五龍祭は雨乞いの呪術である。
- 東方青龍神王
- 西方白龍神王
- 南方赤龍神王
- 北方黒龍神王
- 中央黄龍神王
基本情報
五龍祭を行う場所
五龍祭は、龍神の棲む場所といわれる神泉苑で行われることが多かった。
五龍祭の記録
九世紀半ば以降、陰陽道の祭祀の記録が見られ始める。
五龍祭が初めて史料に現れたのは、延喜二年(902)6月17日となっている。
◆祈雨のために山陵へ使者を遣わし、同じ日に五龍祭を行い、十社の神社に加えて十五大寺と延暦寺でも読経をした。(『日本紀略』延喜二年〈902〉6月17日戊戌条)
◆祈雨のために山陵へ使者を遣わし、陰陽寮を召して鳴滝北十二月谷口にて五龍祭を行わせた。(『扶桑略記』裡書同日条)
天徳四年(960)7月25日の五龍祭は、神泉苑で行われている。
今日から三日間、陰陽寮が神泉苑にて雩祭(五龍祭)を行う。(『日本略記』裡書同日条)
応和三年(963)7月13日は、賀茂保憲が五龍祭を行っているが、場所は記されていない。
天文博士保憲によって、五龍祭が修せられた。(『祈雨日記』同日条)
五龍祭とともに請雨経法が行われることもあった。僧が神泉苑で請雨経法を行う際、陰陽寮は北山で五龍祭を修している。
僧都寛静が神泉苑にて請雨経法を行い、陰陽博士道光が北山にて五龍祭を修した。(『日本紀略』安和二年〈969〉)
安倍晴明の孫時親が五龍祭を修したこともあった。
仁海曰く、先例において神泉苑で請雨経法を修するときは、必ず五龍祭も行われている。早く時親を召して奉仕させるべきだ。(『左経記』長元五年〈1032〉5月3日条)
「先例」について、『日本紀略』寛仁二年(1018)6月4日条には仁海が神泉苑にて請雨経法を修したとき、五龍祭も行われたことが記されている。『小右記』『御堂関白記』によると、このとき五龍祭を修したのは晴明の息子の陰陽博士安倍吉平とある。
仁海のほかには、正暦二年(991)6月3日に阿闍梨元真によって神泉苑にて請雨経法が修され、14日には安倍吉平によって雩祭(五龍祭)が奉仕されている。(『日本紀略』正暦二年同日条)
五龍祭と請雨経法
- 永延元年(987)5月24日乙酉、日照りがひどいので、大極殿にて百口の僧が読経を行った。また、元真が請雨経法を行った。(『小右記』)
平安時代の雨乞い
雨乞いの記録
- 永延元年(987)6月1日壬辰、十八社に祈雨の御幣を奉らせた。→3日甲午の明け方、雨が降った。(『小右記』)
- 同年6月29日庚申、祈雨報賽の賀茂詣が行われた。(『小右記』)
参考資料
- 高平 鳴海「図解 陰陽師」新紀元社、2007年
- 山下 克明「平安時代陰陽道史研究」思文閣出版、2015年
- 細井 浩志「新陰陽道叢書 第一巻 古代」名著出版、2020年