基本情報
江談抄とは
平安時代後期、大江匡房(1041-1111)の言葉を藤原実兼(1085-1112)が筆録したもの。
『古本系』と、それを内容によって分類し並び替えた『類聚本系』の二種類に大別される。
類聚本系は全六巻あり、巻一が公事・摂関家事・仏神事、巻二、巻三が雑事、巻四、巻五が詩事、巻六が長句事である。
あらすじ
「霊亀二年(716)、阿倍仲麻呂は遣唐使となって唐に渡ったが、帰朝しなかった。
漢家の楼上で餓死していたのだ。
後に吉備大臣が唐に渡ったとき、鬼の姿をした仲麻呂が現れて、唐土についてのことを教えあった。
仲麿は帰朝しなかった人である。
歌を詠むことにおいて禁忌があってはいけないと言えども、なお快くないだろうか。どうであるか」
師清が進み出て答えた。
「『天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出し月かも』
この歌は、仲麿が読んだ歌だと思います。遣唐使として唐に渡った頃の歌でございます」
「唐で読んだ歌であったのか、如何であろう。禁忌があるだろうか」
永久四年(1116)、ある人が師遠に問うた。
補足
- 師清……中原師清。中原師遠(1070~1130)の子。
- 師遠……中原師遠。平安時代後期の貴族。
仲麿の和歌
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出し月かも
訳:(天の原のように)広々とした空を見ると、月が上っている。(故郷の)春日にある三笠の山に上る月と同じ月なのだろうか。
『古今和歌集』九巻、羇旅・406、『小倉百人一首』・7に収録。
阿倍仲麻呂は留学生として唐に派遣されたが、数多の年月が過ぎてもまだ帰朝できずにいた。
しかし、日本から再び遣唐使が遣わされて来たので、ともに日本に帰ろうと思い出発した。
明州の海辺で、唐の国の人々が仲麿のために送別会を開いてくれた。
その夜、月がとても趣深く輝いているのを見た仲麿が読んだ歌と語り伝えられている。
文中の時期について
大江匡房は天永二年(1111)、藤原実兼は翌年の天永三年(1112)に没しているため、文中に出てくる永久四年(1116)には両者ともにいない。