平安時代の宮廷音楽である雅楽は、中国や朝鮮から伝わってきたのがはじまりである。
雅楽は宮中で演奏される音楽であり、庶民が嗜むことはできない。
平安時代の雅楽
雅楽の伝来
允恭天皇四十二年(453)の春正月、朝鮮半島の新羅の王が允恭天皇の崩御を受けて調船八十艘と八十名の楽人を貢上してきた。(『日本書紀』允恭天皇四十二年〈453〉春正月十四日条)
また、欽明天皇十五年(554)二月には百済から易博士・暦博士・医博士らとともに楽人が貢上された。(『日本書紀』欽明天皇十五年〈554〉二月条)
雅楽寮の設立
大宝元年(701)、大宝律令の制定とともに雅楽寮が設置された。
中国・朝鮮半島から伝来した雅楽を管理し、教育するための機関が必要だったからである。
仁明天皇の楽制改革
仁明天皇の承和年間(834~848)に楽制改革が行われ、楽器編成や楽曲が整理されて、外来の音楽を唐楽(中国系音楽)と林邑音楽(朝鮮半島系)の二種類に大別した。
それに伴い、楽器編成も左方唐楽が龍笛・笙・篳篥・鞨鼓・太鼓・鉦鼓、右方高麗楽が高麗笛・篳篥・三ノ鼓・太鼓・鉦鼓に分けられた。
さらに、左方唐楽の音階は「呂」と「律」に分けられ、呂の調子には壱越調・双調・太食調、律の調子には平調・黄鐘調・盤渉調が当てられた。
長承二年(1133)の『龍鳴抄』には「春は双調、夏は黄鐘調、秋は平調、冬は盤渉調がふさわしい」とある。
一方、右方高麗楽は高麗壱越調・高麗平調・高麗双調が当てられた。
雅楽の種類
醍醐天皇の時代(897~930)になると、天皇や貴族が楽器を演奏する御遊が催されるようになる。
そして、雅楽には舞楽・管弦・歌物・国風歌舞という種類ができた。
舞楽
楽器の演奏中に舞が催される。左方唐楽と右方高麗楽を演奏する。
左方唐楽を用いる場合は赤系の服、右方高麗楽は青系の服の着る。
このときに用いられる舞は番舞といって、左方舞と右方舞を交互に繰り返す。
管弦
楽器の演奏のみで、舞は行われない。
管楽器は笙・篳篥・龍笛、弦楽器は箏の琴・琵琶、打楽器は鞨鼓・太鼓・鉦鼓による編成で催される。
龍笛の由来は、その昔、龍が海に入っていくときの鳴き声を聞いた者が、再びその鳴き声を聞きたいと思って竹を切って吹いたところ、龍の鳴き声にそっくりな音色だったので、龍笛と名付けたのがはじまりだという。
歌物
催馬楽(日本の歌)と漢詩の朗詠がある。
国風歌舞
古くから存在する日本の歌に伴奏を付けたもの。
『古事記』の天岩戸伝説に由来する神楽歌があり、賀茂神社や岩清水八幡宮の臨時祭に奉納される。
組曲形式で、最初に人長(楽人の長)が陪従(楽人)に演奏の準備を促し、『庭火』の歌と演奏が催される。
それから神楽歌に入り、数々の組曲が演奏される。
参考資料
- 川村 裕子「王朝文化を学ぶ人のために」世界思想社、2010年