陰陽道 平安時代

【年表】安倍晴明が生きていた時代に起こったできごと:前編

安倍晴明が生きていた時代の平安時代のできごと

延喜二十一年(921)~天徳四年(960)。

年表


  • 延長元年(923)4月 朝廷が菅原道真に右大臣正二位を贈る


  • 延長5年(927)12月 延喜式完成


  • 延長八年(930)6月 清涼殿落雷事件

    清涼殿の柱に落雷があり、大納言藤原清貫らが犠牲になった。この落雷は、菅原道真の怨霊による祟りだと考えられ、道真の霊魂を鎮めるために神として祀ったり、北野天満宮を建てた。

  • 延長八年(930)9月 醍醐天皇が退位し、朱雀天皇が即位

    9月22日、醍醐天皇が退位し、朱雀天皇が八歳で即位した。
    醍醐天皇の御代は彗星が度々見られた。(『愚管抄』巻二)




  • 天慶二年(939) 藤原純友の乱

  • 天慶二年(939) 朱雀天皇が天慶の乱平定を祈願するために賀茂社へ行幸する

    天皇の賀茂社への行幸が初めて行われた。

  • 天慶三年(940) 賀茂忠行が藤原師輔に白衣法の実施を進言する


  • 天慶五年(942)4月27日 石清水臨時祭が初めて行われる

    承平・天慶の乱の報賽として、初めて石清水臨時祭が行われた。(『本朝世紀』)後に恒例行事となり、毎年三月の午の日に行われるようになった。


  • 天慶九年(946) 村上天皇が即位


  • 天暦二年(947)11月 倹約が推進され、贅沢が禁止される制度が公布される

  • 天徳二年(958)3月 皇朝十二銭の最後となる乾元大宝が鋳造される


  • 天徳四年(960) 宋(北宋)が建国される



  • 天徳四年(960)9月 平安京遷都後初めての内裏焼亡

    この時、温明殿の焼跡から三種の神器の一つである神鏡が無傷の状態で発見された。一方、神鏡は火災のときに自ら飛び出して大庭の木に掛かったという説もある。(『愚管抄』巻二)
    晴明は火災で焼失した二本の霊剣を再鋳造した。


詳細なできごと

朱雀天皇:延長八年(930)9月22日-天慶九年(946)4月20日

承平二年(932)秋 源経基が鹿を射る

承平二年(932)秋、幼い天皇が御遊のために作らせた貞観殿の中庭に突然鹿が現れたのを、源経基が射止めた。
春日大明神の眷属である鹿が妖怪として現れるのは、朝廷に背く者が現れる兆しではないかと噂されたが、その通りになった。(『前太平記』)

承平三年(933) 慶滋保胤が誕生

承平三年(933)、賀茂忠行の子・慶滋保胤が生まれた。

天慶元年(938)7月 地震を鎮めるために仁王経の転読が行われる

天慶元年(938)7月3日戊申、地震が止まないことにより、諸寺諸社において一万部の仁王経転読が行われた。(『本朝世紀』)

天慶三年(940) 賀茂忠行が藤原師輔に白衣法の実施を進言する

天慶三年(940)、近江国司馬賀茂忠行は東西の兵乱を鎮めるために権中納言藤原師輔へ白衣観音法を行うよう奏上した。後に、神護寺別当寛静僧正がこの法を修した。(『阿娑縛抄』私目録第五十之二)

天慶七年(944)4月 藤原実頼が右大臣に任ぜられる

天慶七年(944)4月9日、関白藤原忠平の子・大納言藤原実頼が右大臣に任ぜられた。(国史大系-『扶桑略記』)

天慶七年(944)4月 成明親王立太子

天慶七年(944)4月22日、成明親王(後の村上天皇)が皇太子に立てられた。(国史大系-『扶桑略記』)

村上天皇:天慶九年(946)4月20日-康保四年(967)5月25日

天慶九年(946)4月 村上天皇即位の儀

天慶九年(946)4月28日、大極殿において村上天皇即位の儀が行われた。(国史大系-『扶桑略記』)

天暦元年(947)3月 北野天満宮に菅原道真を祀る

天暦元年(947)3月12日、近江国の比良天満宮の禰宜良種が奏上して曰く「私、良種には今年で七歳になる子がおりますが、突然様子がおかしくなり『我は菅丞相(菅原道真)の化身・太政天大威徳天神である。北野の地に松を植え、私を天満大自在天神として祀ってほしい』と告げ、たちまち正気に戻りました。これは神託ではないでしょうか」ということだった。(国史大系-『扶桑略記』『前太平記』)

天暦元年(947)4月 藤原実頼が左大臣、藤原師輔が右大臣に任ぜられる

天暦元年(947)4月26日、右大臣藤原実頼が左大臣に任ぜられた。また、藤原忠平の二男である大納言藤原師輔が右大臣に任ぜられた。(国史大系-『扶桑略記』)

天暦元年(947)6月 北野天満宮 創建

天暦元年(947)6月9日、朝日寺の僧最珍は比良社禰宜神良種とともに故右大臣菅原道真を祀る祠を建てた。(『年中行事抄』)

天暦三年(949)11月 雷火によって大安寺西塔が焼亡する

天暦三年(949)11月11日、雷火によって大安寺西塔が焼亡した。(国史大系-『扶桑略記』)

天暦三年(949)11月 冷泉院焼亡

天暦三年(949)11月14日、冷泉院が焼亡した。(国史大系-『扶桑略記』)

天暦四年(950)7月 憲平親王立太子

天暦四年(950)7月23日、憲平親王(後の冷泉天皇)が皇太子に立てられた。(国史大系-『扶桑略記』)

天暦十年(956) 大いなる干ばつ

天暦十年(956)、全国で大規模な干ばつがあった。(国史大系-『扶桑略記』)

天徳元年(957)10月 改元:天暦→天徳

天暦十一年(957)10月27日、水害と干害によって改元が行われ、元号が「天徳」になった。(国史大系-『扶桑略記』)

天徳二年(958)10月 藤原安子の中宮冊立

天徳二年(958)10月27日、右大臣藤原師輔の長女藤原安子が中宮に冊立された。(国史大系-『扶桑略記』)

天徳四年(960)3月 天徳内裏歌合

天徳四年(960)3月30日己巳、清涼殿において歌合が行われた。
方人を務める女房が左右に分かれた。左方が六人、右方が四人であった。大納言源高明が琵琶を弾いた。頻りにお酌をして巡る人がいた。音楽が途切れることはなかった。大臣以下は禄を賜った。(国史大系-『扶桑略記』)

天徳四年(960)5月 源満仲邸に強盗が押し入る

天徳四年(960)5月10日夜、源満仲邸に強盗が押し入った。
満仲は倉橋弘重を捕らえ、式明親王の次男親繁王、中臣良村、源蕃基の子らによる犯行だと白状させた。
満仲は検非違使庁の役人たちに式明親王の邸宅を捜索させたが、親繁王を捕らえることはできなかった。成子内親王の邸宅において親繁王の一味である紀近輔を捕らえたところ、満仲の家に押し入ったことを認めた。(『古事談』)

『扶桑略記』では応和元年(961)5月10日の出来事になっている。

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