『日本紀略』)
7月25日 相撲召合
貞元二年(977)7月25日甲申、相撲召合があった。(『日本紀略』)
7月23日 小除目
貞元二年(977)7月23日壬午、小除目があった。(『日本紀略』)
7月24日 山陵使発遣
貞元二年(977)7月24日癸未、村上・柏原の両陵へ山陵使が発遣された。(『日本紀略』)
7月29日 新造内裏遷御
貞元二年(977)7月29日戊子、円融天皇は堀川院から新造内裏へお移りになった。親王・太政大臣藤原兼通以下が参内し、宜陽殿に著した。饗膳があった。親王・太政大臣はこの座には著さず、殿上に候した。また、被物があった。今夜、中宮宮司などが加階された。申の刻、円融天皇は陽明門・建春門にお入りになった。酉の刻、師貞親王は閑院から昭陽舎へお入りになった。子の刻、中宮藤原媓子の行啓があった。水火童女・黄牛などがあった。(『日本紀略』)
権少僧都陽生が案鎮法を修した。(『歴代皇紀』)
7月30日 宴会
貞元二年(977)7月30日己丑、内蔵寮は宴会の準備をした。(『日本紀略』)
閏7月
閏7月23日 止雨祈願
貞元二年(977)閏7月23日壬子、伊勢大神宮などの16社へ奉幣使が発遣された。雨が止むことを祈願するためである。内記源為憲が宣命を草した。(『日本紀略』)
8月
8月1日 新所旬
貞元二年(977)8月1日己未、旬の儀があった。円融天皇がお出ましになった。(『日本紀略』)
8月2日 叙位
貞元二年(977)8月2日庚申、叙位が行われた。中納言従三位藤原文範が造営別当賞として正三位に加階された。(『公卿補任』)
- 権中納言従三位藤原顕光 → 正三位(造営行事賞)
- 参議正四位下源惟正 → 従三位(造営功)
- 参議正四位下藤原佐藤理 → 正四位下(書殿門額賞)
- 参議正四位下橘恒平 → 従四位上(造営賞)
- 非参議従三位菅原輔正 → 従四位上(造営行事)
- 非参議従三位平親信 → 従五位上(造営功)
8月9日 釋奠
貞元二年(977)8月9日丁卯、釋奠が行われた。(『日本紀略』)
8月11日 定考の延期/具平親王御元服の儀
貞元二年(977)8月11日己巳、定考が延期となった。
この日、先帝(村上天皇)の第七皇子具平親王の御元服の儀があった。(『日本紀略』)
8月16日 藤原頼忠家歌合
貞元二年(977)8月16日甲戌、左大臣藤原頼忠の家で歌合があった。(『歌合』)
9月
9月3日 御燈の停止
貞元二年(977)9月3日庚寅、御燈が停止となった。斎王規子内親王の群行による。(『日本紀略』)
9月7日 斎宮寮除目
貞元二年(977)9月7日甲午、斎宮寮の除目が行われた。(『日本紀略』)
9月15日 斎宮寮・十二司除目
貞元二年(977)9月15日壬寅、斎宮寮ならびに十二司の除目が行われた。(『日本紀略』)
9月9日 重陽宴の停止
貞元二年(977)9月9日丙申、重陽宴が停止となった。内裏造営による。本座は例年通りであった。(『日本紀略』)
9月11日 伊勢例幣
貞元二年(977)9月11日戊戌、伊勢例幣が行われた。(『日本紀略』)
9月13日 大祓
貞元二年(977)9月13日庚子、大祓が修された。斎宮規子内親王が群行による。(『日本紀略』)
斎宮群行
貞元二年(977)9月16日癸卯、伊勢斎宮規子内親王が野宮から桂川に出て御禊を行い、伊勢斎宮に参り向かった。円融天皇は承明門・建礼門より小安殿にお出ましになり、お送りになった。(『日本紀略』)
9月28日 皇后遷御
貞元二年(977)9月28日乙卯の夜、中宮藤原媓子が内裏から堀川院へお移りになった。(『日本紀略』)
10月
10月1日 旬平座
貞元二年(977)10月1日戊午、円融天皇の御物忌により旬はなかった。右大臣源雅信以下が宜陽殿に移り著した。酒饌・見参があった。(『日本紀略』)
10月7日 射場始
貞元二年(977)10月7日甲子、射場始があった。円融天皇がお出ましになった。(『日本紀略』)
10月11日 藤原兼通、関白を辞任/藤原頼忠が関白になる
貞元二年(977)10月11日戊辰、太政大臣藤原兼通が病のため関白を辞したいと上表した。勅許があった。(『日本紀略』『公卿補任』)
