貴族が住む邸宅の建築様式を寝殿造という。
天子が寝起きしていた宮殿が由来で、邸宅の主やそれに準ずる人が住んでいた。
すべての平安貴族の邸宅がこのようなものだったとは限らない。
寝殿造とは
寝殿造平面図

敷地
公卿以上:一町(約120メートル四方)
公卿以下:半町(約60メートル四方)、四分の一町(約30メートル四方)
敷地の周囲に築地を廻らせ、東西のどちらかを正門とする。
敷地中央の寝殿は、南に面するように建てる。

寝殿の北・東・西に対屋(寝殿を囲む建物で、妻や子女が使用する)を建てる。
寝殿は正殿、対屋は副屋という扱いになる。

寝殿と東西の対屋は三層構造になっている。
中央の母屋を廂が囲み、さらにその周囲を簀子が囲んでいる。
母屋に塗籠を設置する場合もある。

仕切りが多いのは夏の暑さに対処するためである。
母屋と廂の間には障子・壁代・屏風・軟障などのいろいろな仕切りが置かれた。

希望の絵柄を注文すれば、絵師たちが障子や屏風に絵を描いてくれた。
『百人一首』に載っているような、有名な和歌を書かせた貴族もいた。
これらは、貴族たちが美意識や季節感を表現するのに重要なものだった。
寝殿と対屋は渡殿で繋がれている。

東西の対屋から中門廊が延びており、南端には釣殿がある。
釣殿では詩歌管弦や花見などが催され、船で池に漕ぎ出すこともできる。

釣殿では、舞楽を鑑賞することもあった。
- 永延二年(988)3月10日丁卯、円融上皇の院にて童舞が行われたので、藤原実資は釣殿で鑑賞した。(『小右記』)
庭のつくり
庭園には石を組んで山や渓谷を表現する。
遣水は川、池は海を表現している。

池の中には、中島を築く。
寝殿造の邸宅への訪問
天皇が寝殿造の邸宅を訪問するときは、御輿に乗って西門から入り、西中門を通って御階へ行く。
東宮も同行する場合は、先に天皇が邸宅に入り、続いて東宮も入る。
参考資料
- 川村 裕子「王朝文化を学ぶ人のために」世界思想社、2010年