あらすじ
こうして紂王は妲己の色香に惑わされ、比翼の鳥のように語らい、同穴の契りを結んで日増しに恩遇も厚くなり、三千人余りの後宮に通うこともなくなった。
紂王の正皇后は東伯候・姜桓楚の娘で殷郊という太子を産んだが、帝が妲己に惑わされたことを諌めて言い争いになった。
さらに佞臣・費仲の讒言もあって、激怒した紂王によって高台の上から投げ落とされてしまった。
太子は遠くに流されてしまった。
費仲の勧めで紂王は妲己を皇后に立てた。
また、高台を造り広大な花園を開くよう命じ、三年後に完成した。
だが、莫大な費用で国は空虚となり、万民は大いに苦しんだ。
紂王はこの高台を鹿台と名付け、その下に池を開いて酒を湛えた。
一方には糟を重ねて丘とし、一方には林に肉を掛けて、その間に酒盛りを設けて楽しんだ。
これを「酒池肉林」という。
妲己は人を殺めることを好み、新しい刑罰の項目を作った。
銅の柱を鋳造させて内側に炭を入れて燃やし、外側に脂膏を塗る。
裸にした人にこの柱を抱かせると、皮や肉は尽く爛れて骨も砕けてたちまち灰となる。
これを炮烙の刑という。
また、五寸余りの穴を掘ってその中に蛇・百足・蜂などを入れる。
女を捕えて裸にして穴へ投げ入れれば、虫に皮肉を噛み砕かれて苦しむのはいうまでもない。
これを蠆盆の刑という。
妲己は紂王とともにこれらの刑罰を見て、手を叩いて笑った。
その顔は、春の雨を浴びる桃李のようだった。
紂王もまた、妲己の笑った顔を好んで人を殺めて楽しんだ。
百官有司から下々の民に至るまで紂王を怒り恨んだが、処刑されるのを恐れて何も言えなかった。
皆、国の行く先を危ぶむばかりであった。
妲己はまた、胎内の子供の性別を知ることができた。
紂王は本当かどうか確かめるため、試しに妊婦の腹を開いて見るように勧めた。
妲己がたちまち十人余りの妊婦を捕えさせ、尽くその腹を裂いてみると妲己の言った通りの性別だった。
二人はともに手を叩いて笑い楽しんだ。
こうした横行非道は日に日に増していったので、今では天も怒り人も罵って、生きている紂王と妲己が肉を食いちぎられるような目に遭うことを願った。
紂王の父・帝乙には三人の息子がいた。
長男を微子啓、次男を微仲衍という。
どちらも側室の子だが、賢い者である。
三人目の息子・帝辛は正皇后の生んだ子だったので、兄を越えて帝位を継いだ。これが紂王である。
また、紂王の叔父である比干や箕子などの賢臣はこの事態を深く憂えて、諸臣を率いて紂王のもとへ出仕した。
「そもそもご先祖の湯王は聖人で、夏王朝に代わって国を興しました。しかし、今の王の悪行を見ていると、桀王のように国を失うのは遠くないでしょう」と諌めたが、紂王は少しも聞き入れなかった。
西伯侯も言葉を尽くして諌めたが、妲己は紂王に勧めて彼を捕えさせた。
そもそも西伯侯姫昌とは、先帝后稷から数えて十五代目の子孫である。
彼は伏羲の生み出した八卦を押し広めた聖人で、岐州に住み西方諸侯を束ねていたので西伯と呼ばれた。
臣下には太顛・閎夭・散宜生などの賢人が多くいて、百姓を自分の子のように憐れみ、仁恵は天下に聞こえ国は富み、豊かになった。
紂王は西伯に怒ったが、聖人であるため民にの反乱を恐れて処刑するには忍びず、獄中に囚えた。
六、七年後、西伯の長男・伯邑考はこれを嘆き悲しんで都へ赴いた。
「我が父は西方の伯として諸侯からその仁徳を評価されておりましたが、大王の命に背いて囚えられてしまいました。
ここ数年、父の苦しみを思うと心に忍びありませんでした。
願わくば、私が父の代わりに囚われて父を国へ帰らせてもらえたら、広大なお恵みをいただけたことに感謝して、たとえ死んでしまったとしても恨むことはありません」
と嘆き訴えた。
紂王は妲己に「この者は忠孝の士だ、西伯を赦して国へ帰そう」と聞いた。
妲己は「彼は琴の名手と聞いております。妾はその音を聞いてみたいと思います。試しに一曲演奏させて、その後お父上を赦してあげましょう」と伯邑考に琴を与え、一曲演奏するように言った。
