妖怪

【現代語訳】『絵本三国妖婦伝』より「安倍泰親、祈祷を修す」

安倍泰親、祈祷を修す #玉藻前帝都を去る

加茂明神の神勅

播磨守安倍泰親はお咎めにあって謹慎の身となっても、帝のお悩みを晴らそうと心を砕き、思いがけず加茂明神の神勅を蒙った。
やがて妻の菊園にその言葉を伝え、関白忠実公の邸宅へ向かわせて何とか会わせてもらえないかと頼み込み、手紙を渡した。

「泰親は誠忠の心を持っているにもかかわらずお咎めを受け謹慎となったが、国のために昼も夜も帝の病が平癒するようにと願っていたところ、尊信していた加茂明神から神勅があって、ご祈祷の修法を授かった」

と詳細を申し上げ、

「叶うならば、17日間謹慎を解かれ、清涼殿で祈祷を行えば帝の病は治るでしょう。帝に取り次いで奏聞いただき、勅許の詔命が下れば本望です」

関白殿下は手紙を読み終わった。

「泰親の忠誠心は私もわかっている。帝に聞き入れてもらえるよう取り計らおう」と快諾して、泰親は飛び上がるほど喜んだ。

「関白殿が了承したのだから、主上も受け入れてくれるだろう。そうなればご病気も治り、寸忠を立てて玉藻前の正体を明らかにし、障碍を取り除こう」
と心身を清めて勅免が下るのを待った。

泰親の祈祷

数日も待たずして勅免を蒙り、清涼殿で病気平癒の祈祷をするようにとの宣下があった。

関白殿下のもとに召されると泰親は謹んで身を清め、着替えて清涼殿の階下に向かい、護持の祈壇を設置した。

まず自分の席を清め、四方の壇で北の方角を上と定めた。
その中央には北極星と北斗を勧請し、日・月・星の三光天七十二府神抱卦童子示卦童郎の坐二十八宿を四方に分割して青龍・朱雀・白虎・玄武の旗を立てた。

東に角・こうてい・房・心・尾・箕、北に斗・牛・虚・女・危・しつへき、西にけいろう・胃・ぼうひつ・参、南に井・鬼・りゅう・星・張・翼・ちんを配し、太陽と月、歳星(木星)・熒惑星(火星)・太白星(金星)・辰星(水星)・鎮星(土星)、七曜には木曜・火曜・土曜・金曜・水曜・羅喉らこう計斗けいとの九曜を祀った。

八方に64本の小さな旗を立て、64封を配し、東方に青いぬさ、南方に赤い幣、西方に白い幣、北方に黒い幣、中央に黄色い幣を立てて五つの段を設け、その上には七重の注連しめを引いた。

国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟命・泥土煮尊・面足尊・伊弉冉尊の下に五つの段を設け、天照大神・忍穂耳命・瓊々杵尊・彦火火出見尊・鵜草葺不合尊を祀り、春日八幡から八百万の神まで、あらゆる神々の来臨を祈った。

四方に四大明王(東に降三世、西に大威徳、南に軍陀利夜叉、北に金剛夜叉)、四方の隅には四天王(巽に持国天、坤に増長天、乾に広目天、艮に多聞天)を配した。

明かりを灯し、供物を備え、清浄の香をくゆらせた。

時に今日、保安元年(1120)9月8日。

祈祷の開闢安倍泰親は正装で壇上に上がる。

青・黄・赤・白・黒の浄衣を着た五人にそれぞれの色の幣を持たせた。黄色の幣を持った者は泰親の後ろに付き、ほかの四人を四方に立たせて自分は壇の中央に立った。
黄色の幣を持った者を台に立て置き、泰親自身は白い幣を取って蟇目の弓矢を左右に持ち、七日間祈祷した。
公卿・殿上人が交代で見に行った。

祈祷の最終日に玉藻の前を呼びたいと頼み、帝に聞き入れてもらった。
帝は玉藻の前を召して、

「朕の病気平癒の祈祷として、泰親が祭壇を設けて七日間の間必死に祈祷してくれた。今日はその最後の日だから、そなたにも見てほしい。朕の代わりに行ってその様子を見よ」

と勅定があり、玉藻の前は異議を申し立てることもなく、着替えて女官に傅かれて清涼殿に到着した。

下には紅梅、上には唐・綾・蘭・繍・錦の五つかさね、緋色の袴、裾に余るほど長い髪に玉の冠を戴き、しとしとと現れるさまはまるで天女が来臨したかのようだった。
一度咲けば城を傾けてしまうのではないかというほどの傾城傾国の装いを見て、自分の妻にしたいと思わぬ者はいなかった。

玉藻の前は壇上をつくつくと眺め、泰親に言った。

「そなたが祭壇を構えて祈祷するさまは、帝の病気平癒のためとは思えない。私を除こうとする呪詛にちがいない。よくも帝を陥れ、清涼殿を汚したな」
と罵しられて、泰親は何を言われても言葉を発してはいけないと思っていたが、公卿も聞いていたので、「帝を陥れた」という言葉に反論しなければ、そんなつもりはなくとも疑われてしまうだろうと思って、玉藻の前の問いに答えた。

「どうして私が帝を陥れるのでしょう。ご病気の平癒を祈るだけで、ほかにやましい気持ちはありません。たとえあなたを呪詛したとしても、あなたが邪悪なものでなければ何も起こらないでしょう。
あなたは帝の寵妃なのですから、帝の代わりに祈壇をご覧になってください」
言うと、玉藻は押し返して

