天文密奏とは、天文・気象に異常が見られた際に天文博士が状況と吉凶を占った結果を天皇に奏上することである。
一条天皇時代
大雨
- 長徳四年(998)9月1日、大雨によって鴨川が決壊し、京中が海のように水浸しになった。(『権記』)
- 長保二年(1000)4月7日甲寅の未の刻、大雨が降った。(『権記』)
- 同年8月16日庚申、大雨によって鴨川が決壊し、都が浸水した。道長の邸宅は海のように水が溢れていた。(『権記』)
- 寛弘元年(1004)8月24日丙子、一日中雨が降った。6月10日以来降っていなかった。(『御堂関白記』)
雷
- 長徳元年(995)10月17日、一条天皇は右大将に前日の雷について御卜を奉仕するよう命じさせたが、天文道が変異勘文を提出してきた。安倍晴明曰く、先に天文勘文を提出した場合、御卜は行わなかったということだったので、御卜は取りやめになった。(『権記』)
- 長徳三年(997)11月9日庚午の未の刻、大雨と雷鳴があり、藤原実資は怪異ではないかと思った。(『小右記』)
- 長徳四年(998)9月23日亥の刻、大きな雷鳴が一度だけあった。(『権記』)
- 長保二年(1000)4月7日甲寅の未の刻、大雨と大雷があった。(『権記』)
- 寛弘七年(1010)6月6日癸丑、雷が数回鳴ったので、雷鳴陣を立てた。(『御堂関白記』)
地震
天文録曰く、民が憂えていると地震が起こる。
『京房妖占』によると、春に地震が起こると、その一年は栄えない。
『天地瑞祥志』によると、二月に地震が起こると、三十日以内に戦が起こる。また、月が奎宿を通過しているときに地震が起こると、国土に損害を及ぼすほどの争いが起こる。
『内論』によると、月が奎宿を通過している時に地震が起こるのは、干ばつが起きる。天子や大臣にとってよくない。
『雑災異占』によると、女官に喪があり、飢饉が起きる。
『東方朔占』によると、二月に地震が起こると、大きな喪がある。
- 長徳三年(997)5月21日亥の刻、地震があった。(『権記』)
- 長徳四年(998)10月1日未の刻、地震があった。→後に安倍吉昌が天文密奏を行った。(『権記』同年10月3日条)
- 同年10月3日戌の刻、大きな地震があった。(『権記』)
- 寛弘三年(1006)2月2日乙亥、辰の刻に地震があった。(『権記』同年2月3日条)
太陽の異変
- 長徳四年(998)10月1日午の刻、日蝕があった。(『権記』)
- 長保二年(1000)2月23日辛未の夕方、薄い日蝕があった。→安倍吉昌が天文密奏を奏上した。(『権記』)
- 同年3月1日戌寅、日蝕があった。藤原行成曰く、日蝕の日は廃務とするのが通例のため結政所に参らなかった。(『権記』)
月の異変
- 長徳四年(998)9月26日申の刻、月蝕があった。→後に安倍吉昌が天文密奏を行った。(『権記』同年10月3日条)
- 長保四年(1002)6月9日癸酉、月が心後星を犯した。(『権記』同年6月15日条)
同宿
- 正暦三年(992)1月4日己亥の午の刻、金星が上空を通過した。また、酉の刻に金星とたたら星が並んでいた。5日に天文密奏が奏上された。(『権記』)
- 長徳四年(998)9月26日、月と填星(土星)が同宿した。→後に安倍吉昌が天文密奏を行った。(『権記』同年10月3日条)
その他
- 寛弘二年(1005)2月16日、藤原実資は日月がともに火のような色をしていたのを見た。17日も18日も月が火のような色をしていたので県奉平に問うたところ天変とすべきだということで、翌日上奏することになった。(『小右記』同年2月18日条)
天文密奏
- 正暦三年(992)1月5日、4日に金星が上空を通過したこと、金星とたたら星の同宿があったことについて天文密奏があった。(『権記』同年1月4日条)
- 長徳四年(998)10月3日申の刻、天文博士安倍吉昌が9月26日にあった月と填星の同宿と月蝕、10月1日未の刻の地震について天文密奏を奏上した。(『権記』)
- 長保元年(999)9月22日、天文博士県奉平が天文密奏を奏上した。(『権記』)
- 長保二年(1000)2月23日辛未の夕方、薄い日蝕があった。安倍吉昌が天文密奏を奏上した。(『権記』)
- 同年4月7日甲寅、天文博士県奉平が天文密奏として火事に注意が必要だと奏上した。(『権記』)
- 長保六年(1004)3月14日戊戌、県奉平が天文密奏を奏上した。(『御堂関白記』)
- 寛弘二年(1005)丁丑、ここ数日間に渡って何度か天変が奏上されていたということだった。(『御堂関白記』)