玉藻前、泰親と問答 #玉藻前が弁舌、衆を驚かす
その頃、帝は泰親の勘文の趣旨を聞いたが「寵愛の深い玉藻前が自分を恨み仇なすはずがない。先帝から朝恩を蒙った坂部右近将監の娘に違いないのだから、疑いようがない」と捨て置いた。
帝の玉藻前への寵愛は以前と変わることはなかったが、病はますます重くなっていった。
安倍泰親はどうしても納得いかず、再び易を取って占うと、最初に占った時と同じように「玉藻前が帝の病の原因である」との結果がはっきりと現れた。
改めて忠実の邸宅に参上した。
「玉藻前を遠ざければ、帝のご病気はたちまち平癒するでしょう」
再び勘文を奉り渡した泰親の忠誠心に忠実は深く感心したので、勘文を受け取って参内した。
再び泰親が勘文の趣旨を奏上して、帝ももう一度勘文を見てそのまま捨て置くことはできなかった。
帝は病に冒されているというのに玉藻前は昼も夜も側を離れず、大臣が奏聞しているときも物陰からこっそりと様子を伺っていた。
奏聞を詳しく聞いていた玉藻前は帝に奏上した。
「泰親殿はまたも謂れのないことを奏上して帝を惑わし、妾のことを妖怪化生と讒言するのは、どんな恨みがあってのことなのでしょう。
もしお許しいただけるなら泰親殿を殿上に召し寄せ、妾自ら問答を行い仔細を尋ねればはっきりすることです。
関白殿下と泰親殿が虚言によって帝を疑わせようとしていることをはっきりさせれば御心も晴れるでしょう。どうか私の願いを聞いて勅免いただけないでしょうか」
帝はもっともなことだと思い、玉藻前の願いを聞き入れた。
「日を決めて、殿上へ泰親を呼べ」
勅定が下された泰親は大いに喜んだ。
「玉藻前の正体を明らかにしよう」
その日が来るのを今か今かと待ったが、ようやく玉藻前と対決する時が来て、殿上に召されることになった。
「御台所の脇門を通って武家口から参上して待っておれ。席は追って知らせる」と命じられた。
これは、公卿方も問答を聞くから、襖の内にいる帝に奏上させようという考えなのだろう。
「君子は其の独りを慎む(君子は人が見ていないところでもその行いを慎むものだ)」とは良い格言だ。
帝は玉藻前の容貌を寵愛を愛し、その寵愛は深い。玉藻前に惑わされて病に臥したので、側にいることができるのだろう。
高貴な身分の者たちは問答の前にそれぞれ口々にささやきあった。
「寵姫を出して泰親と直に問答をさせるのは前代未聞のことだ。
帝の慎みが足らず美人を愛し政務を怠れば、国家に禍いが訪れるだろうに」
泰親はかねてより問答の趣旨を伝えられていたので、武家口から参上して控えていた。
蔵人衆が来て泰親を席に通した。
上の間には御簾があり、前の方を巻き上げて鈎に掛け、後ろの方では襖を引いていた。
横の間には大勢の公卿が官位の順に列座していて、その下には殿上人が位階の順に並んでいた。
階のしたには北面の武士が大勢集まっている様子がよく見えた。
泰親は一間隔てて、末座に平服していた。
給料も少なく官位も低いので、このような席に座るのは前例のないことだった。
長く続いている占いの家系のおかげだろう。
寵妃である玉藻前は頭に宝冠を戴き、宝石を連ねて編んだ装飾品は照り輝いていた。
美しい絹で織られた五つ襲は萌立つ草木のようだ。
数多の女官や女嬬に守られて雲間に浮かぶ月のように現れた。
芙蓉のような眦と緋桃の唇、愛らしい顔立ちは咲きかけの牡丹のようだ。
東風にたなびく青柳のようにたおやかさが相備わり、楊貴妃や西施、我が国の衣通姫や小野小町でも及ばないほどの美しさに皆が見とれて、うわの空になった。
身体から漂う蘭の香りが辺りを包んで、魂も飛ぶ心地で、見とれぬ者はいなかった。
玉藻前は静かに御簾の内の中央の褥に座り、悠然と皇后のように振る舞った。
帝の寵愛が深いの頷ける。
泰親も自然とその威光に屈してひれ伏した。
玉藻前は麗しい声で、
「そなたが泰親殿ですね。
帝の病を患っているところ、卜筮で占った結果私のせいだという勘文を奏上したのはどのようないわれがあってのことなのでしょう」
泰親は頭を上げ、
「日ごとに帝の病が重くなっていると聞いて、その身を案じない臣下はいません。
先祖代々に伝わる易卜の法にで易占を占ったところ、陰獣が帝の徳を覆っているとのことだったので、勘文に記しました。よって、奏聞させていただきました」
玉藻前はこれを聞いて、
「陰獣とは私のことを言っているのですか。
本当に、取るに足らない愚かな言葉です。
そなたにはよく見える目があるというのに、目の見えない人と変わりありません。
人間と獣を見分けるのに、どうして大掛かりに易数を使うのです。
帝の病について説明しましょう。
天には風や雲による変化があり、地にもまた、水や火による変化があります。
天地ですらそうなのです。
人間であれば不治の病や死喪の禍があり、帝でも逃れられません。
無常の風が吹き、命の火が吹き消える。
露のような命もみな定めのある因縁なのです。
身分の高さにかかわらずその時が来れば病を患い、治ることもあればそのまま亡くなることもあるでしょう。
これらは皆、天のみが知っていることです。
それなのに、帝の病は私のせいだとはどのような謂れがあってのことなのでしょう。
易数は河図が発祥であり、洪範は洛書に基づいて未然に吉凶悔吝を知ります。
これはみな天地の理を知って世俗を経つもので、鬼神でも及ばないところを太陽や月のように明らかにします。
それなのに、どうして今日の理に暗いそなたが易数を占えるのです。
なんてお粗末な卜者でしょう」
玉藻前がにっこり笑うと、満員で座っていた公卿・殿上人たちは玉藻の弁舌の爽やかさに感心して、泰親がどう答えるのか固唾を呑んで待っていた。