午の刻、左大臣藤原頼忠が参入した。次いで、権中納言藤原済時が参入し、桂芳坊に著した。権大納言藤原朝光が外記を召し、諸陣を固めさせた。桂芳坊において除目があった。右近大将藤原兼家が治部卿、権中納言藤原済時が右近大将に任ぜられた。大学頭高階真人成忠が能登権守に任ぜられた。左衛門佐藤原道綱が土佐権守に任ぜられた。藤原宣雅が左衛門佐に任ぜられた。太政大臣藤原兼通は大内記菅原資忠を召し、左大臣藤原頼忠を関白にすると仰せられた。同日、頼忠は藤氏長者となった。(『日本紀略』『公卿補任』)
藤原兼通は自分が亡くなる前に関白を従兄の藤原頼忠に譲ったが、世間の人々からは非難された。兼通と藤原兼家の兄弟は数年に渡り官位を争っている間に関係が悪化していた。兼通が危篤になった際、屋敷の東の方から先払いの声がしたので、兼家が見舞いに来たのだろうと思って兼通が待っていると、兼家は門前を通り過ぎて参内したとの知らせが入った。兼通は不愉快になり病にもかかわらず参内したところ、ちょうど兼家が天皇に拝謁していた。兼家は兼通が亡くなったと聞いて、天皇に次の関白について奏請しようと兼通の屋敷の門前を素通りしたのである。そこへ不意に兼通がやってきたので、兼家も天皇もひどく驚いた。兼家は兼通の方をちらっと見て、そのまま鬼の間の方に行ってしまった。兼通は不機嫌なまま次の関白に頼忠に任じ、兼家の大将の兼官を取り上げて小一条の藤原済時を大将に任じると申した。退出してまもなく、兼通は亡くなった。(『大鏡』)
10月19日 御読経結願
貞元二年(977)10月19日丙子、御読経が結願した。(『日本紀略』)
11月
11月1日 日食/御暦奏
貞元二年(977)11月1日丁亥、日食があった。(『日本紀略』)御暦奏が内侍所に付された。(『樗嚢抄』)
11月3日 藤原頼忠、左近衛大将を辞任
貞元二年(977)11月3日己丑、左大臣藤原頼忠が左近衛大将を辞した。勅により、帯剣を授かった。(『日本紀略』)
11月4日 藤原兼通を三宮に准じる/藤原頼忠が随身兵仗を賜る
貞元二年(977)11月4日庚寅、詔によって太政大臣藤原兼通を三宮に准じ、勅によって左大臣藤原頼忠に内舎人2人・左右近衛各4人を随身兵仗として給わることになった。(『日本紀略』)しかし、内舎人を止めるよう請われたので、左右近府生を各一人給わった。(『公卿補任』)
11月8日 大赦/藤原兼通 薨去
貞元二年(977)11月8日甲午、太政大臣藤原兼通の病により、大赦があった。老人は物を賜った。
しかし、兼通は堀川院において薨じられた。左大臣藤原頼忠は「諸陣を警固するように。宣陽門・建春門・宜秋門・陰明門などの門を開け、雑人を出入りさせる。今夜子の刻、故太政大臣のご遺体を東山雲居寺に移す」と仰せられた。(『日本紀略』)
11月9日 官喪・贈位の停止
貞元二年(977)11月9日乙未、左大臣藤原頼忠は「滝口武者は弓箭を帯び出入りするように。右大臣源雅信以下諸卿は参仗するように」と仰せられた。故太政大臣の遺言により官喪・贈位を停止した。(『日本紀略』)
11月14日 葬儀
貞元二年(977)11月14日庚子、故太政大臣の葬送が行われた。上官たちが参った。(『日本紀略』)
11月20日 薨奏
貞元二年(977)11月20日丙午、故太政大臣の薨奏が行われた。三日間廃朝となった。詔によって正一位が贈られ、遠江国遠江公に封ぜられた。諡は忠義公。(『日本紀略』)
11月9日 資子内親王遷御
貞元二年(977)11月9日乙未、資子内親王が大納言藤原為光邸にお移りになった。(『日本紀略』)
11月10日 平野祭・春日祭
貞元二年(977)11月10日丙申、平野祭・春日祭が行われた。(『日本紀略』)
11月15日 園・韓神祭
貞元二年(977)11月5日辛丑、園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
11月16日 鎮魂祭
貞元二年(977)11月16日壬寅、鎮魂祭が行われた。(『日本紀略』)
11月17日 新嘗祭