「そなたがどれほど己を偽ろうとも、自ずと真実はわかるだろう。しかもそなたが言うように、正しき我が身において何の恐れがあるだろうか。そうと知っていながら無益の業に骨を折って、後悔するだろう。またもや恥辱を受け、そなたの家系の断絶を招いてしまうとは哀れなことだ。早々に祈祷を中止せよ」
と怒った様子だったので、泰親は再び玉藻に言った。

「今日、最後の祈祷が終われば帝のご病気も治るでしょう。病気平癒の祈祷を止めよと妨げることこそ、疑わしいことです。
たとえあなたを呪ったとしても命を惜しまず、ともに祈りを捧げてこそ貞妃というものでしょう。それを巧みに言いくるめて祈祷を止めようとするとは、私と同じ思いを持っているとは言い難い。
帝のためならば、私は家も命も惜しまずこの祈祷を始めましょう」
というと、玉藻の前は

「そなたは蟇目の修法によって私を呪い殺そうとすることに余念がなく、病気平癒の祈祷でなければ、祭壇を見る必要はない。
泰親の蟇目は帝の病気を取り除く行いだと、何度も私と問答するも同じことをずる賢く言い曲げられるばかりでどうしようもない。
拝するのを断るのならば、もう勝手にせよ。私が祈祷をしないのは帝への不忠を恐れてのことだ」
と蟇目の弓矢を取り上げたその時、玉藻の前の顔色が悪くなり、自ら

「勝手にしろと言ったものを、何じゃこれは。お前の指図など受けぬ」
と立ち去ろうとしたので、泰親はもはやかける言葉はあるまいと思ったが、

「私は帝のために祈祷を修しているというのに、いくら寵妃といっても一言の挨拶もなく席を立って逃げようとするのは失礼ですよ。
我が国は神国です。主上を守護している尊神は、日本中のあらゆる神々と北辰北斗三光天七曜九曜七十二符、抱卦至卦の両尊童、二十八宿六十四卦の神々が今ここにおいでなさっているのですから、人間でない身では席を立ちたいと思うのも無理はないでしょう。
逃げるというのなら、どこへでもお逃げなさい。
神国の力を思い知らせるため、このように申しました」

と言い捨て、泰親は壇上の白い幣を手に取り、精を尽くして祈祷した。

参列していた公卿・殿上人は手に汗握り「泰親は思い切ったことを申したな。玉藻の前に立ち去れと言うなど、また逆鱗に触れて立場が危うくなるだろうに。この話はどう収まるのだ」
と息を詰めていた。

玉藻の前、都を去る

ところが、玉藻の前は席を立てなかった。
身動きもせず祭壇をじっと見ていると、泰親が指図をして青・赤・白・黒の浄衣を着させ、それぞれの色の幣をもたせた四人を東西南北の端に退けて立たせ、黄色の浄衣を着て黄色の幣を持っていた一人は中央に跪かせ、泰親自身は白い幣をとって戴き、呪文を唱えて台に置き、蟇目の弓を取り上げて三度弦を鳴らした。

不思議なことに、祈祷が進むにつれて玉藻の前の顔色は土のように悪くなり、血走った眼でわなわなと震え出し、立ち上がって泰親を睨みつけたその目つきは、何にたとえられようか。

南東の空に向かって一息つくと、不思議なことにたちまち悪しき風が吹き付けて晴天が曇り、空の色は墨を流したように黒い雲に覆われ、激しい雨が降って雷がしきりに轟き、昼だったのが闇夜のようになっったけれども、祭壇には燈明が赫灼と輝いていた。

それまで美しかった玉藻の前は白面金毛九尾の狐の姿に変じ、雲か霧のようなものに乗って虚空へ逃れ飛び去った。

すかさず泰親が後を追って、雲を目当てに壇上に立てていた四色の幣を手に掴んで投げつけると、赤・黒・白の三色の幣は地に落ち、青色の幣は雲とともに玉藻の後を追って行方知れずとなった。

公卿をはじめ殿上人や女官はこれを見て、「玉藻の前の正体は狐で、人ではなかったのだ」と肝を冷やし、身の毛もよだつばかりであった。

たちまち空は晴れ、もとの快晴に戻ったときは、まだ日も暮れていなかった。

関白殿下や帝も大いに驚いた。
不思議なことに、玉藻が去ってから帝の病が治り、健康な体に戻った。

関白殿下を以て「泰親の忠節はとても深いものだ」と帝からのお言葉があると、泰親は喜悦の眉を開いて
「私の功績ではありません。加茂明神の神徳とあなた様のご威徳によるものです」と言った。

それから、関白殿下に申し上げた。

「妖狐は東の方へ逃げました。雲とともに後を追ってたどり着いたところにあった青い幣は、東方の七星を司る方位ですから、その幣が落ちたところに隠れたのでしょう。悪狐が生きているうちは、人々に害を為し続けます。急いで東国の方々へ幣が落ちている場所をしるしとして注意してください」

こうして東国の国司・領主に御触れが出された。

なお、泰親は恩賞を賜り
「朝恩を忘れず、忠義の徳があったことがお天道様の目に止まり、加茂大明神に守られて邪悪なもののけを祓い、帝の病気を平癒させたのは前代未聞の手柄だ」
と国中に家名を輝かせた。

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