資料室 文学

泉州信田白狐伝 現代語訳 巻三 安倍童子と芦屋道満の対決

あらすじ

夢のような一夜を経て堺の浜辺に帰ってくると、辺りの景色は以前とはだいぶ違って見えた。

故郷安倍野の家へ帰ると、父保名は年老いて白髪交じりの出で立ちで現れた。

「息子か」と喜びの涙を浮かべながらも、不審そうにしていた。

「いったい何があったのですか。私は、昨日住吉の祭礼に参り、思いがけず竜宮に至り今日帰ってきたのです。
ところが、父上は年老いて辺りの景色も様変わりしておりました。なぜですか」

父は涙を押さえながら、
「お前の母上はただ人ではないゆえに、年を取らないのも道理だろう。
しかしながら、変わり果てた世の中を落ち着いて受け止めよ。
お前が住吉の祭礼に行ったのは九年前の天暦八年(954)の六月だったが、今は年号も変わり応和元年(961)の春を迎えた。
お前が住吉で入水したと聞いたときの父の悲しさは、他に例えようがないほどだった。
継母の葛子は狂ったように嘆き悲しんでいた。
自らが帰ってきたせいで親子の悲しき別れを見ながらも、何とか童子を立派に育てて母の白狐に喜んでもらおうと思っていたのに、こんなことになってしまった。
人ならぬものでさえ義理を立てて姿を隠したのに、継子だからといって子育てを疎かにして死なせてしまったなど、実の母には見せられない、恥ずかしや、悲しや……。
それが病の種となり、とうとう亡くなってしまった。舅の保憲公も老衰で亡くなり、残ったのは私だけになった。

いっそ死のうかと考えたが、心に籠めた大願が空しくなるのも口惜しかった。
そんな時、お前が船に乗って行方知らずになったという噂を聞いた。
大元尊神のご加護のためなら命も惜しまぬと思っていたが、こうして生きながらえてまた会えたのもふしぎなものよ」

保名は童子の帰りを喜びつつ、涙を流していた。

「私はたまたま亀を助けて竜宮に入り一夜を過ごしたと思っておりましたが、地上では九年もの年月が過ぎていたのですね。
竜王から齢を畳む箱を賜り、龍仙の宝珠を賜りました。
どうかこれらの宝を以て、父上の本願を達成しましょう」

「何よりも残念なのは、先祖の家を興そうと思っていたのに何もできずに老いぼれてしまったことだ。
去年(天徳四年)の九月二十四日に内裏が悉く燃えて、その造営が成就したということで帝が内裏にお移りになった。
その夜、後涼殿での地震が治まらず、あらゆる寺や神社仏閣が祈祷したが、顕密の大法の力をもってしても地震を鎮めることはできなかった。
そこで陰陽頭を召して占わせたところ、此度の地震は天災によるものということだったので、播磨国印南いなみの郷の優れた天文者が橘元方公に取り次がれて都へ上ってきてひたすら祈祷した。

この者は芦屋祝部清太の子芦屋道満といって、またの名を道摩法師という。
乱れ髪の僧だが、久しく法華山で法道仙人の妙術を会得して道摩と名乗っている。

もし道満が此度の地震を鎮めれば天下の陰陽頭となり、私は日陰の紅葉となって枯れ果てるだろう。悲しいことだ」

保名がそう言って嘆くのを童子は静かに聞いていたが、すっくと立ち上がって、

「父上の家名を興すのは今でございます。
私は兼ねてより父の教えを受け、その上に竜宮で奇妙な仙丸を得たのですから、早速都に至って道満に祈り勝ち、天下の天文陰陽頭となって家名を上げてみせましょう。
そうすれば、父上も心安らかになりましょう」と勇み進み、都へ上っていった。

童子は四天王寺の山門に着いたところで聖徳太子に祈願し、山門の礎でしばらく休んでいた。
すると、東西から二羽の烏が飛んできた。
童子が心を澄ますと、人がものを言うかのように烏が喋っているのが聞こえてきた。

「そなたはどこからきて、どこへ行くのだ」
「我は都から来た烏で、これから紀州の熊野へ行くところだ。
さて、都では火災があって造営したところ、毎晩地震が起こるので、禁裡守護の三十六社を初め神明の加護を祈ったが効験はなく、仏法では南都北嶺真言天台顕密教の僧が祈祷したが、効果は顕れなかった。本山当山の修験者が祈祷しても効果はなかった。
そうしているうちに、とうとう帝がご病気になったそうだ」

「神の効験も仏法の威力も尽きてしまったとは、いったい何が起こっているのだ」

「彼の人の祟りではないだろうか」

「彼の人の祟りならば、致し方ない。
神仏ともにかの人に慈愛の心をおかけになっているのだろう」

「彼の人」とは、誰のことだろう。
童子は耳をそばだてて聞いていると、熊野の烏が話し始めた。

「どうすれば、地震は止むのだろう」

「後涼殿の乾の角の柱にいる青い蛇と大きな蛙を取って鴨川へ流し、彼の人の霊魂を厚く祀ればたちまち止むだろう」

このとき、童子は「彼の人」が菅丞相(菅原道真)の霊魂だと悟った。

その頃、都では芦屋道満が陰陽道の術を以て地震を治めようとしたが、かえって震動が激しくなった。
卿相雲客は驚き、内裏の内外は言うまでもなく、洛中洛外の町家まで門を固く閉ざした。