貞元二年(977)11月17日癸卯、新嘗祭が行われた。円融天皇は中院にお出ましにならなかったので、神祇官に付された。(『日本紀略』)
11月18日 豊明節会/藤原頼忠 輦車
貞元二年(977)11月18日甲辰、豊明節会が行われた。右大臣源雅信らが参入した。
また、左大臣藤原頼忠に輦車、及び諸々の節会で列に就かず直に昇殿することを許された。(『日本紀略』)
11月19日 東宮鎮魂祭
貞元二年(977)11月19日乙巳、東宮(師貞親王)鎮魂祭が行われた。(『日本紀略』)
12月
12月10日 除目
貞元二年(977)12月10日丙寅、除目があった。(『日本紀略』)
12月16日 賀茂臨時祭
貞元二年(977)12月16日壬申、賀茂臨時祭が行われた。(『日本紀略』)
12月17日 荷前
貞元二年(977)12月17日癸酉、荷前使が立てられた。(『日本紀略』)
12月25日 大赦
貞元二年(977)12月25日辛巳、諸公卿が「去る月の一日に日食が見られなかった」と上表した。詔により、大赦があった。(『日本紀略』)
12月29日 追儺
貞元二年(977)12月29日乙酉、追儺が行われた。(『小記目録』)
+ 貞元三年/天元元年(978)の年表を見る
貞元三年/天元元年(978)
1月
1月1日 元日節会
貞元三年(978)丙戌、例年通り宴があった。(『日本紀略』『小記目録』)
1月2日 東宮大饗
貞元三年(978)1月2日丁亥、東宮(師貞親王)の大饗があった。(『日本紀略』)
1月3日 日食
貞元三年(978)1月3日戊戌、日食があった。夜になって、雷雨があった。(『日本紀略』)
1月6日 叙位
貞元三年(978)1月6日辛卯、叙位の議があった。(『日本紀略』)
1月7日 節会
貞元三年(978)1月7日壬辰、節会があった。(『日本紀略』)
1月8日 御斎会
貞元三年(978)1月8日癸巳、御斎会が始められた。(『日本紀略』)
1月14日 結願
貞元三年(978)1月14日己亥、御斎会が結願した。(『日本紀略』)
1月9日 左大臣大饗
貞元三年(978)1月9日甲午、左大臣(藤原頼忠)の大饗があった。右大臣源雅信らが参加した。(『日本紀略』)
1月10日 右大臣大饗
貞元三年(978)1月10日乙未、右大臣(源雅信)の大饗があった。大納言藤原為光らが参加した。(『日本紀略』)
1月13日 女叙位
貞元三年(978)1月13日戊戌、女叙位があった。(『日本紀略』)
1月16日 女踏歌
貞元三年(978)1月16日辛丑、女踏歌があった。(『日本紀略』)
1月18日 射礼
貞元三年(978)1月18日癸卯、射礼が行われた。(『日本紀略』)
1月20日 賭弓
貞元三年(978)1月20日乙巳、賭弓が行われた。(『日本紀略』)
1月21日 政始
貞元三年(978)1月21日丙午、政始であった。(『日本紀略』)
1月27日 除目
貞元三年(978)1月27日壬子、除目が始められた。(『日本紀略』)
1月28日 除目
貞元三年(978)1月28日癸丑、除目が行われた。(『日本紀略』)
1月29日 除目なし
貞元三年(978)1月29日甲寅、左大臣藤原頼忠の物忌により、除目は行われなかった。(『日本紀略』)
1月30日 除目なし
貞元三年(978)1月30日乙卯、除目は行われなかった。(『日本紀略』)
2月
2月1日 除目
貞元三年(978)2月1日丙辰、除目が行われた。(『日本紀略』)
2月2日 除目の延期
貞元三年(978)2月2日丁巳、左大臣の諱にあたるため、除目は延期された。ただし、諸卿は参入した。受領功過が定められた。(『日本紀略』)
2月3日 除目
貞元三年(978)2月3日戊午、除目があった。円融天皇は御物忌であった。諸卿が参宿した。(『日本紀略』)
2月4日 除目清書/祈年祭の延期
貞元三年(978)2月4日己未、除目の清書が終わった。(『日本紀略』)
内裏の穢によって、祈年祭が延期された。(『日本紀略』)
2月7日 大祓
貞元三年(978)2月7日壬戌、八省院の東廊において大祓が行われた。祈年祭が行われたことによる。(『日本紀略』)
2月18日 祈年祭
