妖怪

【現代語訳】『絵本三国妖婦伝』より「狐、人民を傷う」

狐、人民を傷ふ #八郎上京して返事を奏す

悪狐、人民を喰らう

九尾の狐が帝を病気にして国を傾けようとしているとき、きらきらと輝く神国日本はどのようにして魔魅に立ち向かうのだろうか。

忠義に厚い播磨守安倍泰親は易道で玉藻の前の正体を明らかにした。

神仏の加護によって宮中から追放し、九尾の狐は下野国那須野に逃れて身を潜めていた。

唐・天竺でも賢人や名臣のせいで国から追い出され、ほかに行くところもなかったので方針を変えて通りすがりの人を取って喰らった。

それからこの那須野の原に隠れて老若男女の区別なく、ある時は往来の旅人、またある時は民家に入って、昼夜の区別なく喰らった。
喰らわずに隠して数日後に食われた人は数え知れなかった。

狐は人間を根絶やしにしようとして、領主にもかかわらず那須八郎の家来や妻子も連れ去った。

那須八郎は悪狐の仕業と見抜いていたがどうすればいいかわからず、歯噛みをして無念と怒りを覚えても仇を打つための良策も思い浮かばなかった。

最初は、八郎の領地の民がいなくなったという報告も一人か二人だった。

ところが、近頃は一日に二十人から三十人もの届け出が絶え間なく出された。

父母あるいは妻子・兄弟・配偶者の姿が消えたという報告が、櫛の歯を挽くように増えていった。

八郎は自分の領内でさえこれだけの人がいなくなったのだから、往来の旅人や他国または他の領地の者で届け出のないものはどれほどいるのか計り知れなかった。

那須八郎の領内で人がいなくなったり化生に取って喰われたり、他の領地からの評判が下がるのは誠に那須家の汚点である。

これもみな白面金毛九尾の狐のせいで、汚名を受けるのは悔しいことだ。

けれどもどうすればいいかわからず無念というしかなかったので、もう一度那須の原を多勢にて一滴の水も漏らさぬほどに取り囲んで隅々まで獣を狩り尽くした。

たとえ狐でも並の大きさならば殺めてしまうのは罪作りなことだ。

「黄金のような毛並みの白虎を見たら、すぐに倒せ」

と申し付け、広大な那須野の原を大人数で取り囲みつつ、家族の仇である悪狐がいたときは逃さず討ち取ってやると意気込んで向かうものも多かったので、どんな魔性でもたまらないように思えた。

けれども、狩れたのはただ猪・鹿・猿・兎だけだった。

たまに出てくるのは痩せ狐。二晩三日絶え間なく狩って過ごしたけれども、どこへ行ったのだろうか、かの悪狐は影も形も見えなかった。

山奥のくぼみ穴のようなところに山のように人骨が積み上げられていて、その中には喉笛あるいは急所だけを傷つけ噛み殺し、未だ食べられずにいる屍が数え切れないほどあった。

八郎は大いに驚き、
「この様子を見ると、私の領内だけでなく隣国の民も喰らったのだ。この穴蔵こそ狐の棲家だろう。さあ、堀穿て」

と命じたので、大勢の者が近づいて掘り返したが、ただ骨折り損だっただけで、狐の姿はなかった。

八郎は仕方なく狩りを中止して家に帰り、様々な工夫を巡らせたが、妙案は思いつかなかったので、朝廷へ報告しようと思った。

けれども使者を遣わして奏上するのでは失礼だと思い、八郎自身が上洛して事の次第を詳らかに奏聞しようと旅の支度を整えてすぐに出発しようとした。

二人の妻

その時、八郎の妻が突然二人に分かれた。

本物と偽物の見分けが付かず、顔色や声、服装に至るまで何一つ違わず、これもかの古狐の仕業なのだろうかと思った。

きっと片方は狐が化けて紛れたものだから、縛り上げて思うままに鬱憤を晴らそうと様々に思いを巡らせたが、妻と狐を見分けられず、仕方なく出立を延期した。

その間も、領内で人がいなくなったという知らせが続いた。

八郎は、きっと思惟したとしても妻一人に人々の嘆きは代え難いものだから、いづれ上洛してこのような変事があったと申し上げようと思った。

那須から都へ百五十余里の旅路、夜も昼も休まず急いでいたときに、七日目の昼頃に都に到着して関白殿下の邸宅に祗候し、長臣に対面を願いこれまでに起こったできごとを報告した。

そして、悪狐退治の軍勢を派遣してほしいと願い出ると、秦弾正少弼量満はこれを了承して殿下に申し上げた。

殿下藤原忠実とその嫡子藤原忠通から、院庁から追って知らせるまで旅館で待っているようにご挨拶があったので、八郎は畏まって退室した。

神鏡のレプリカ

忠実が参内して、八郎の報告についての公卿会議が開かれた。

悪狐は播磨守泰親の修法によって正体を現し逃げ去ったのだから、今回も修法を以て退治しよう。彼を召して意見を聞いてはどうだろうかということになり、泰親を召して尋ねた。

泰親はしばらく考えた後、「二人に分かれた八郎の妻のうち、一人は狐だろうが見分けるのは難しい。神宝のうち宝剣の模造品と八咫鏡の模造品を両方とも八郎に貸してやれば、妖婦を滅ぼすことができるでしょう。悪狐を退治するのは容易な事ではないので、勇士を選んで勅命を下し、数多の軍勢を率いて立ち向かうしかありません。けれども、古狐は神通力を自在に操り空を飛べるので、地上で攻め入っても逃げられてしまうでしょう。
そこで、私が現地に赴き修法を唱えて、百里の原を狭めて外へ飛び去れないようにいたします。そうすれば退治できます。空を飛べる狐に対し、清涼殿にて祈祷を捧げて飛行を禁じれば、悪行はできないでしょう」と言うと、公卿らは泰親の意見に賛同した。

「泰親の言う通りにして、民を救うためであれば、本来は軽々しく扱っていいものではないけれども、神鏡の写しを貸そう」ということに決まり、検非違使判官の河内権守隆房を召してこのことを命じた。

さて、それから忠実の邸宅に八郎を召して長臣の秦弾正少弼量満と面会した。

「この度は貴殿の申し出によって宝鏡の模造品を貸すことになった。これを携えて家に帰れば、二人の妻のうち妖怪の方は退治できるだろう。
そして、家族に異変も起こらず、領内にいる化生も民を傷つけることはできないだろう。その上退治の軍勢を向かわせれば、事態は丸く収まるだろう」

こうして、河内隆房が忠実から神鏡を受け取り、八郎に渡した。

八郎は「天のお恵み、冥加の幸せです」とお礼を申し上げて、旅館に帰った。

宝鏡が入った箱を綺麗にして新しい櫃に納め、四方に注連縄を引いて足早に都を発って那須へ向かった。

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