あらすじ
今日、西伯は猪や鹿を狩りに来ているのではない。
自分の側近となる賢人を探し求めてただひたすらに渓谷を進んでいると、三人から五人の人影が見えた。
ある者は魚を獲り、またある者は釣りをしていた。
盤石に座って休息をとり、竿を弾き石を叩いて皆で歌を歌っているのを聞いていると、紂王を非難する言葉が多く見られたので、西伯は辛甲という武将に何者か尋ねさせた。
「俺たちはこの辺りで暮らしている貧しい者で、釣りと漁で生計を立てています。将軍様はどちらからおいでなさったのですか」
「西伯様の狩りにお供して来たのだ」
その場にいた皆が驚き、跪いて拝み伏した。
「西伯様がおいでなさったのを知りませんでした」
「そなたらは釣りを生業とする民であるというのに、風雅な歌を歌うではないか」
西伯がそう言うと、皆は伏せたまま答えた。
「ここから遥か西へ行くと、おじいさんがいます。世俗から遠く離れた賢人で、磻渓に隠れ住み数年間釣り糸を垂れて過ごしておりました。
おじいさんは自らこの歌を作って私たちに教えてくれたので、こうして歌っていたのです」
西伯は群臣たちの方を見て言った。
「賢人は本当にいたのだ。
里に君子がいれば、その周りにいる民も変わるという」
渭水の漁家はみな清らかで高い風が吹いていると感じながら、西伯たちはしばらく道を進んでいった。
すると、鋤を担いで畑を耕しながら笛を横に置き、お互いに歌を歌い合っていた。
「鳳凰も麒麟もいないわけではない。龍が興れば雲が現れ、虎が現れれば風が生じる。
殷の湯王も、三度へりくだって頼んだからこそ伊尹という賢人を得た。
大きな才能をもちながら山奥に隠れ住んでいる。
昔から、賢人というものは貧しくて嫌な思いをさせられることもあるが、賢君に出逢えば富貴になるという。
今聞こえている歌は、それを詩にしたものだ」
西伯は嘆息して群臣に「この場所に賢人がいる。訪ねてみよ」と命じ、数人を連れて来させた。
西伯は車から降り礼をして賢明の君子に会えるようにと願ったが、俗眼ゆえに見分けることができなかった。
連れてこられた者たちは驚き拝み伏して「私たちは下賤の民です」と言った。
彼らの中で風雅な歌を歌っている者がいることについて問うと、
「渭水をしばらく進むと、物知りのおじいさんがいます。私たちにこの歌を教えてくれたのです」
「その老人はどこにいるのだ」
「この渓に添って進んでください。
その人は釣りをしているように見えますが、釣り針を曲げず、餌も付けていないので、魚を釣っているのではありません。
王侯を釣っているのだと言って、常に磻渓の岸の入口にいます」
西伯は大いに喜んで再び車に乗って言われたところへ行ったが、老人はいなかった。
車を停めて降り、休息をとっていると、岩山の後ろから一人の樵夫が出てきて、斧の柄を叩いて歌を歌いながら山を下っていった。
その歌の意味は、「金の為に生きず、磻渓に隠れ住む賢人がいることを世の人々は知らない。もしこの人を訪ねる君子がいれば、渓の傍らの磯辺で釣りをしている」というものだった。
西伯が樵夫の方を見ると、なんと以前囚われていた武吉だった。
側近の武士が武吉を捕え、引き連れて西伯の前まで来た。
「そなたは川に沈んで命を落としたと聞いていたのに、私たちを騙して刑罰を逃れたのか」
武吉は頭を地面に擦り付けた。
「騙すつもりはなかったのです。
この辺りに釣りをしているおじいさんが隠れ住んでいます。陰陽の理に詳しく、兵法の奥義を究めています。
私はこの人と親しくなり、私の身に起こった災いを救ってくれました。
こうして生きながらえているのは、老いた母を養うため。先の罪はどうかお許しください」
西伯は驚いた。
「その老人はどこにいるのだ」
「石室に隠れています。彼に会いに行くのなら、私が案内しましょう」
西伯は大いに喜び、武吉の罪を赦して先頭を歩かせ、磻渓にたどり着いた。
その三日前、子牙は西方の岐州の空に一道の祥雲が渭水に近づいてくるのを見た。
賢君が自分を訪ねて来た証だと思った彼は、敢えて釣り竿を岸のほとりに捨て置き、山奥に籠もった。
武吉が西伯一行を引き連れて石室に到着すると、一人の童子が出迎えた。
西伯は数人の従臣とともに歩いて庵に入った。
「ここにそなたの主である老人がいるのか」
「今朝、薬を採りに山奥に入っていきました。三日後には帰ってくるでしょう」
西伯はため息をついた。
「賢人に会えないのは我が不幸であろう」
西伯は筆をとって紙に二十八字の句を記し、子牙の机の上に置いた。
宰割山河布遠猶
(一国の主である私は、山河を分け入って遠い未来を想う)
大賢抱負可充謀
(大才をもつ賢人は謀に長じている)
此来不見垂竿老
