妖怪

【現代語訳】『絵本三国妖婦伝』より「高陽殿に藻女身より光を放つ」

高陽殿に藻女身より光を放つ #安倍泰親易道の妙を究む

鳥羽院の時代で天仁三年のときに改元があり、天永元年(1110)となった。

同四年正月、帝が元服した。

摂政の藤原忠実を太政大臣とし、その後永久三年(1115)4月28日、忠実を関白に任ぜられた。

鳥羽院と賢臣の政治や教育は素晴らしいものだったので、民衆から讃えられた。

この時、藻女は十七歳になっていた。

花のような顔は美しくしとやかになり、髪は雲のように艶やかできれいだった。

春の月明かりに照らされる夜の桜や芙蓉、夕暮れの海棠でも敵わないだろう。

博学秀才で歌道や楽器、その他諸々の業に精通し、朗らかで心優しく、後宮の一人に過ぎなかった藻女はいつからか帝の寵愛を受けるようになり、寝殿に召されて親密な関係になった。

帝は朝廷に行かなくなり、宮中で酒に耽るさまをみて百官は眉をひそめた。

年月が過ぎて元永三年(1120)3月3日、年中行事として桃花の曲水の宴が行われた。

前年5月28日に皇后が皇子を出産したので、皇后は皇子とともに宴に参加した。

皇子は顕仁親王といって、後の七十五代天皇崇徳院である。

この年は帝から「宴は表向きの儀式のみにして、御内宴については追って知らせる」との勅諚があった。

形だけの儀式が行われたが、皇子は健やかに育ったので、同年秋の終わりに清涼殿に出御した。

公卿・殿上人の拝礼が終わってから高陽殿にて内宴が催された。

出席者には顕仁親王、皇后藤原璋子たまこ、関白藤原忠実、堀川左大臣藤原俊房、久我右大臣源雅実、内大臣藤原忠通とそのほか前官の右大臣と左大臣、当官の大納言三人、詩歌管弦に秀でた公卿や殿上人、高官を大勢招待し、帝の寵愛の深い藻女も出席した。

大勢の官女がお酌を務め、詩歌を詠み、終日宴が行われ管弦による演奏もあった。

季節は秋の終わりで夜空に月が浮かぶのも遅かったが、その空を雲が不気味に覆っていた。

雨が降ると一陣の風が吹き、燈台の火がひとつ残らず吹き消されてしまった。

帝をはじめ皇子と皇后の姿も真っ暗で見えなくなったので、公卿や殿上人は驚き口々に「早く松明をもってこい」と叫んだ。

そんな時、藻女は身体から光を放った。

闇に包まれた高陽殿はたちまち白昼のように照り輝き、杉戸や屏風、襖に描かれた絵までもがはっきりと見えるようになった。

人々は「これはどうしたことだ」とふしぎに思った。

しかし、帝は深く感激した。

「藻女は生まれながらの秀才にして詩歌の才能があり、仏の教えも理解していて心に曇りがないから、このようなこともあるのだろう」といって、その場で「玉」の一字を授けた。

「これからは、玉藻前と名乗りなさい」との詔があったのは本当に幸せなことだ。

居合わせた公卿の中には藻女が身体から光を放ったことを怪しみ帝を諌める者もいた。

しかし、帝の感激が深かったので、今はまだその時ではないから時を待って奏聞しようと思い「並の者ではない玉藻前がご賞美を受けるのももっともだ」とその場を取り繕った。

夜が更けたので、それぞれが暇を賜り、帝をはじめ家に帰った。

このときから、帝は人が変わったようになった。

玉藻前への寵愛はいっそう深まり、肌見放さず側に置いて皇后に会うこともなくなった。

心にかけられていた側室たちも秋の扇のように捨てられ、無念の涙を流し玉藻前を恨んだ。

帝は昼と夜の区別がつかなくなり、三度から五度に渡って物の怪に取り憑かれたのか、狂ったように臥しまろびた。

しばらく病に臥してからは収まったが、顔色は悪くやつれてしまった。

典薬頭が入れ替わり立ち代わり帝の脈を診て薬を配合し、さまざまな医学に基づき霊薬を献じたが効果はなかった。

各地の寺社から高僧を呼んで加持祈祷、大法、秘法をさせても病状は回復しなかった。

この年に改元があり、保安元年(1120)となった。

陰陽博士で天算術の長だった安倍晴明から数えて六代目の孫にあたる安倍泰親という人がいた。

天文亀卜に通じていたが、帝が病が重いことを聞いて心配していた。

そこで、特に勅諚があったわけではなかったが、部屋を掃除して斎戒沐浴を行い卜筮で占ったところ、坎の卦が出た。

坎は水であり、陰気を表す。

「隠れ伏す」との兆しがあった。

人間でいえば憂い、心の病、禍いが多いとし、盗人を象徴している。

次にの卦が出た。

兌は少女、妾、口舌、殷折を表す。

二つの卦を合わせて澤水困の卦となる。

それから変爻が出た。

火天大有を覆い、地火明夷が薄く出た。水山蹇が強く出て、人間の理を離れた異形のものが帝に寄り添っている、というのが占いの答えだった。

泰親は「宮中は八百万の神々に守られているのだから、化生の近づく隙はないはずだ。
だが、占いによれば帝は病に苦しみ、兌澤は尽きて大有の位も傾き覆われようとしているのだ。化生の魔獣はまさしく帝の側にいるにちがいない」と思いを巡らせていた。

そういえば、以前高陽殿で開かれた内宴で玉藻前が身体から光を放ち、闇夜を白昼のように照らしたのは第一の不審な点だ。

しかも、易のとおりであれば彼女こそが帝を苦しめている化生なのだ。

やがて泰親は忠実の邸宅に赴き、易の結果を伝えて勘文を書いて渡した。

忠実はこれを聞いて、

「いかにも、ないとは言えない」

と勘文に書かれていることはもっともだと思い、そのまま参内して機会が訪れるのを待った。

泰親から聞いたことを詳細に奏聞した。

ところが、物陰から聞いていた玉藻前が忠実の前に来て、青ざめた顔で言った。

「私は朝廷の厚いご恩を蒙った右近将行綱の娘です。どうして帝に仇なすことがありましょうか。どんな事情があって泰親殿はこのような事実無根のことを申し上げているのでしょうか」と泣き沈み、忠実を睨んだ。

忠実は何も知らないような顔で挨拶をして退出した。

本当に神国の徳があったので、安倍泰親の計画はうまくいくと思われた。

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