陰陽道において沐浴は吉凶があると考えられていたので、沐浴をするときは吉日を占って暦に記した。
こうした事情により、貴族たちは5日に1度しか体を洗わなかったという。
入浴回数が少なかったので、お香を身につけて体臭が目立たないようにしていた。
沐浴
「沐」は頭を洗うこと、「浴」は全身を洗うことを意味する。
湯殿または湯屋に浴槽があり、浴槽に入って沐浴をした。
浴槽は渡殿や下屋などに置かれていた。
『延喜式』によると、浴槽はかなり広いものであったという。
湯具
湯文字
浴槽に入る時、腰に巻いた布のこと。手巾・風呂敷が用いられることもあった。
湯坏(ゆするつき)
木製の漆塗りのものや銀製のものもあったが、その美しい形から室内の装飾品として飾られることもあった。
『雅亮装束抄』の「もやひさしの調度立つる事」にも記載がある。
匜(はんぞう)
湯水(手や顔を洗うためのお湯)を入れる。
木製で漆塗りのものや銀製のものがある。
洗髪
長い髪を洗うのは大変なので、毎日洗うことはせず日を選んで洗った。
『源氏物語』東屋の巻で「あやしう日頃も物うがらせ給ひて、今日すぎは、この月は日もなし、九・十月はいかでかはとて、仕うまつらせると大輔いとほしがる」とあることから、
4〜5月、9〜10月は洗髪を忌む月で、髪は洗わなかったのではないかと考えられる。
また、河原などの屋外で髪を洗う時は半裸となるため、人に見られないよう囲いをした。
顔づくり
『枕草子』に「女はおのれのよろこぶ者のために顔づくりす」と『史記』の文を引いているように、化粧をすることである。
沐浴後
沐浴が終わった後は湯帷子という単衣を着る。
湯帷子は後世の浴衣の語源にもなっている。
香料
貴族たちは主に沈香・白檀・鬱金などの香料を粉末にして混ぜ合わせた。
衣服に付ける「薫衣香」と消臭剤として部屋に置く「空薫物」という2種類の薫物を作っていた。
薫衣香は衣服をかぶせた伏籠の下で使って、服に香りを染み込ませていた。
参考資料
- 池田 亀鑑「【復刻版】池田亀鑑の平安朝の生活と文学」響林社、2015年