伯邑考は「父母に不幸があるときは琴を奏でません。今、我が父が囚われの身であるために遥々来てこのように願い訴えているというのに、どうして琴を演奏することができましょう」と断った。
しかし、紂王が「皇后がそなたの雅曲を聞きたいと欲し、辞退しなければ父を解放して国に帰すと言っているのだぞ。今辞退するのは父のために悪かろう」と言ったので、伯邑考は仕方なく琴を引き寄せ、紂王を諫める心を奏でた。
「明君は徳を敷き仁を行う」というが、いまだ紂王からにそのような心は感じられない。
重い剣を煩わせる刑を行い、炮烙の刑は盛んで肋骨は砕け、惨たらしい蠆盆の刑は肺腑を疼かせる。万民の精血で酒池が湛えられ、百姓の脂膏は肉林に掛けられる。
民は富を奪われ、高くそびえる鹿台に財が満ちる。百姓の鎌と鋤は折れたというのに、紂王の鋸橋には粟が充ちている。
私は明王が讒言に惑わされず淫楽に耽ることをやめ、天下に平穏が訪れることを願っている。
曲を聞き終えた妲己は「この歌は今の政治を批判し、あなたを諌めています。早く鉄を加えましょう」と伯邑考を嘲った。
伯邑考は妲己の顔に唾を吐き、「お前は王を惑わしてたくさんの悪行を為し、我が父を苦しめ、また私も殺そうとしている。私は父のためなら命は惜しまない。惜しむべきは湯王から二十八代に渡って続いた天下が、そう遠くない未来に滅んでしまうことだ」と罵った。
伯邑考は目の前にあった琴を取って妲己に投げつけたが、妲己はすばやく身を翻して逃げていった。
紂王は大いに怒り、臣下に命じて伯邑考を斬らせた。
その時、妲己が「聖人と名高い西伯に、伯邑考の肉を食べさせて息子に肉だと分かるかどうか試してみましょう」と言った。
「伯邑考の肉を塩漬けにして西伯に与え、息子の肉だと悟って食べなければ先智の聖人ですから、死罪にしましょう。知らずに食べてしまったならば凡人と変わりありませんから、赦して国に帰してあげましょう」
紂王はその言葉に従って伯邑考の肉を塩漬けにし、使者を羹里の囚獄に遣わして西伯に与えた。
西伯は、国を出発するときに易占っで七年に渡る厄年があることを知った。
それゆえ、たとえ都で自分の身に何が起こっても厄年が終わるまでは天命なのだから驚いてはならないと、深く自分に言い聞かせていた。
だが、息子の伯邑考は父の苦しみを聞いて堪えられず、都に赴いて災難が降り掛かってしまった。
この時、西伯は囚われの身であるゆえに終日易や卦を行っていた。
ある日、怪しげな鳥が飛んできて庭で鳴いていたので、不思議に思って卦で占うと、長男を失うという兆しが現れた。
西伯は伯邑考が父の罪を償おうと都に来たことを知った。
妲己の謀に陥れられてはいないだろうかと黙然と息子の身を案じていたところへ、紂王の使者が来た。
「勅命により数年間籠居させていたが、近々お前を赦して国へ帰してやるから、まずはこれを食べて鬱憤を晴らせ」と言われて、西伯は一個の肉を賜った。
我が子の肉だと分かったが、自分を試す罠だと察した西伯は塩漬けにされた肉を食らい尽くし、感謝を述べて使者を返した。
紂王はついに西伯を赦した。
岐州から十人の美女と錦が紂王に献上され、西伯は厄を終えた。
苦しい年月を想って散宜生などの賢臣たちが計ったもので、紂王は大いに喜んだ。
紂王は西伯を呼び出し、「お前は西方の伯として徳政を行った。それゆえ殺すにはもったいない。すでに七年もの間ここに留まっていたのだから、国に帰してやろう。ただし、私に従わなければお前の国を征伐することを覚えておけ」
西伯は白旗と黄鉾を授かり、恩義を述べて岐州に帰ってきたので、君臣らも安堵した。
西伯は伯邑考の死を嘆き悲しんだ。
それから以前にも増して限りない徳政を施し、国を豊かに治めた。
殷の民は紂王の無道を恨み怒り、岐州に走り入って西伯に従うものは日毎に増えていった。
その数はついに天下三分の二にまで膨らみ、自然と強大な勢力となった。