侍所は鎌倉幕府の中央機関の一つで、御家人の統制するのが仕事だった。
平安時代から公卿や上級貴族の家政機関には侍所があり、源頼朝もこれに倣って侍所を設置した。
京都では主に家政職員の出勤管理や人事管理などを統括していたが、鎌倉では御家人の統括が主な役目になった。
侍所は治承四年(1180)11月に設けられた。
別当(長官)・所司(次官)をはじめとする職員を持ち、御家人の統制を任務とした。
本来は公家の家政機構の一つで、貴族に伺候する侍の詰所だったのを、頼朝はこれに倣い家人の統率機関としたのである。
鎌倉幕府最初の統治機構であり、確立後の幕府耐性において全国規模の軍事部門における最高機関として発展していく。
侍所の組織
別当
和田義盛を長官に任命
治承四年(1180)11月17日、頼朝は侍所別当(長官)に和田義盛を任命した。
石橋山合戦の後に頼朝が安房国に向かった際、頼朝の安否もわからなかったときに義盛が望んだのだという。(『吾妻鏡』治承四年〈1180〉11月17日条)
執権との兼職へ
建暦三年(1213)5月の和田合戦で和田義盛が滅ぼされると、侍所別当の地位は北条義時が握るようになった。
後に設置された小侍所の別当も北条得宗家やそれに近い一門が独占した。
所司
次官にあたる所司には、梶原景時が任命された。
侍所の役割
御家人交名の作成
侍所では、御家人を統制するための台帳として御家人交名が作成された。
着到を付ける
招集・動員された御家人たちを確認・管理する。
軍目付
合戦の場で、御家人たちの動向を監督する。
小侍所の設置
源実朝の没後、九条頼経が摂家将軍として鎌倉に迎えられたのをきっかけに小侍所が新設された。
参考資料
- 上杉 和彦「源頼朝と鎌倉幕府」新日本出版社、2003年
- 田中大喜「図説 鎌倉幕府」戎光祥出版、2021年
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