泰親、恥辱を受ける #加茂大明神託宣
この時、泰親は顔を真っ赤にして激怒した。
「私の勘文は私情を挟んだものではありません。
伏義、文王、周公、孔子ら先人の聖たちが広めた易道は、我が神国に何度か伝えられ悉く秘伝の奥義となりました。
私が易道を用いる理由です。
また、今ここにある道理を語るならば、今年の秋に高陽殿で内宴が開かれ、灯火が風に吹き消されて真っ暗になったとき、あなたが身体から光を放ったからです。
そもそも、正法に不思議はありません。
私も人も神の御末神体を授かった子孫ですが、人間の身で光を放つことなどあるでしょうか。
元々、あなたは右近将監行綱が流浪の身であったときに、清水の傍らで錦に包まれて捨てられているのを拾い上げて育てたと聞いています。
その時から今まで、誰が子を捨てたのかはわかっていません。
であれば、あなたは誰の子なのですか。
これが、私があなたを怪しむ二つ目の理由です」
泰親が言うのを聞いて、玉藻前は笑いながら、
「泰親殿は本当に愚かですね。産んだ子を捨てておいて『私が捨てた子です』と名乗り出る人はいないでしょう。
これが、あなたを愚かだと思う一つ目の理由です。
正法に不思議がないのなら、人間の身体から光を放つことを怪しみ、帝のご病気を私のせいだとしたのでしょう。
そなたは知らないのでしょうか。
允恭天皇の后である衣通姫は美しいお姿で、衣の外にまで美しさが溢れ輝くほどだったので、衣通姫と名付けられました。
人王第四十五代目の天皇である聖武天皇の后は藤原淡海公の娘ですが、身体から光を放ったので『光明』の二文字を授けられ、光明皇后と呼ばれました。
これは、帝が感激のあまりご賞美して授けた名であることを知らない人はいないでしょう。
そうであれば怪しむには及ばないはずなのに、このような例も知らないことがあなたが愚かな二つ目の理由です。
心の狭い不易者がどうして帝のお役に立てると思ったのでしょう。
言い聞かせても仕方のないことです。
後学のために知っておいてください。
道徳を固く守る貴僧や高僧が瞑想して修行を行う時、その姿は菩薩となり、光り輝くことは珍しくありません。
仏や菩薩には白毫があり、まばゆい光を放ちます。
これが正法であり、邪法とはいいません。
その昔、天竺にて釈迦牟尼仏がまだ皇太子の身で悉達と名乗っていたとき、王位を望まず檀特山に登りました。
阿羅良仙人のもとで修行して山を降りるとき、お経を読んでいる声が聞こえました。
釈迦仏はまだお経というものを知らなかったので、茨や棘をかき分け谷を越え、声の聞こえた場所にたどり着きました。
お経を読む声は止みましたが、そこだと思った方へ向かってみると、悪鬼どもが群れていました。
釈迦は『たった今お経を読んでいたのはそなたたちか。今一度私にお経を聞かせてくれないだろうか』と頼みました。
悪鬼どもは『我々は食べるものがなく飢えている。人間の肉を少し分けてくれないか』と答えました。
釈迦はこれを聞いて、自ら腿の肉を切り落として与えました。
鬼どもは喜んで喰らい、お経を読みました。
釈迦はこれを聞いて、お経の内容を覚えました。
今の四句の文はここから来ています。
釈迦は仏法を広めようと思いましたが、月界長者という邪悪で非道な者のせいで簡単にはいきませんでした。
釈迦は何とかして彼を仏道に入れようと思い、阿良漢達を連れて毎日長者の門の前に立ち、報謝を乞いました。
けれども、一粒の米も一銭の銭もくれませんでした。
それでも構わず、釈迦は毎朝月界長者のところへ通いました。
ある時、月界長者は瑠璃の鉢に米を入れて姿を見せましたが、結局何もくれませんでした。
邪悪を振る舞うあのような無道の者を善道に引き入れれば、皆残らず仏道に目覚めるだろうと釈迦は考えました。
世にあるはずのない空飛ぶ異形を見れば死に至る病を患うと言いふらしました。
長者の娘が空を飛んでいる鬼女を見て、病に臥しました。
