説話

泉州信田白狐伝 現代語訳 巻一 あらすじ

あらすじ

近隣の人が何となく言ったのは、「この人は、昔安部野の領主で第四十四代元正げんしょう天皇の霊亀年間に入唐した安部仲麿の子・満月丸の子孫ではないだろうか。仲麿は唐で亡くなり家も滅びて、満月丸も流浪の身となったが、今ここにいる人こそまさしくその子孫にちがいない。世の中には稀有な人がいるものだ」と言って、希名と名付けた。

ある時、希名は目標もなくだらだらと暮らしていては先祖に申し訳が立たないと思って、何とか有名になって家を興そうと決意した。
とはいえ、結婚もしていなかったので、神様になんとかしてもらおうと祈っていた。

ある時、夢想によって泉州信太の森の信田大明神のもとへ百日間参詣し、祈誓した。
明神から「家を興して家名を末代まで遺したいと思うのなら、賀茂保憲のもとを訪れて陰陽卜筮の道を習うのだ」とお告げがあった。
早速都に至り、賀茂保憲に会って弟子入りを志願した。

信田の森は楠の森で、今は小さな祠がある。
白狐がいることから、稲荷などの繁盛神が多くいるといわれている。

賀茂保憲は大祖皇太神宮の神職で、元正天皇に仕えた吉備大臣の子孫で神祇官として敬われ、一人の娘を設けたが、妻には先立たれてしまった。
大切に育てた娘が早くも十六歳の春を迎えたので、保憲は立派な家柄の婿に嫁いで家を譲ろうと考えていた。
また、保憲の娘はとても美しく優しい性格だったので、掌中の玉のように可愛がっていた。

ある晩、保憲はふしぎな夢を見た。
「今日、津の国安部野から天文道を習いに来る者がいる。この者こそ、お前の術法を受け継ぐ者だ。余すところなく教えよ。卑しい見た目をしているからといって、怪しんではならぬ」
保憲がふしぎに思っていると、親孝行な娘葛子かつらこはいつものように朝早くから宮仕えをするために父の前にきて、今朝ふしぎな夢を見たと話した。
保憲は「父も今晩ふしぎな夢を見たのだ。どのような夢であったか、そなたから話しなさい」と言うので、娘は恥ずかしそうに話し始めた。

「今朝、誰かが枕元に立って葛子へ『今日、摂州安部野からお前の父保憲の弟子になろうと望む者が来る。この者は、お前の未来の夫だ。夫の姿が卑しいからといって、怪しんではならぬ』と言いました」

保憲は手を叩いて、
「私も同じ夢を見た。だが、夢が現実になるまでは召使いにも話さないでおこう」と父娘ともに待っているとは夢にも知らず、安部希名はぼろぼろの着物を着て、ちぎれた草履を履き、笠も破れて、ただ神のお告げに従い保憲のもとへ向かっていた。
その姿は、まるで秋の案山子のようだった。
立派な保憲の館へ入ろうとしたところで、自分の身なりを恥ずかしく思った希名が台所を覗き込むと、下部が乞食ではないかと大笑いしていたので、希名は「乞食ではない。理由あって摂州安部野から上ってきた者だ。保憲様に会いに来た」と言うので、下部も大いに笑った。
下部が「そんなみすぼらしい格好をしている者が旦那様に会いたいなど、無礼者め」と言って打とうとしてきたので、希名はやむなく門前まで引き返した。

保憲に会えなければ自分の願いは叶わないが、こんな姿では会えないのではないかと希名がしばらく涙に暮れていると、話しを聞きつけた葛子が自ら希名を迎えに行って保憲のもとへ連れて行った。

希名は夢のような心地で保憲と対面し、師弟の関係になった。

摂州から保憲のもとへ通った一年の間に、希名は天文陰陽の道に関するあらゆることを学んだ。

ある時、希名がいつものように保憲のもとへ通って来ると部屋に招かれた。
保憲は「そなたは神勅によってここに至り、私に天文陰陽の道を習った。私もまた、父娘ともに夢のお告げがあってそなたに余すところなくこの道を教えた。だが、いまだ我が家に秘蔵している神霊を教えていない。
今日、この神霊をそなたに見せて奥義を授ける。慎んで受けよ。

そもそも、我が家は第四十二代元正天皇に仕えて養老年間に入唐し、漢土に美名を顕した吉備大臣の末孫である。
第四十七代孝謙天皇の御代に初めて賀茂の姓を賜ってから賀茂を名乗り、幸いにも鴨尊神の神官となった。
先祖吉備大臣が入唐したのは先の遣唐使阿倍仲麻呂が唐で亡くなったからである。
仲麻呂は、命に替えた『簠簋内伝金烏玉兎集』という秘書を遺していた。
唐の玄宗皇帝は仲麻呂を深く惜しみ、この書を仲麻呂の子満月丸に渡して安倍家を再興させようと彼のもとを訪ねたが、満月丸は行方知れず安倍家は廃れていたので、為す術もなく吉備公の家に伝えたのだ。
今まで私はこの書を誰にも見せたことがない。なぜなら、この書には荼枳尼天の法が記されており、北辰を祀るものであるからだ。もし、人間あるいは野狐がこの法術を会得したならば、神通力を自在に操れるようになる。
だから、野狐に奪われないようにこの書を隠しておいたのだ。
昔からこの法術を伝えた者はなく、私も知らない。それを今日そなたに授ける」

そこは、七宝で飾られた荘厳な宮殿のようだった。
言葉では表せないほどの美しさで、中心には金でできた額が掛けられていた。
希名は大いに喜び、保憲と親子の盃を交わし、葛子も呼んで夫婦婚姻の盃を交わした。
そして、保憲は自分の「保」の一字を希名に譲り、「保名」と名を改めさせた。

帰郷した保名は信太大明神の神恩に感謝して、早速泉州信田の社に参詣した。
秋の涼しい夜に月が澄み渡る物寂しさに浸っていると、遠くから鐘の音と数十人の人の音が聞こえてきた。
ふしぎに思った保名が拝殿を出ると、白狐に出逢った。
野狐ですら人間を恐れて身を隠すのに、白狐であれば唐では妖といわれているのだからなおさらだ。
我が国では稲女御前といって、宇迦御魂の神使で頭には玉を戴き、尾には宝珠を納め、恩を知り仇を報いる霊獣であり、常に北斗星を祀り死する時は必ず北を枕として北辰を後ろにすることはない。
そのような存在が、どうしてここに現れたのだろう。きっと急難に遭っているにちがいない。神変不思議の通力を持ってさえ叶わぬときは人を頼るとは、不憫なものよ。

保名が庭に飛び降りて狐を抱き上げると、狐は耳を垂れて尾を伏せ大人しくしていた。
保名は狐狩りに来ている者がいるのだと思い、狐を神殿の下に隠した。

程なくして来た男は、保名を見て「こんな夜更けに何をしている」と咎めた。
保名は笑って「私は神職の家の子で、この宮の番人をしている。お主こそ、どうして夜中にここへ来たのだ」と言い返した。
男は櫻本ノ宮の臣下右大将橘元方の家来で、古狐を狩って主人に献上するのだという。
保名は「ちょうど今、その狐が薄の下から出てきたので追いかけていったところ向こうの野原に逃げていった」と言って、何の思慮もないこの者は保名の言った方へ狐を追いかけていった。

男を見送ってから、保名は神殿の下からこっそり隠しておいた狐を出して、明け方に後ろの森に逃した。
白狐は黄色い涙を流し、何も言わず保名の方を三度振り返って頭を下げ、蘭や菊の花の奥深くに隠れていった。

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