平安時代

【源平合戦】富士川の戦い

【前回までのあらすじ】頼朝たちはついに鎌倉に入る。そして、平氏の大将軍平維盛が大軍を率いて駿河国に到着したという報告を受けた頼朝は駿河国へ向かった……。

富士川の戦い

富士川

治承四年(1180)10月20日、平惟盛・平忠度・平知度らが富士川の西岸に陣を張った。

夜中に武田信義が密かに平氏の陣を襲おうとしたところ、富士沼に集まっていた水鳥の一群が飛び立った。
平氏は水鳥の羽音を軍勢の音と勘違いして、驚き慌てた。
この時、藤原忠清が「東国の士卒はみな頼朝に味方しているため、急いで京都に戻り作戦を練るべきです」と言ったので平維盛らは夜が明けるのを待たずに京都に帰った。
その時、飯田家義とその息子たちが富士川を渡り平氏の従軍を追いかけた。
伊藤次郎が引き返してきて合戦となり、飯田太郎は討ち取られてしまったが、家義は伊藤を討ち取った。
また、印東常義は鮫島で討ち取られた。

義経との再会

10月21日、平惟盛を追うため、頼朝は兵士たちに上洛を命じた。
しかし、千葉常胤・三浦義澄・上総広常たちが頼朝を諌めたので、一旦黄瀬川に戻り、安田義定を遠江国に遣わし武田信義を駿河国に留め置いた。

常胤・義澄・広常

常陸国の佐竹義政・秀義らが数百の軍兵を率いて、いまだに服従しておりません。
特に秀義の父隆義は平家に従って在京しております。
その他にも自らの武勇に驕る者が東国にまだ多くおります。
まずは東国を平定してから、西国に行くべきです。

一人の若者が、宿所の辺りに佇んでいた。
鎌倉殿(頼朝)にお会いしたいと言うので、土肥実平・土屋宗遠・岡崎義実たちは怪しみ、取次をせずに時が過ぎていった。

しかし頼朝はこの事を聞いて、年齢から考えて奥州の九郎(源義経)ではないかと思い、対面することにした。
実平が取り次ぐと、やはりその若者は義経であった。
頼朝と義経は互いに昔を語り合い、懐かしさに涙を流した。

夕方になって頼朝は湯浴みをした後、三島社に参詣した。
願いが叶ったのはひとえに明神の助けによるものと感謝し、伊豆国内から神領を寄進した。

伊豆国美園・河原谷・長崎

早く三島大明神の神領として年貢を免除すべきこと。
右、これらの御園は、ご祈祷のため年貢を免除し寄進するところである。

治承四年十月二十一日 源朝臣(頼朝)

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やみみん

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