体中に瘡が出て、命が危ないと思われると、邪悪な長者もさすがに娘を心配して自らも病を患ってしまう程でした。
釈迦はこのことを聞いて、病気を治しますから頼みに来てくださいと言いました。
娘を想う親の心。
邪悪も非道も忘れ果て、おろおろしながら願いに行くと『今から七日以内に回復するでしょう。今日から心を改め、慈悲を施し、三宝を信じることを必ず怠らないでください。』と言いました。
長者は娘のためを想い、一心に慈悲と憐れみの心を施し、三宝を信じて七日が経ちました。
夕方になり、娘の病は夢を見ていたかのように治りました。
このときから、長者は仏法はすごいのだとわかり、釈迦仏の弟子になって仏法に帰依しました。
限りなく慈悲深い人になり、祇園精舎を造営して仏に奉りました。
正法によって仏法を広めようとしましたが思うようにいかなかったので、正法を広めるためにこのような不思議なことを為して、ついに仏法を起こし三国に広めました。
この話を踏まえると、正法に不思議がないとは言い難いことです。
自らの身体から放つ光も光明皇后の光も、釈迦仏が世にはない異形のものに空を飛ばせ、悪病を生み出したの道理は同じことです。
不思議と言っても、これが正法なのです。
この例を聞いても、まだ正法に不思議はないと言うのですか」
一言半句も間違えることなく、流れる水のような弁口を聞いて泰親は全身から冷や汗を流し、頭を垂れて何も言い返せなかった。
玉藻前は声高らかに、
「そなたに言うことがあれば速やかに申してください。
答える言葉がないならないと言ってください。
そなたが黙ってうつむき、口を閉じているのをいつまで待っていればよいのでしょう」
泰親は答えた。
「この上は返す言葉もありません」
玉藻前は「そうでしょう。早くその場を立ち去ってよくよく修業を積んでください」と辱めた。
侍女たちが静々と入ってきて、玉藻前を囲んだ。
列座していた公卿や殿上人は、玉藻前の英明と知識に舌を巻いて感心した。
泰親は晴れがましい場で恥辱を受け、顔を真っ赤にしながらすごすごと退出した。
帝はこのことを聞いてますます感心し、泰親は思いのほか帝の逆鱗に触れてしまった。
「泰親を早急に咎めよ」
勅命が検非違使に伝えられ、泰親は謹慎処分となった。
泰親は鬱々として楽しいこともなかった。
いずれにしても玉藻前は人間ではないから、神力の擁護によって正体を明らかにし、内裏から追い出して帝のご病気も治そう。
私に過ちがないことも明らかになれば、お怒りも解け、人々も安心して暮らせるだろう。
この上は帝のお側にいることもできず帝の身も危うい。
どんな災いが引き起こされるかわからず、一天四海に憂いを為すのというのに。
明けても暮れてもこのことを案じていたが、謹慎中の身なのでできることもなく、ひたすら心を悩ませた。
けれども、帝の病は日増しに重くなっていった。
それを知った泰親は、元より忠誠心の深かったため狂ったように足摺りした。
「見よ、見よ。玉藻前は我が神国に障碍を為そうとしている。
もう一度会ったならば、私は罪に問われようとも飛びかかって殺めるだろう。
しかし機会が訪れないので、神々の力を以て内裏に参上できないだろうか」
そう罵ったが、ここで不思議なことがあった。
泰親が日頃から側に仕えさせていた童子が突然意識を失い、狂ったように叫んだ。
「泰親よ、私は日頃そなたが信じている賀茂明神である。
そなたの推察通り、玉藻前は狐魅の化生にほかならない。
これを退けるためには、内裏に蟇目鳴弦を行い、祈祷を行うのだ。
玉藻前はたちまち野干の正体を現し都を去るだろう。
その時は神力の加護によって助太刀しよう。
そうすれば、天皇の病も治るだろう」
言い終わってしばらくすると、童子は落ち着いた。
泰親は大いに驚き、「これは加茂大明神の冥助だ」と感涙しながら肝に銘じ、神慮の恵みに感謝して九拝した。