貞元三年(978)2月18日癸酉、祈年祭が行われた。(『日本紀略』)
2月5日 春日祭の延期
貞元三年(978)2月5日庚申、春日祭が延期された。内裏の穢による。(『日本紀略』)
2月28日 春日祭
貞元三年(978)2月28日癸未、春日祭が行われた。(『日本紀略』)
2月11日 列見
貞元三年(978)2月11日丙寅、列見が行われた。(『日本紀略』)
2月12日 大原野祭の延期
貞元三年(978)2月12日丁卯、大原野祭が延期された。(『日本紀略』)
2月24日 大原野祭
貞元三年(978)2月24日己卯、大原野祭が行われた。(『日本紀略』)
2月22日 釋奠/園・韓神祭
貞元三年(978)2月22日丁丑、釋奠が行われた。また、園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
3月
貞元三年(978)3月某日、従五位下備前介橘時望が海賊に殺められた。(『日本紀略』)
3月3日 御燈
貞元三年(978)3月3日丁亥、御燈が行われた。(『日本紀略』)
3月7日 擬文章生試
貞元三年(978)3月7日辛卯、式部省において擬文章生試があった。お題は「野無遺賢」。
3月10日 殿上賭弓
貞元三年(978)3月10日甲午、殿上賭弓が行われた。(『日本紀略』)
3月15日 直物
貞元三年(978)3月15日己亥、直物があった。(『日本紀略』)
3月16日 直物・復任除目
貞元三年(978)3月16日庚子、直物ならびに復任除目が行われた。(『日本紀略』)
3月22日 石清水臨時祭
貞元三年(978)3月22日丙午、石清水臨時祭が行われた。右近中将源正清が使者を務めた。(『日本紀略』)
初めて中の午の日に行った。雨により、舞は中止になった。(『小記目録』)
3月27日 御読経
貞元三年(978)3月27日辛亥、御読経が始められた。(『日本紀略』)
3月30日 結願
貞元三年(978)3月30日甲寅、御読経が結願した。(『日本紀略』)
4月
4月4日 広瀬・龍田祭
貞元三年(978)4月4日戊午、広瀬・龍田祭が行われた。(『日本紀略』)
4月6日 平野祭
貞元三年(978)4月6日庚申、平野祭が行われた。(『日本紀略』)
4月7日 擬階奏
貞元三年(978)4月7日辛酉、擬階奏が行われた。(『日本紀略』)
4月8日 灌仏
貞元三年(978)4月8日壬戌、灌仏が行われた。御導師は寿源であった。(『日本紀略』)
4月10日 藤原遵子 入内
貞元三年(978)4月10日甲子、左大臣藤原頼忠の娘藤原遵子が入内した。(『日本紀略』)
子初刻に藤原実資が参上した。藤原頼忠も同じく参った。四種類の餅を銀盤に盛り付けた。さらに、銀の箸を置いた。餅の上に心葉をのせた。(組があった。)蒔絵の箱に納めた。(一口を置いた。)実資は蓋をかぶせて頼忠の御供に持って伺候させた。頼忠は伝え取って加賀典侍に託して円融天皇に献上させた。頗る恐れ多いお言葉があった。深夜になる前に、頼忠は退下した。遵子は深夜に退下した。(『源語秘訣』葵巻)
4月16日 賀茂斎院御禊
貞元三年(978)4月16日庚午、賀茂斎院選子内親王の御禊が行われた。(『日本紀略』)
4月17日 警固
貞元三年(978)4月17日辛未、賀茂祭の警固が行われた。(『日本紀略』)
4月19日 賀茂祭
貞元三年(978)4月19日癸酉、賀茂祭が行われた。申の刻、雷鳴と氷雨があった。(『日本紀略』)
4月20日 解陣
貞元三年(978)4月20日甲戌、賀茂祭の解陣が行われた。(『日本紀略』)
4月18日 藤原頼忠、賀茂社参詣
貞元三年(978)4月18日壬申、左大臣藤原頼忠が賀茂社に参詣した。(『日本紀略』)
4月23日 藤原頼忠、賀茂社参詣
貞元三年(978)4月23日、左大臣藤原頼忠が賀茂社に参詣した。(『小記目録』)
4月22日 火事
貞元三年(978)4月22日丙子、内裏の近辺で火事があった。少将藤原棟利は烏帽子を着用して参内した。(『小記目録』)
4月25日 出羽国の鷹・犬御覧