ある時、童子は参内に向かう途中の右大弁元方卿に遭遇した。
元方は待てと声をかけたが、祖父保憲卿の恨みから童子は聞こえぬふりをして通り過ぎた。

「痴れ者め」元方は声高に「用がある、待て」と童子を呼んだ。
童子が「用があるならばそちらからおいでください」と帰ろうとすると、元方は輿を近づけてきた。

「己の名は何と言う」
童子は黙って答えなかった。

「己の名は何と言う」元方がしつこく聞いてきたので、童子は笑って
「『己』とは自分を指す言葉でしょう。貴方様のお名前はご自分でわかっているのではないですか。私は知りませぬ」と答えた。
すると、元方が「お前の名は」と聞いたので、童子は「竜宮童子と申します」と答えた。

「奇怪な名前だな。お前に親はいるのか」

「親がなくて子ができましょうか。今は両親ともにいませんが、昔は父がいて、母はおりませんでした」

「死んだのか」

「いいえ、ですが母はいなかったのです」と言葉にしたとき、母と生き別れになったことが思い出されて、涙が出そうになった。

元方公が此度の地震はどこが震源か問うと、童子は後涼殿の乾の角の柱の下と答えた。
芦屋道満が一日一夜考えて占ったことをたった一言で答えたので、元方は奇妙に思った。

道満は生類によって地震が起こっていると占ったが、生類の形まで指し示すことはできなかった。
ならば、これについて問うてみよう。

元方が柱の下の有様はどのようなものか問うと、童子は青色の大蛇が大蛙を追いかけていると答えた。

只者ではないと思った元方は、詮議を開くので明朝参内するよう童子に言いつけた。

その後、元方は密かに道満を召して童子が言っていたことを伝えた。

「今宵、密かにかの生類を掘り出して鴨川へ流そうと思うのだが、どうだろうか」
道満は手を組んで思案を巡らし、
「今、この国で私に勝る陰陽者がいるとは思えませぬ。
私は播磨の辺土に生まれましたが、どうにかして天文陰陽の道を究めようと法華山に登り、法道仙人へ仕え『道』の一字を賜り道満と名乗りました。
此度の怪異について天変とは申しましたが、地怪とまではわかりませんでした。
しかし、件の童子が左様に詳しいとは、もしや安倍保名の子ではないでしょうか。
白狐の神通力を得ているがゆえにわかったのでしょう。
先年住吉にて入水したと聞いておりましたが、実は生きていたそうです。まったく怪しいものよ」

一方、安倍童子は参議小野好古方へ帰り、毎日洛中洛外の様子を窺っていたところ、今日元方公に出逢い、明朝内裏へ来るように言われたと伝えた。
好古は早朝に童子を連れて行くと言った。

第六十二代村上天皇の応和年中、禁庭にて芦屋道満と安倍童子の対決が始まった。

まず、道満が白洲の石を四つ五つ取り、呪文を唱えて燕の姿に変えると、燕は鋭い羽音を立てながら飛び回った。
そこへ、安倍童子が指を三度弾いたところ、燕は元の石に戻って空から落ちた。

皆が両人の術に感嘆していたとき、童子は竹を取って白洲に凹みを作り、そこへ水を溜めて呪文を唱えた。
すると、水が次第に湧き出て、ついには白洲が水浸しになった。
水は階下にも溢れて、殿上も水浸しになり、いつの間にか洛中洛外外一面水で溢れて、上は一条今出川、下は九条荒神口末白川まで水浸しになった。
鴨川や木津川、淀川も大洪水になるかと思うほどだった。

しかし、道満が手をたたくと、水は一瞬で消えた。

次は占卜の術で対決することになった。

「箱の中にみかんが十五個入っている。一人は箱に何が入っているか占い、もう一人は柑子の数を指し示せ」というものだった。

道満がしばらく考えて「箱の中身は柑類で、数は十五でしょう」と申し上げると、童子が進み出て「数は十五で、中身は生類です。鼠やいたちでしょうか。よもや、馬ではないでしょうな」と笑いまじりに言った。

元方は童子が箱の中身を見誤ったと思い、好古は気の毒そうに童子を見てよくよく考えるように言ったが、童子が少しも動揺せず生類に違いないというので、箱のふたを開けた。

すると、なんということであろうか、箱の中から鼠が十五匹飛び出してきた。

最前で待ち受けていた童子が竹の杖で追い回すと、鼠は四方へ散り散りに逃げていった。

その場にいた人々はみな感嘆した。

元方は不本意な様子であったが、道満は感じ入り「この童子はまことに人間離れしたことをするなあ。私の術では及ばぬ。弟子にしていただけないだろうか」と童子を讃えた。

元方が「お前は三十二歳余りにもなって、わずか十一の童子を師と頼むとはどういうことだ」と言うと、道満は「この童子は只者にあらず、正しく摂州阿倍野保名の子です。そうでなければ、このような奇術はできませぬ。この方はすでに二十歳位の年齢でしょう。今、子供の外見をしているのは母親が白狐の身であるゆえでしょうか。始めは占い違いのように見えましたが、童子のすることは奇妙です」と申した。

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