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内容
関白公は久しぶりに晴明と顔を合わせ、たった三年間で壮年の男になった理由を問うと、晴明は箱を開いて大人になるまでのいきさつを説明した。
関白公は晴明の帰朝を喜び、紫宸殿の内侍所にて神楽を奏した。
これ幸いと思った橘元方は神前の神酒を金銀の土器に移し、小侍従という齢二十九ばかりの官女に持たせて出て行かせた。
元方は晴明に内侍所の神酒を勧めた。
「三年の間に立派な大人の男になったのだから、妻を設けて家の繁栄を祝せよとのご沙汰を承った。
幸いにも、この小侍従は以前からそなたに思いを寄せていたのだ。お主の成長を祝うこの神酒を以て夫婦婚姻の盃としようではないか」
晴明はかたじけなく思いながらも、師に言われた三つの戒めを思い出した。
「関白公のお気持ちはありがたいのですが、このようなお取りなしは身に余り忝ない次第に存じます。
しかしながら、私が入唐いたしましたのは暦道を興すためであり、城刑山のお師匠さまから三つのことを禁じられました。
第一は禁酒、第二は女犯、第三は争論。
ですが、今この場で第一と第二の禁をたちまちに破ってしまったことを深く後悔しましたので、我が願いが成就するまではご遠慮させていただきたい」
「そなたが師と頼みにしたのが唐土の沙門ならばそれももっともなことであろう。女犯を禁ずるのは沙門の習いだからな。
だが、我が国は神国にて伊弉諾・伊弉冊の時代から続いてきた夫婦の道において、どうしてこれを捨てられようか。
また、禁酒も沙門の道ゆえにもっともなことだ。しかし、神国である我が国では神に神酒を奉る。
まして内侍所の神鏡でさえ神酒を奉るのだ。どうして頂戴しないことがあろうか。
そなたがしばらく唐土にいる間、法師の道を尊び我が神国の道を忘れしまったのではないか。
これは関白公の命令である。この元方が小侍従との仲を取り持とう」
晴明は思案した。
師匠から禁じられたとはいえ、こうなっては為す術もない。
三禁を破れば災難が訪れるだろう。これもまた天命だ。
私の命は惜しむようなものではないが、暦道の願いを成就できないのは悲しいことだ。
生まれ変わってでも暦道を興してみせよう。
晴明は観念し、城刑山の方を見て「師匠、どうか私を見捨てないでください」と誓いを立てた。
晴明は元方に向かって言った。
「関白公のご命令で神鏡の神酒を賜ったのですから、背くわけにはまいりません」
晴明は土器を取って飲み干すと、甘露のような味が体に染み渡って、たちまち心がぼうっとしてきた。
元方は機嫌よく「見事だぞ、晴明。もう一杯飲め」と勧める。
晴明は是非もなく三献飲み干して、土器を置いた。
小侍従との夫婦婚姻の盃が済むやいなや、晴明は前後朦朧としながら紫宸殿の渡りに出て、とうとう夫婦の契りを交わしてしまった。
元方はうち笑い、日が暮れると芦屋道満を呼んだ。
晴明には供奉の者がいなかったので、元方の家来に送られて一条大路の屋敷へ帰ることになった。
ところが、一条小橋のほとりまで来たところで、晴明は人知れず殺められてしまった。
元方の深い企みによるものである。
その後、城刑山の頂の文殊堂が原因不明の火災に遭った。
伯道上人は晴明の身に災難が降りかかったことを悟り、泰山府君の法を行ったところ、晴明の墓が映し出された。
伯道は一字金輪の法を行い、急いで日本へ飛んでいった。
行脚の僧の姿をとった伯道上人は洛中を探し回り、一条小橋の下にできてから間もないであろう墓を見つけた。
伯道が通りかかった人に尋ねると、帰朝して人知れず殺められた安倍晴明の亡骸を埋めて墓としたという。
その夜中、伯道は墓を掘り起こして白骨となった晴明の骸を集めて生活続命の法を行い、蘇生させた。
その後、伯道は晴明が住んでいた家へ向かった。
弟子の道満が出てきて「晴明は人知れず殺められたゆえ、一条小橋の下に埋められております」と言うので、伯道は晴明に逢ったと言って道満と言い争った。
ついには晴明が現れ、道満を殺めたという。
一説によると、道満は伯道と命がけの論争を為したが、負けて殺められようとしたとき、播州法華山の法道仙人が白雲に乗って現れた。
法道仙人は伯道に向かって言った。
「あなたが弟子の晴明を憐れんだように、私もまた弟子の道満を見捨てられませぬ。
どうか、私に道満の命を預けてくれないでしょうか」
伯道上人は感悦し、道満を許して法道仙人に預けた。
法道仙人は道満が図らずも橘元方の企みに加担したことを戒め、晴明と道満は二人で内裏を守護し、悪を改めて善を修することになった。