貞元三年(978)4月25日己卯、24日に出羽国から鷹八連・犬八牙が献上された。円融天皇は御物忌であったので、今日ご覧になった。侍臣たちは束帯を整えていなかった。臂に鷹をのせて侍所から出し、御簾の下に伺候した。天皇はご覧になった後、蔵人所衆・出納たちが犬を率いて仙花門から入った。藤原実資は御前に跪き、天皇に見せた。それぞれ、犬を率いて出た。その後、犬飼たちを召してこれを見た。それぞれ、犬を率いた。第一の御鷹と犬を師貞親王に献上させた。次に、近江国の供御所に給わった。次に御鷹飼が順番に取った。西陣の下においてこの事を行った。宮に献上した後で御鷹飼たちに給わり、その後に供御所の御鷹飼の者に給わるべきであった。御鷹の順に従い犬を給わった。(『小右記』)
5月
5月1日 皇太后、朱雀院遷御
貞元三年(978)5月1日乙酉、皇太后昌子内親王が三条院から朱雀院へお移りになった。(『日本紀略』)
5月8日 侍臣の上日を考える
貞元三年(978)5月8日壬辰、侍臣の上日を勘ぜられた。(『小記目録』)
5月9日 位記請印
貞元三年(978)5月9日癸巳、位記請印が行われた。三品宗子内親王・四品尊子内親王・正四位下厳子女王などである。(『日本紀略』)
5月10日 石清水行幸の日時を定める
貞元三年(978)5月10日甲午、石清水行幸の日時を定めた。(『小記目録』)
5月11日 藤原頼忠の仕丁が闘乱
貞元三年(978)5月11日乙未、関白左大臣藤原頼忠の仕丁と飯持が闘乱した。(『小記目録』)
5月19日 侍臣の勅勘を赦す
貞元三年(978)5月19日癸卯、円融天皇は体調がすぐれなかったので、侍臣の勅勘を赦した。(『小記目録』)
5月20日 御読経
貞元三年(978)5月20日甲辰、清涼殿において御読経が始められた。(『日本紀略』『小記目録』)
5月23日 結願
貞元三年(978)5月23日丁未、御読経が結願した。(『日本紀略』)
5月22日 藤原遵子、女御になる
貞元三年(978)5月22日丙午、宣旨により、藤原遵子が女御となった。(『日本紀略』)
5月23日 雷鳴陣
貞元三年(978)5月23日丁未、雷鳴陣を立てた。(『小記目録』)
6月
6月11日 月次祭・神今食
貞元三年(978)6月11日甲子、月次祭・神今食が行われた。坎日により、円融天皇はお出ましにならなかった。そこで、諸司に託された。(『日本紀略』)
6月21日 藤原兼家、勘事後初めて参内する
貞元三年(978)6月21日甲戌、大納言正三位藤原兼家が勘事後初めて参内した。(『公卿補任』)
7月
7月9日 諸社奉幣
貞元三年(978)7月9日壬辰、16社へ奉幣が行われた。天変・怪異・太一の厄・霖旱などによる。(『日本紀略』)
7月11日 臨時御読経
貞元三年(978)7月11日甲午、臨時御読経が行われた。(『日本紀略』『小記目録』)
7月16日 藤原頼忠、職曹司に移る
貞元三年(978)7月16日己亥、関白左大臣藤原頼忠が職曹司に移った。(『日本紀略』)
7月23日 雷鳴
貞元三年(978)7月23日丙午、右近衛陣に雷が落ちた。(『百錬抄』)
7月24日 雷鳴
貞元三年(978)7月24日丁未、陰陽博士出雲清明の邸宅に雷が落ちた。邸宅は破損した。(『日本紀略』)
7月27日 相撲内取
貞元三年(978)7月27日庚戌、東庭において相撲内取が行われた。(『日本紀略』)
7月29日 相撲召合
貞元三年(978)7月29日壬子、円融天皇が紫宸殿にお出ましになった。相撲召合が行われた。(『日本紀略』)
8月1日 相撲抜出
貞元三年(978)8月1日癸丑、相撲抜出が行われた。(『日本紀略』)
8月7日 相撲人をもてなす
貞元三年(978)8月7日、大将が相撲人をもてなした。(『小記目録』)
8月
8月1日 文章生及第宣旨
貞元三年(978)8月1日癸丑、文章生及第宣旨が下された。(『日本紀略』)
8月5日 釋奠
貞元三年(978)8月5日丁巳、釋奠が行われた。(『日本紀略』)
8月6日 内論議
貞元三年(978)8月6日戊午、釋奠内論議が行われた。円融天皇が紫宸殿にお出ましになった。博士中原有象らは参らなかった。禄を給わった。(『日本紀略』)
8月11日 定考
