平安貴族の日記をもとに、当時の陰陽師がどんなことをしていたのか、仕事内容を検証することで幻想的な印象とは異なる陰陽師の実像が浮かび上がります。
穢れを祓ったり、怪異の吉凶や物忌の必要性について占う陰陽師は、古記録だけでなく『今昔物語集』『宇治拾遺物語』などの説話集にもみられます。
陰陽師とは
中務省の陰陽寮に所属している。
陰陽寮
陰陽寮の仕事
陰陽寮とは、中国から伝わった天文や暦、陰陽五行を用いて吉凶を占う役所である。
大宝元年(701)に大宝律令が制定されたことにより、唐の太史局(暦・天文・漏刻を取り扱う)と太卜署(卜占・方術を取り扱う)の組織が合併して陰陽寮となり、天皇の秘書的な役割を担う中務省の管轄下に配置された。
陰陽寮の人員構成と仕事内容については以下を参照。
参考陰陽寮の仕事内容と人員構成
陰陽寮とは、中国から伝わった天文や暦、陰陽五行を用いて吉凶を占う役所である。大宝元年(701)に大宝律令が制定されたことにより、唐の太史局(暦・天文・漏刻を取り扱う)と太卜署(卜占・方術を取り扱う)の ...
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陰陽寮の場所
陰陽師のイメージ
平安時代の人々から見た陰陽師
平安時代中期(11世紀頃)に学者藤原明衡が著した『新猿楽記』には、賀茂道世という名の架空の陰陽師が登場する。
『新猿楽記』の中には当時人気であった猿楽を見物しに来た人々についての描写があり、老翁の十人目の娘の夫が「陰陽先生賀茂道世」である。
猿楽に登場する賀茂道世の説話は、以下のようなものであった。
十人目の娘の夫は、陰陽の先生賀茂道世である。
金匱経・枢機経・神枢霊轄などにおいて分からないことはない。四課三伝にも精通している。覆物を占うことについては、目で見ていたかのように中身を当ててしまう。物の怪の正体を推測することについては、掌を指すように正確であった。十二神将を自在に操り、三十六禽を自分の前後に従える。式神を従え、符法を造って鬼神の目を思うままに開閉し、男女の魂を出入りさせる。覩覧・反閇の術を究め、福を招く祭祀・邪気を祓う解除において効験を顕す。地鎮・謝罪・呪術・厭法などの名手である。吉備大臣七佐法王の道を習い伝えた者である。それだけではなく、注暦・天文図・宿曜・地判経にも通じていた。ゆえに、人間の体をしているが、心は鬼神の世界に通じている。身体は俗世に留まっているが、魂は天地を往来しているのだ。
解説
- 金匱経(こんききょう):黄帝金匱経。天平宝字元年(757)、陰陽寮における陰陽生の教科書に指定された。
- 枢機経(すうききょう):『本朝書籍目録』に「陰陽寮従八位下 暦志斐連緒養撰」とある。
- 神枢霊轄:『唐志』に「神枢霊轄十巻 楽座撰」とある。
- 四課三伝:安倍晴明著『占事略決』に「四課三伝法(四課三伝の作りかた)」という項目がある。式盤の操作方法。
- 覆物を占う:箱に入っている物や布に覆われている物の正体を当てること。天徳三年(959)2月7日、賀茂忠行が箱の中身を占ったことがある。水精念珠であった。(『朝野群載』)
- 十二神将:式盤の神。十二支に配当されている。
- 反閇(へんばい):主に、天皇の行幸や貴族の移徙の際に陰陽師が独特の足の運びによって奉仕する儀式。
- 地判経:土地の吉凶を知る書。
- 吉備大臣:吉備真備のこと。
三十六禽
陰陽道において、三十六種類の生物を時間に配当して占う。『拾芥抄』参照。
陰陽師たちの詳しい活動記録一覧↓
参考陰陽師たちの活動記録一覧
活動年表一覧 天皇時期リンク継体天皇-嵯峨天皇継体天皇七年(513)-弘仁十一年(820)淳和天皇-宇多天皇天長三年(826)-寛平三年(891)醍醐天皇-朱雀天皇延長元年(922)-天慶九年(946 ...
