陰陽道 平安時代

河原で祓(解除)を行い、貴族の穢れを除く陰陽師

解除

身に付着した穢れを取り除くため、陰陽師たちは河原にて祓(解除げじょ)を行う。
『枕草子』三一では、「弁舌さわやかな陰陽師に依頼して、河原で呪咀の祓をしているのは気持ちのいいことだ」としている。

基本情報

撫物を使った解除

撫物なでものは陰陽師が作成した穢れを祓う専用の人形である。身体を撫でるための物=撫物。

step
1
依頼主が陰陽師から撫物を受け取る

解除を依頼した者が、陰陽師から撫物を受け取る。

step
2
依頼主が撫物で自分の身体を撫でる

依頼主は撫物を手に取って自分の身体を撫でる。

撫物で身体を撫でることで、穢れが撫物に移ると考えられていた。

step
3
依頼主が撫物を陰陽師に返す

撫物で身体を撫で終えたら、依頼主は撫物を陰陽師に渡す。

step
4
陰陽師が撫物を祭壇に置き、祈祷する

依頼主から撫物を受け取った陰陽師は撫物を祭壇に置き、祈祷して穢れを祓う。

step
5
陰陽師が撫物を依頼主に渡す

祓の祈祷が終わったら、陰陽師は撫物を依頼主に渡す。

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6
依頼主が撫物を川に流す

陰陽師から撫物を受け取った依頼主は、撫物を川に流す。
撫物に火を付けて焼き捨てることもある。

『枕草子』において、陰陽師が祭文を読み上げているのをほかの人はいい加減に聞いているのだが、陰陽師に仕えている小さな子供は手早く立ち走り、命じられる前に酒や水を注いで回る気の利いた子だとしている。

七瀬祓

天皇や貴族たちが陰陽師に依頼して鴨川沿いの七つの瀬で祓を行う。

七瀬
  • 川合
  • 一条
  • 土御門
  • 近衛
  • 中御門
  • 大炊御門
  • 二条末

年中行事としての祓

上巳(じょうし)の祓

上巳の祓は、毎年3月の最初の巳の日に行う祓のこと。貴族たちは河原に出て、陰陽師に穢れを祓ってもらう。中国の風習が伝わったもの。

弥生の朔日に出で来たる巳の日、「今日なむ、かく思すことある人は禊し給ふべき」と、なまさかしき人の聞こゆれば、海づらもゆかしうて出で給ふ。いとおろそかにぜじやうばかりを引きめぐらして、この国に通ひける陰陽師召して、祓させ給う。舟にことごとしき人形のせて流すを見給ふにも、よそへられて、「知らざりし 大海の原に 流れ来て ひとかたにやは ものは悲しき」とて居給へる御さま、さる晴れにいでて、言ふよしなく見え給ふ。(『源氏物語』「須磨」)

★訳:三月最初の巳の日に「今日は、このように心配事のあるお方は禊をなさるのです」と知ったかぶりの人が申し上げるので、(源氏は)海辺を見たく思ってお出かけになる。なんとも大雑把に軟障(布製の間仕切り)ばかりを張りめぐらして、この国に行き来していた陰陽師を召して祓をおさせになる。(陰陽師が)舟に仰々しい人形を乗せて流すのをご覧になると、我が身のように思えて「見たこともない大海原に人形のように流れて来て、一方ならず悲しく思うことよ」と詠んでお座りになっている御様子は、このような広く明るい場所に出ると、言いようもないほど美しくお見えになる。

上巳の祓の記録
  • 寛和元年(985)3月1日乙巳、雨が降っていたので、藤原実資は河原に出なかったが、使者を遣わして河臨祓を行わせた。(『小右記』)
  • 長保四年(1002)3月9日乙巳、中御門の末において賀茂光栄は藤原行成に御祓を奉仕し、禄を賜った。(『権記』)
  • 長保五年(1003)3月3日癸巳、敦康親王の御祓が行われた。(『権記』)
  • 寛弘元年(1004)3月9日癸巳、賀茂光栄は藤原道長に御祓を奉仕した。(『御堂関白記』)
  • 寛弘三年(1006)3月3日乙巳、敦康親王の御祓が行われた。(『権記』)
  • 寛弘四年(1007)3月8日乙巳、藤原道長の女方が祓を行った。(『御堂関白記』)

水無月祓/六月祓/夏越の祓

旧暦6月末に行われていた祓。

六月祓の記録
  • 康保四年(967)村上天皇崩御の穢れによって、三局の六月祓が停止された。(『本朝世紀』)
  • 寛弘二年(1005)6月28日甲辰、阿闍梨深清は前日に左衛門府において行われた六月祓の際に、番長二人が左衛門権佐令宗允亮に対して無礼を働いたので、非礼だと糾弾したことを話した。(『小右記』)
  • 寛弘七年(1010)6月30日丁丑、六月祓が通常通り行われた。(『権記』)

河頭祓

斎王が初めて斎院に入るとき、河頭に臨んで祓を行う。(陰陽寮に日時を選定させ、野の宮に入る。伊勢斎宮もこれに准える。)禊の二日前、弁官は院の別当以下ならびに陰陽寮及び諸司を率いて河辺に至り、その場所を點定し、これを奏する。期日になったら、斎王は賀車に乗って向かう。(『延喜式』-斎宮寮)

祓(解除)の記録

和暦日付担当出典
永観三年/寛和元年4月18日賀茂光栄小右記
 4月19日安倍晴明小右記
長保元年11月5日県奉平権記
長保二年4月9日県奉平権記
長保五年2月16日県奉平権記
長保六年/寛弘元年8月28日県奉平権記
 9月22日賀茂光栄権記
寛弘二年4月7日県奉平権記
 10月29日賀茂光栄権記
寛弘四年11月20日賀茂光栄ら七人権記
寛弘五年9月13日県奉平権記
 9月25日(陰陽師七人)権記
寛弘八年2月16日賀茂光栄御堂関白記
 2月19日安倍吉昌御堂関白記
 2月20日大中臣実光御堂関白記
 2月24日賀茂光栄御堂関白記
 2月26日安倍吉昌御堂関白記
 8月23日大中臣実光権記
寛弘九年/長和元年3月14日(陰陽師七人)御堂関白記
 4月10日安倍吉平御堂関白記
長和二年4月11日安倍吉平御堂関白記
長和六年/寛仁元年8月9日大中臣実光権記

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