貞元三年(978)8月11日癸亥、定考が行われた。(『日本紀略』)
8月16日 諸卿が承香殿に伺候
貞元三年(978)8月16日戊辰、右大臣源雅信ら諸卿が承香殿に参り女御藤原遵子のもとに伺候した。管弦の演奏があった。円融天皇もお渡りになった。右大臣源雅信の歌曲に時人は感歎した。天皇がお帰りになるとき、献物があった。(『日本紀略』)
8月17日 藤原詮子 入内
貞元三年(978)8月17日己巳、大納言藤原兼家のご息女(藤原詮子)が入内した。(『日本紀略』)
9月
9月3日 御燈
貞元三年(978)9月3日乙酉、御燈が行われた。(『日本紀略』)
9月9日 重陽宴の停止
貞元三年(978)9月9日辛卯、重陽宴はなかった。諸卿が宜陽殿において見参を奏した。(『日本紀略』)
9月11日 伊勢例幣
貞元三年(978)9月11日癸巳、円融天皇が大極殿にお出ましになった。伊勢例幣を奉り遣わした。(『日本紀略』)
9月21日 小除目
貞元三年(978)9月21日癸卯、小除目が行われた。(『日本紀略』)
9月22日 仁王会
貞元三年(978)9月22日甲辰、仁王会が行われた。(『日本紀略』)
10月
10月1日 旬
貞元三年(978)10月1日癸丑、円融天皇紫宸殿にお出ましになった。旬による。音楽の演奏があった。(『日本紀略』)
10月2日 除目
貞元三年(978)10月2日甲寅、円融天皇が紫宸殿にお出ましになった。大臣の任命を行った。関白太政大臣藤原頼忠が太政大臣に、右大臣源雅信が左大臣に、大納言藤原兼家が右大臣に任ぜられた。太政大臣・右大臣家では饗禄があった。(『日本紀略』)
10月5日 射場始
貞元三年(978)10月5日丁巳、弓場始が行われた。円融天皇がお出ましになった。(『日本紀略』)
10月10日 石清水行幸調楽
貞元三年(978)10月10日、石清水行幸の調楽が行われた。(『小記目録』)
10月13日 石清水使召還
貞元三年(978)10月13日乙丑、右大臣藤原兼家が勅使となり、石清水宮に参った。勅が有り、召還された。今朝、内膳司炊夫が頓死しており、その穢が出てきた。諸陣に札を立てた。(『日本紀略』)
穢により、石清水行幸は延期となった。(『小記目録』)
10月15日 除目
貞元三年(978)丁卯、除目が始められた。(『日本紀略』)
10月16日 除目の延期
貞元三年(978)10月16日戊辰、円融天皇の御物忌により、除目は延期となった。(『日本紀略』)
10月17日 除目
貞元三年(978)10月17日己巳、除目が行われた。(『日本紀略』)
10月21日 延暦寺が藤原頼忠を祝う
貞元三年(978)10月21日癸酉、延暦寺座主らが藤原頼忠の太政大臣任命に対し祝賀を述べた。(『日本紀略』)
10月28日 皇太后、三条院遷御
貞元三年(978)10月28日庚辰、皇太后昌子内親王が朱雀院から三条院へお移りになった。諸卿に饗禄があった。(『日本紀略』)
11月
11月1日 御暦奏/故藤原兼通の周忌法会
貞元三年(978)11月1日壬午、御暦奏が行われた。上卿が参らなかったので、内侍所に託された。(『園太暦』)
天台楞厳院において故太政大臣藤原兼通の周忌法会が修された。(『日本紀略』)
11月4日 藤原詮子、女御になる
貞元三年(978)11月4日乙酉、藤原詮子が女御となった。(『日本紀略』)
11月5日 直物・小除目
貞元三年(978)11月5日丙戌、直物・小除目が行われた。(『日本紀略』『小記目録』)
11月8日 盗人を捜索
貞元三年(978)11月8日己丑、盗人を捜索した。(『小記目録』)
11月9日 盗人を捜索
貞元三年(978)11月9日庚寅、盗人を捜索した。(『小記目録』)
11月15日 平野祭・春日祭
貞元三年(978)11月15日丙申、平野祭・春日祭が行われた。(『日本紀略』)
11月19日 大原野祭
貞元三年(978)11月19日庚子、大原野祭が行われた。(『小記目録』)
11月20日 園・韓神祭/地震/皇子居貞、親王になる/五節舞姫参入
貞元三年(978)11月20日辛丑、地震があった。園・韓神祭が行われた。(『日本紀略』)
