説話

泉州信田白狐伝 巻二 現代語訳 安倍童子、竜宮城へ招かれる

あらすじ

原文

童子はや十歳の夏の頃、六十二代村上の帝天暦八年甲寅六月晦日、堺住吉の祭礼例年の如く堺の浜辺にぎやかに子供集まりて一つの亀を殺さんとす時に、安倍の童子も立ち寄って見れば、亀は黄なる泪をこぼし手を合わせたる風情にて、助けてくれよと言わんばかりの悲を見るに忍びず、子供に是れをもらえども與えざるゆえ、是非なくその日着たる新しき単の衣に替えて亀を助け、その身は丸裸にて海辺に遊ぶ外の子供が曰くあれは安倍野の貧乏者の子なり、母はコンコン、それゆえ四足を助けたと笑ふて友にせざれも、童子少しも恥じず。
然るに、海の上に船祭あるを見たく思う折節、翁船に乗れと言うを悦び乗りて八重の潮路を行くほどに、日も暮れて海漫々と雲の浪を押し分けて終に竜宮城に至る。
龍王近く召して、いかに汝今日我が姫の命を助く、よってここに召すと種々の珍味を賜り、金殿玉楼もとより人間の類に非ざれば言うなし。斯くて帰るに及んで敷品珍宝人間界に持ち帰るも、終には滅して宝とならずとて、龍仙丸という青二粒左右の耳に入れたまひ、汝人間界に帰らば必ず鳥語に達すべし、これを以て奇特を現しなば一生安穏ならんと。また、四寸四方の筥を賜う。汝これを開くことなかれ、汝が齢を封ず、開かば必ず災難あるべしと終に船に乗りて帰るとは夢が現か。

詳にいわく、神代彦火火出見尊竜城にいたりたまひしは、豊玉姫に縁なる神変はかるべからず。また、丹波国水上の浦島が子亀をたすけ竜宮にいたるとは、何の益ありや。玉手筥に七載を封じて七世の孫に逢うと言うのも、今武州川崎神奈川の間にも石碑あり、所々に旧跡あり。
今、晴明が竜宮渡りはせ子ばならぬ道理あり。晴明朝臣撰ぶ所の簠簋に、南海の竜女を勧請す曰く、暦の中心三鏡はみな竜女なり。歳徳神も竜女なり思いて知るべし、詳しくは予が暦談或問に弁ず、ここに略す。

情節

童子が十歳の夏、第六十二代村上天皇の御代、天暦八年(954)六月の終わりに、例年通り住吉大社の祭礼が催された。
堺の浜辺では子供たちが集まって騒いでおり、一匹の亀を虐めていた。

ちょうどその時、安倍童子がそこへ通りかかって見ると、亀は黄色い涙をこぼして「助けて」と手を合わせているような眼差しだった。
童子は着ていた単衣と引き換えに亀を助け、自分は丸裸になってしまった。
海辺で遊んでいた子供たちは「あれば安倍野の貧乏者の子供ではないか。母は狐だから四足の亀を助けたのだ」と嘲笑ったが、童子は少しも恥じなかった。

童子が海の上で開かれている船祭を見たいと思っていると、翁に「船に乗れ」と言われたので喜んで乗った。
八重の汐路を渡ること一日、船は漫々と海面の波を押し分けて竜宮城にたどり着いた。

龍王は童子を近くに召寄せ「今日、そなたは我が姫の命を救ってくれたので、ここに招いたのだ」と言って、童子は褒美として種々の珍味を賜った。
童子が地上に帰ってくると竜宮で賜った宝物はみな消えてしまったが、龍仙丸という宝珠だけは残っていた。

「この二粒を両耳にはめて人間界に帰れば、鳥の言葉を理解できるようになる。この宝珠を以て世にさまざまな奇特を現せば、そなたは一生穏やかに過ごせるだろう。
それから、そなたに四寸四方の箱を授けるが、これを開けてはならぬ。もし、この箱を開けたならば、必ず災難が起こるだろう」

童子は夢心地で地上に帰ってきた。


神代において、彦火々出見尊が竜宮城に至ったのは豊玉姫に縁があったからである。

また、丹波国の浦島太郎も子亀を助けて竜宮に至った。

今、晴明が竜宮に渡ったのには理由がある。

彼が編纂した簠簋には、「暦の中心にいる三鏡はみな竜女である。歳徳神も竜女である」と記されているのだ。

補足解説

住吉大社

現・大阪府大阪市住吉区。

安倍童子の年齢

安倍童子が十歳になった年は天暦八年(954)となっているが、安倍晴明は延喜二十一年(921)生まれである。

虐められていた亀

『安倍保名:連夜説教』も虐められていたのは亀である。なお、『簠簋抄』『安倍晴明物語』では亀ではなく小蛇となっている。

八重の潮路

とても長い海路。

龍仙丸

『簠簋抄』『安倍保名:連夜説教』においても、鳥の言葉を理解できる宝珠として竜王から賜っている。

簠簋抄安倍童子竜宮に招かれる
安倍保名連夜説教第八席

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