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陰陽師のお仕事
吉日を調べる
天皇の外出や宮中の行事を行うときは、陰陽師が吉日吉事を調べて申し上げる。
主な行事
- 天皇が行幸(外出)・遷御する日
- 祭りを行う日
- 神社へ奉幣使を派遣する日
- 季御読経を行う日
- 祭祀を行う日
- 荷前定の日
- 建物を建造する日 など
個人の邸宅を造営・修理する場合は、陰陽寮が吉日を選ぶ。(『養老令』―私第宅条)
御卜
諸社寺ならびに諸所において奇怪・珍事があった場合は、まず軒廊の御卜を行う。上卿がこれを行う。神祇官・陰陽寮が占い申す。上卿は職事を以て仔細を申す。軽重仔細を問われたら、上卿は神祇官・陰陽寮に質問してこれを申す。御物忌があれば、職事を以てこれを下知する。また、軒廊の御卜に及ばない内々のことは陰陽師を召して蔵人所において問われる。下文を進め皆連署する。三人もしくは七人。神祇官の御卜は弓場において勤める。重大な事でなければ御卜は行わないと誡訓にある。神祇官と陰陽寮の御卜の結果が同じではないときは、神祇官の方を用いる。また内々密々に女房の書を以て陰陽師の家に問われるのは常のことである。(『禁秘抄』-御占)
動物の怪異について吉凶を占う
宮中や貴族の邸宅に侵入してきた動物について吉凶を占う。
鳥類・鹿・の怪異について占うことが多い。
神祇官とともに占うことも
陰陽寮が神祇官とともに吉凶を占うこともあった。
宮中の穢れについて吉凶を占う
宮中で触穢があった場合、その吉凶を占う。
天文密奏を行う
天変があった際、天文博士が奏上する。
雨の日が長く続いた場合、祟りがあるか占う。
反閇を奉仕する
天皇や貴族が外出・引っ越しする際に、移動の安全を祈願して反閇を行う。
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反閇(へんばい)
道教では禹歩うほという北斗七星や八卦の意味を込めた歩行呪術がある。この術を用いることによって、悪鬼や猛獣を避けることができるといわれている。 禹歩と玉女反閇法という祭式を組み合わせたものを、反閇へんば ...
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祭祀を行う
属星祭
参考
- 『革暦類』康保元年(964)6月23日条
五龍祭
雨が降ることを祈る。
参考
- 『貞信公記抄』天慶二年(939)7月2日条
- 『石清水文書』応和三年(963)1月20日条
斬草祭
参考
- 『吏部王記』天慶八年(945)2月6日条
雩祭
参考
- 『日本紀略』天徳四年(960)7月25日条
大歳祭
参考
- 『革暦類』康保元年(964)6月27日条
陰陽師と年中行事
陰陽師の一年
天変や触穢などの理由によって、延期になる場合がある。
11月1日 御暦奏
11月1日、翌年の暦を奏上する。
12月末 追儺の儀を行う
毎年12月末、追儺祭が行われる。追儺の儀において、陰陽寮は桃弓や葦矢などの道具を用意する。(『吏部王記』延長二年〈924〉12月29日条)
優秀な陰陽師の条件
陰陽・天文の分野において、10回中7回効験が見られたら「方術の最」とされる。(『養老令』―最条)
暦部門
月の満ち欠けを精密に計算できた者は、「暦師の最」とされる。(『養老令』―最条)
陰陽師も呪詛をする?
天慶二年(939)12月に平将門が新皇を称したとき、朝廷は神祇官に「頓死頓滅の式」を行わせている。
多くの官人が身を清めて寺院に祈った。さらにまた、山々の阿闍梨は邪滅悪滅の法を修し、諸社の神祇官は頓死頓滅の式を祭った。七日間に渡り護摩に用いた芥子は七石余りで、五種類の供物をたくさん供えた。悪鬼の名号を大きな護摩壇の中に投げ入れて燃やし、賊人の形像を棗楓(式盤)の下に置いて調伏の儀式を行った。五大力尊(金剛吼・竜王吼・無畏十力吼・雷電吼・無量力吼)は侍者を東土に遣わし、八大尊官(八将神)は、神の矢を賊に向けて放った。すると、天の神々は眉をひそめて賊徒たちが身の程をわきまえない欲を持ったことを謗り、地の神々は厳しく責めて悪王がしてはいけないことをしようとしているのを憎んだ。(『将門記』)