皇子居貞が親王となった。(『日本紀略』)
夜、五節の舞姫が参入した。(『小記目録』)
11月21日 鎮魂祭・皇太后鎮魂祭
貞元三年(978)11月21日壬寅、鎮魂祭・皇太后(昌子内親王)鎮魂祭が行われた。(『日本紀略』)
11月22日 新嘗祭
貞元三年(978)11月22日癸卯、新嘗祭が行われた。円融天皇が神嘉殿にお出ましになった。(『小記目録』)
11月23日 豊明節会
貞元三年(978)11月23日甲辰、豊明節会が行われた。円融天皇が紫宸殿にお出ましになった。(『日本紀略』)
11月28日 賀茂臨時祭/為平親王、輦車
貞元三年(978)11月28日己酉、賀茂臨時祭が行われた。(『日本紀略』)
また、式部省為平親王が輦車で宮門を出入りすることを許された。(『日本紀略』)
11月29日 官奏/改元
貞元三年(978)11月29日庚戌、左大臣源雅信が左仗座に著し、官奏を始められた。(『改元部類記』)
この日、天元元年へ改元が行われた。翌年は陽五の厄にあたるからである。大赦が行われた。(『日本紀略』)
他の年表を見る
年表一覧
朱雀天皇時代
参考平安時代の年表―朱雀天皇時代(天慶年間)
平安時代の年表:朱雀天皇の御代、天慶四年(941)1月1日から天慶九年(946)4月20日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 朱雀天 ...
続きを見る
村上天皇時代
参考平安時代の年表―村上天皇時代に起きた出来事(天慶年間)
平安時代の年表:村上天皇の御代、天慶九年(946)4月20日から天慶十年(947)4月22日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上 ...
続きを見る
参考平安時代の年表―村上天皇時代に起きた出来事(天徳年間)
平安時代の年表:村上天皇の御代、天徳元年(957)10月27日から天徳五年(961)2月16日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村 ...
続きを見る
参考平安時代の年表―村上天皇時代に起きた出来事②(応和年間)
平安時代の年表:村上天皇の御代、応和元年(961)2月16日から応和四年(964)7月10日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上 ...
続きを見る
参考平安時代の年表―村上天皇時代に起きた出来事③(康保年間)
平安時代の年表:村上天皇の御代、康保元年(964)7月10日から康保四年(967)5月25日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上 ...
続きを見る
冷泉天皇時代
参考平安時代の年表―冷泉天皇時代
平安時代の年表:冷泉天皇の御代、康保四年(967)5月25日から安和二年(969)8月13日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 冷泉 ...
続きを見る
円融天皇時代
参考平安時代の年表―円融天皇時代に起きた出来事②(天延年間)
平安時代の年表:円融天皇の御代、天延元年(973)12月20日から天延四年(976)7月13日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 円 ...
続きを見る
参考平安時代の年表―円融天皇時代に起きた出来事④(天元年間)
平安時代の年表:円融天皇の御代、天元元年(978)12月6日から天元六年(983)4月15日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 文末 ...
続きを見る
花山天皇時代
参考平安時代の年表―花山天皇時代
平安時代の年表:花山天皇の御代、永観二年(984)8月27日から寛和二年(986)6月23日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 花山 ...
続きを見る