(やっとの思いでここまで来たというのに、未だ釣り竿を垂らしている老人に逢えずにいる)
天下人愁幾日休
(幾日か待たなければならないことを皆も愁えている)
散宜生が言った。
「昔、湯王が伊尹を招いたときは使者を莘野に三度遣わしてようやく会うことができたそうです。
我が君も賢人に逢おうとお思いになるならば、誠を尽くさなければ会うことは叶いません。
ここは一旦退いて、群臣とともに三日間物忌して身を清め、再びここに来れば賢人にお会いできるでしょう」
西伯は「善きかな、善きかな」と言って草の庵を去り、車を促して帰った。
その後、三日間物忌と沐浴をして再び庵に向かおうとしたところ、辛甲が進み出て歯を食いしばりながら言った。
「我が君は西方諸侯の総領として名高く、その威厳を天下に知らしめており、国の領土は殷よりも広く、文武に秀でた臣下も大勢います。
ですから、老いぼれの漁夫にお会いになるのであれば、文を送って呼び寄せればよいのです。
漁夫が拒むなら、兵士を遣わして捕えて来るのは容易いことでしょう。
どうして彼を神や親のように尊ぶのですか」
「そなたは間違っている。
昔の人も、君子の里に立ち入るときは車を降りて挨拶し、通り過ぎるのが賢君を尊ぶ道なのだ」
辛甲は伏して慎み、物忌みをした。
こうして殷の紂王の時代が十五年目を迎えた年の九月、西伯侯姫昌は再び子牙の庵を訪ねることにした。
今度は大勢ではなく数人の文武に秀でた臣下を従えて、車に乗って出発した。
この時、武吉を武将の列に加えて賢人を求める篤い志を表し、先頭に立たせて渭水に進んでいった。
子牙は、西伯が狩りをしに来たと言うので、賢人を求める心の持ち主ではないと思って隠れて出ていかなかった。
けれども西伯が書き残した句を見て、篤い志を感じ三日後に必ずまた来るだろうと思い、磻渓に出て釣りをしていると、思った通り西伯たちが北からやってきた。
この時、子牙は盤石の上に座り竿を垂れたまま動かなかった。
西伯の乗った駕籠が近くに来て、西伯は車から降りて渓の辺りまで近づいていき、賢人を見た。
顔は童のように額が広く、白い辮髪は鶴の羽毛を載せているかのようで、並々ならぬ風貌をしていた。
西伯はすぐに挨拶をしようと思ったが、子牙は竿を垂れたままこちらを見ず、石を撃って歌った。
西風が起こり、また白雲が飛ぶ
歳月はすでに暮れ、為すべき時が来た
西伯は恭しく石の傍らに立ち、歌が終わるのを待って群臣とともに聞いていた。
その様子を見た子牙は急いで竿を投げ、西伯を起こして挨拶を返し拝み伏した。
「私は西方諸侯の司、姫昌といいます。
今、紂王は政務を怠り天下の民衆を屠りつくそうとしています。
私はこの状況をなんとかしたいと思っていたのですが、仁徳も薄く智恵も足りなかったので民の願いを叶えられずにいました。
今、先生は道高く徳の重い方だと聞いております。もし私を見捨てずに助けてくださるのであれば、天下万民の幸せとなるでしょう」
「私は辺境に住む小民であり、謀には長けておりません。
けれども、君主の方から恭しく訪れてくださったのですから、愚中でも尽くさなければならないでしょう。
今、君主は仁徳を民に施し国富を豊かにして、天下の三分の二の勢力を持ち群臣も多くいますから、殷を討伐する時が近づいています。
ですが、今はまだその時ではありません。
紂王は無道といえども、天文を見るに湯王の恩沢はまだ尽きていないようです。
しかも、殷にはいまだ百万もの兵があります。
まずはこれまで以上に徳政を敷いて、下々の民を大切に養いましょう。
紂王が今後も民を陥れる無道を改めなければ、時が来るのを待って天に向かい、殷に出陣すれば攻めずとも滅びるでしょう」
西伯は大いに喜んで子牙の教えを聞いた。
「先生の名は何というのですか」
「姓は姜、名は尚、字は子牙飛熊といいます。
紂王に被害が及ばないこの地に隠れ住み、西伯殿の政事は老人を大事にしてくれると聞いてここに来たのです。」
これを聞いた西伯は諸臣の方を向いて感嘆した。
「夢に飛熊が出てきたのはこのことだったのだ」
「我が先祖の太公はかつて『数十年後に、聖人がここに来て我が国を興す』と言いました。その時から、太公は賢人を待ち望んでおりました」
この時から、子牙は名を太公望と改め、西伯と同じ車に乗って帰った。
吉日を選んで鎮国大軍師として敬われたが、すでに八十歳になっていた。
その後、西伯は病に臥せり危篤に陥った。
彼は息子の姫発に夢を託し、自分に仕えるのと同じように太公望にも仕えるように言って、ついに亡くなった。
享年九十七歳だった。
後に、西伯は文王の諡を賜った。
後の周の文王というのは、西伯のことである。